2025年5月14日水曜日

学校

 渡り廊下を渡って北館に入ると、突き当たりの角で子どもたちが上を向きながら何やら騒いでいる様子が遠くに目に入る。

ひとりが僕に気づいて駆け寄ってくる。

「アリック、大変!大変だよ!」

息を切らして伝えてきたのは2年生。

けが人だろうか。急いでそこへ向かう。

突き当りは2年生の教室の脇。

そこには僕を呼んでくれた子も含め3人の2年生と、僕と同じく2年生に呼ばれた感じの5年生が2人。

5年生が心配そうな声で言う。

「ほら、見て」

上を指さす。

するとそこには、シジュウカラがいた。

高い窓にコツコツと細かくぶつかっている。

外廊下からここまで迷い込んでしまったのか。

窓の外に広がる林に帰ろうとするたび、窓にぶつかってしまっていて、その様子を見てすぐに胸が痛くなった。

子どもたちもどうにかしたくて、そこから離れられなくなったらしい。

「椅子をとってきて」

そのままでは届かない窓を開けるため、教室から椅子をとってきてもらう。

靴を脱いで椅子に乗ると、高い場所につけられた窓の鍵になんとか手が届く。どうにか窓を開ける。

「行けー!」とシジュウカラの背中を押すように2年生が叫ぶ。

しかし、まっすぐな2年生の言葉を裏切るように、シジュウカラは外ではなく北館の奥のほうへと飛んで行ってしまった。

僕の手が近づいたことをこわがってしまったのだ。

飛んでいくシジュウカラの下を2年生が追いかける。

「そっちじゃないよ!こっちだよ!」

なんとか回り込むと、ぴょんぴょん飛び跳ねてなんとかシジュウカラを誘導する。

するとシジュウカラがようやくもとの窓へ行き先を決めて向かってきた。

「行けー!」

2年生だけでなく、今度は5年生も僕もさけぶ。

さっきまでぶつかっていた窓はもう開いている。シジュウカラはその先に緑の見える空へと勢いよく飛び出していった。

「やったー!」

ぼくたちは自然とハイタッチをする。

「じゃあ、さようなら」

見ると2年生はランドセルを背負っていて、帰る途中だったみたい。体育着の5年生はそのまま体育館へ向かう。

僕は窓を閉じ直すために最後までそこにいる。

窓を閉めて、それから椅子を片付ける。

そこで、はだしになっていたことを思い出す。

靴を履きながら、自分が笑っていることに気づく。

(もちろん写真は撮れなかった。添付の写真はちょっと留守にしていた隙に教室に入り込みパソコンの上に行儀よくとまっていたヒヨドリ。あわてて写真に撮ったらぶれてしまった。そしてすぐに飛び立ってしまった。)



2024年10月13日日曜日

子どもと遊ぶこと

初任のときは分かりやすく若さと体力で子どものなかに飛び込んでいく教員だったので、思い切りいっしょになって体を動かしていた。体育の時間には1人VS36人のリレーをやった。長距離には自信があったのだけれど、子どもはひとり半周で、僕はひとりで18周を走るリレーはぼろ負けした。

休み時間はいつもおにごっこをしたり、サッカーをしたりしていた。

それが初任の自分にできる子どもからの信頼を得るやり方だった。

それを見ていたベテラン教員に「いいわねえ、若くて、体力があって。」と言葉のうえではほめているんだけれど、どこか皮肉めいた口調で言われたことがある。

その理由は分かっていた。いずれ歳をとったら、子どもと遊ぶ体力は無くなってきて、そんなやり方は続けられなくなるからだ。そうなる前に、しっかりと授業の腕をあげたいなと当時そんなことを考えていたことを覚えている。

それから20年の月日が経った。

昨年6年生を受け持ったときには、1人VS18人でドッジボールをした。なんと球は同時に無制限の数でいいという狂ったルールだったので、そりゃもう何発も当てられたのだけれど、こちらも負けじと子ども相手に本気の球を何球も投げ込んだ。

そして今年は3年生を持っている。おかげさまで長い休み時間があると、「アリックオニゴ」と子どもたちが名付けたおにごっこをいつもせがまれる。せがまれるうちが華だろう。正直ずっと走り続ける体力はとうに失っているのだけれど、それでも10分間は本気で子どもたちを追いかけまわす。

今日は必死に子どもたちを追いかけていると、周りで別の遊びをしていた子たちが次々に加わってきて、最終的には30人ほどにふくらんでいた。おには、僕ひとりだ。

いわゆる捕まえても仲間が助けられるどろけい型のおにごっこなので、捕まえても捕まえても子どもたちは解放され逃げていく。まるで賽の河原の石積みだ。中年が汗をかきながらグラウンドを走る姿は、きっと美しくはないだろう。それでも少し、今でもこうして子どもと思い切り遊ぶ自分が嫌いじゃないのだ。

いつかタイムマシンができたら20年前に戻って初任のころの僕に伝えたい。あなたはあなたのやり方を続けるよ。体力は失われていくけれど、どうやら気力はずっと保たれ続けるよと。

授業はそれなりに腕は磨いたつもりでいるけれど、やっぱりあなたは子どもと遊ぶことで信頼を得ていっているよと。


それから、「子どもの遊びに大人(教員)が入ってばかりいると大人抜きでは遊べなくなるよ」みたいなことも耳にする。

実際に自分もそれを恐れていた。

けれど、20年間たくさんの子と遊んできて分かったことがある。僕が遊び続けたせいで子どもだけで遊べなくなる子たちなんて、いなかった。

僕がいなければいないで、みんな楽しく遊んでいる。

そりゃあ、入った大人が、遊びを管理したり常にジャッジを続けるような勘違いをした参加の仕方をしていれば、子どもたちはその大人の顔色を伺ったり、また自分たちでジャッジができなくなり、常にその大人が必要になるんだろうけれど、それは子どもといっしょに遊んでいるとは言わないでしょう。

遊ぶっていうのは対等じゃなきゃ。僕はいつも体の大きな参加者として、ただただ遊びを楽しんでいる。

とにかく僕が子どもたちと思い切り遊んだ結果、僕がいなきゃ遊べなくなる、そんなことは無かった。


秋の気持ちの良い陽の光のなかで今日は思い切り遊んだ。

それで、こんなことを考えたんだ。



2024年8月19日月曜日

石川晋さんの話を聞く 20240817

立川にNPO授業づくりネットワーク理事長の石川晋さんの話を聞きに行く。

本当なら晋さんと多賀一郎さんとの対談の企画だったのだけれど、台風のせいで多賀一郎さんが東京に来られなくなり、晋さんひとりの会になった。残念ではありつつも、しばらく晋さんの話を聞く機会も無かったので楽しみでもあった。

リスルホール5階の会場にいつも通り時間ぎりぎりに着くと、20人ほどだろうか、参加者の方が集まっていた。

まずは絵本の読み聞かせの時間。1冊目の荒井良二「そのつもり」がすばらしかった。晋さんは参加者のひとりとの思い出話をからめながら、その方がつぶやいた「この本はファシリテーションの本だ」という言葉を引用していた。僕は聞きながら「なってみるの絵本」だなと感じていたが、実際にそうとも表現されていた。ただ僕がぐっと来たのは、その物語だ。騒がしく紛糾する森の動物たちの会議。その様子も決して悪いものではなく、にぎやかで楽しいのだけれど、それを収めたのが牛。ただ草を食べに来た牛。そして牛が去った空き地に静かに風が吹く。この風が吹く描写が染み入った。なんと穏やかで気持ちがいいのだろう。きっとこのとき、思い思いのことをそれぞれ主張していた動物たちも、言葉に出さないけれど同じ気持ちになったに違いない。言葉にならない共感。僕はそういう瞬間が好きなのだ。「そのつもり」はそれを想像させる絵本だった。思わずポチリ。

絵本を読みながら、1冊ずつの解説を晋さんは丁寧に行う。そこには授業を含めたデザインの話があり、紡がれた文章の工夫と読み方のコツがあり、循環というアートについての言及があり、絵本を通して様々な知的な刺激があった。(ただこういうふうに整理することを晋さん本人は望んでいなかったようにも思う。晋さんは研修を受けた教員が新しく得た知識をこれみよがしに発揮しようとすることを「研修ハイ」という言葉で揶揄していた。まさにこの文章を打っている今、自分がそれに陥っているようにも思う。)

上條晴夫さんの実践を引き合いに、「学校の先生の仕事はどれだけ対象を見られるか。子どもたちが対象を見る目をどれだけ育てられるか。」それに続く現在の教員に対してのクリティカルな指摘。こういう言葉に出会えるから、自分はこういう場に来るのだろう。

後半の晋さんの一問一答は講座の建付けが見事だった。あらかじめ晋さんは自分がSNSでつぶやいたことを印刷し、それをひとつずつ封筒にしまっていた。それぞれの封筒がかわいらしいものだった。参加者はその封筒を2つずつランダムに手に取り、自分が手にしたつぶやきについて、任意で晋さんに投げかけ質問していく。

晋さんは相変わらず飄々としていたけれど、これ、準備に時間がかかっただろうなと思う。でも、きっとにやにやしながら準備をしたのだろうなとも思う。それを思うと実践者としての晋さんにぐっと触れた気がした。身近に思った。とても丁寧な準備だけれど、それぞれのつぶやきは何かの裏紙に印刷されていて、そこはあえて粗さを見せたのだろうなとも思った。かわいらしい便せんに粗い裏紙。ロマンチックでシャイな人なんだろうな。

一問一答の内容は、参加者だけが味わえばいいと思う。含蓄のある時間だった。特に「まいごのかぎ」についての言及は共感するところが多かった。「ヤブガラシ」の意味に気づけない僕は、やはりただただ子どもの気持ちに添い遂げなきゃいけないんだなと思う。

自分のところに来たつぶやきは、あまりにパーソナルなものだったので、質問しづらかった。でも、ずっと質問をぶつけてみたかったものでもあった。それをぶつければ、きっといつも飄々としている晋さんの内面が見えるだろうから。でも、それをするのはすごくすごく非礼なことのようにも思えて躊躇していた。意を決して最後にぶつけると、それはとても大切なものを見せてもらったようなそんな時間になった。

傷つけると分かっていても、それでも進まないといけない。それはそれぞれの現場、立場で直面することのように思う。自分にそういう覚悟があるのだろうか。

ああ、いけない。研修ハイになっているので、少し冷まそうと思う。

ある自治体の学校の様子を見に行ったときの「あの先生、来年はいないね」と、きらびやかな陰で脱落していく教員のエピソードを話すときの晋さんはとてもつらそうだった。「先生が幸せじゃなくて子どもが幸せになれるんですか」そう絞り出すように言う。言葉自体はよく耳にする気がする。でもこんなにそれが強く伝わってくることはない。この時間に何度も冗談のように口にしていた研修ハイ、これは決して冗談じゃないんだろうな。僕はずっと良い先生になりたいと思っている。良い先生とは何か、と自分に問い続けながら、自分なりに学び続け、それなりに実践にうつしていると自負している。その自負が、誰かを傷つけていないか、教員室を居づらい場所にしているのではないか。良さを追求していくことや向上心を持ち続けていくこと、それは決して否定されるものではないと考える。でも、それが本当に学校を、自分が生きる場所を良くしていっているのかを考えなきゃいけないなと思う。何かを圧迫しながらではなく、淡々と向上していかなくてはならない。研修ローでいる必要が、本当にあるんだと思う。

足を運んで本当に良かった。


2024年2月27日火曜日

ハノイの塔

今日の算数はハノイの塔を自作して問題に挑む時間。

ハノイの塔とは、古典的な数学パズル。
ルールに従って、小さな順に重ねられた円盤を、別のところに同じ順番で重ね直すという、とてもシンプルなパズル。https://ja.wikipedia.org/.../%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4...
自作の方法は、画用紙を切り抜き、大きさの異なる三角錐を5個作る方法。円盤でなく三角錐というところが肝だ。あっきー(秋山真一郎さん)が紹介してくれた方法。
ほんの10分ほどで、2人ペアに1つ、5段の即席ハノイの塔が完成する。
子どもたちにルールの説明として2段の最短手順を説明する。これは3手順でできる。
僕から課したのは、まずは3段の最短手順を求めること。
次に5段の最短手順を求めることだ。
ロッカールームには1から50までの数字が書かれた付箋を用意した。正しい答えが書かれた付箋をめくると、そこには「3段正解」「5段正解」と書かれている。
2人一組で問題に挑む。
きっと子どもたちは楽しんで取り組むだろうと思っていたけれど、想像以上にみんな真剣になって取り組んでいた。
教室の隣同士のペアで取り組む。たまに喧嘩をしている2人も、真剣に話し合いながら三角錐を移動していて、それがうれしい。
逆にふだんはあまり話さない2人が真剣に顔を寄せ合って相談しながら三角錐を移動している姿は、もっとうれしくなった。
10手順もかからない3段は、ほとんどのペアがすぐに答えにたどり着いた。
付箋をめくって、喜ぶけれど、3段に挑んだことで5段の難しさになんとなく気づいているのか、喜びは薄い。
そこから5段が、難しい。
20分たっても答えにたどり着くペアはいなかった。
そこで時間切れ。授業時間に終わりが来てしまった。
それでも休み時間になっても黙々と取り組む子どもたちの姿があった。
この雰囲気がもったいなく、次の時間も算数を続けることにした。
2時間目になると、少しずつロッカールームから歓喜の声が聞こえ始めた。
5段の答えにたどりつくペアが出てきたのだ。
5段の答えにたどり着いたペアから「4段の答えはないのー」という声が聞こえる。そこで4段の答えも付け足す。
それに自作の6段目を作って挑戦するペアも出てきた。
なんとも美しいと思った。
しばらくして、みきさんが言った。
「これ計算で求められるじゃん。」
僕は驚いた。たしかに計算で求められるけれど、それに気づくとは思っていなかったからだ。
通路をはさんで隣のともが答える。
「えっ、ほんとに!」
「だってさ、2段が3手順で、3段が…手順、4段が…手順で、5段が…手順てことはさ、これは前の手順に…をかけて1を足しているんじゃない?」
腰が抜けそうになった。その通りだ。
2人のやりとりは、小さな声で、気づいている子は数人しかいなかった。
しばらく待っていると5段の最短手順にほとんどのペアがたどり着いていた。
そこで、「3段、5段の最短手順は何回か」それだけを書いていた黒板に問いを付け足す。
「6段だと、…手順です。さて、最短手順を計算で求めるなら、どんな式になるだろう」
すると、次に次に子どもたちがやってきて、自分なりの言葉で式を説明していく。
そのうちのひとりに、ゆうくんがいた。
5年生のはじめ、計算が苦手で苦労していた子だ。
「あのさ、あのさ、」と言いながら、必死に説明をする。
「それじゃあ、伝わらないなあ」
いじわるな担任だ。
「ちょっと待って、ちょっと待って」
ゆうくんは何かに気づいているようだ。
いつまでも待つよ。そんな気になる。
「前の手順に…をかけて、1を足す!」
ゆうくんはそれにたどり着いた。
そのうち、(…を段数分かけて、マイナス1)という式をたてた子が3人も現れた。
おお、…ⁿ-1を彼らなりの言い方で表している。なんと美しい。
僕のやる算数の授業は、いつも演習ばかりで、問題演習と解説の反復のなかで、解法を沁みこませていうような、そんな授業が多かった。
こんなふうな算数の時間は僕には作れないと思っていたけれど、今日はすごく美しい算数の時間で、なんともなんともうれしかった。
考える子どもたちの姿は美しかった。
(子どもたちは仮名です)





2023年3月19日日曜日

絵本の会

立川で小島くんや濱口さんが多賀一郎さんを招いて企画した会。

声をかけてともに参加した先輩は20才近くも年上。

いまだ学ぼうとする姿勢を学びたいと思う。

立川まんがパークが2階にある会議室。

昔大好きな人たちとよく人狼をやっていた懐かしの会議室。

入ってみると満席に近く、みんなが興味あるテーマだと分かる。


この日読み聞かせてもらった本はなんと全部で22冊。

それぞれに抱いた思いがあり、語れるのだけれど、初めの5冊にしぼって、ここに書き残しておきたい。


初めて話を伺う多賀先生は、とてもざっくばらんとした語り口。


最初の1冊は谷川俊太郎の『ぼくとがっこう』。

「不登校が急増していますね。すべてが学校のせいでしょうか。教師は万能ではないんですよ。特に1年が終わるこの時期。足りないことではなく、自分がやってきたこと、できたことに目を向けていけばいいんです。」

優しい口調でそんなことを話してから読み聞かせが始まる。

読み終えて、本の内容にからめ話す。

「学校でけんかできなくなっているように思います。」


2冊目が驚きの1冊だった。

『とんでいったふうせんは』外国の絵本。

なんと認知症をテーマにした1冊だった。

人の思い出が風船に見立てられている。

語り手である男の子が、おじいちゃんが大切な記憶の風船を手放していくことを嘆くが、それを最後に親が諭す。「あなたのもとに風船が残っているでしょ」と。

とても素敵な絵本だった。

この1冊は、絵本のある種の魅力が強くつまった1冊だったと思った。

どう向き合っていいか難しいことを、決して遠回しにすることなく、かといって直接的でもなく、何よりあたたかく描く。

それは絵本だからこそできるものだと感じた。

子どもたちにも読みたい。


3冊目は『メロディ だいすきなわたしのピアノ』。

多賀さんはおもむろにパソコンから音楽を流し出す。

バックミュージックが流れる読み聞かせは初めての体験だった。

本の内容に重なり、よりふくよかな印象になる。

何よりロマンチックだ。

こうして振り返って、大学生のころに近藤先生に読み聞かせしてもらったことを思い出す。

彼もロマンチストだった。

自分のなかにもロマンチストの一面があると自覚している。でも、それを人前に出すことはなんだか気恥ずかしい。

けれど、でもこうしてロマンチックな読み聞かせの時間に浸ることはよかった。

教室がロマンチックになるなんて、素敵じゃないか。

ちょっと勇気を出したいなと思った。


僕が最も心惹かれたのは4冊目の『まいごのどんぐり』。

子どもが「ケーキ」と名前をつけ、その名前をお尻にも書いたどんぐりを無くしてしまう。

そのどんぐりの目線で書かれた1冊。

たまらなく惹かれたのは、物語終盤。子どもは青年になり、どんぐりもいつのまに木に育っている。

その木から落ちたどんぐりを見つけた青年がつぶやく。

「ケーキ?」

ぐっときてしまった。

そういうことがあってもいいじゃないか、そう思った。

途中までシルヴァスタインの『大きな木』に似ていると感じたが、この「ケーキ?」の一言はあたたかな衝撃だった。

この本も絵本、そのなかでも特に物語の持つ豊かさをたっぷりと抱いている1冊だと感じた。

素朴だけれど丁寧でやわらかに彩られた絵。手元に置いておきたいと強く思った。


5冊目『ずっといっしょ』。

6年生の年度初めに読み聞かせようと決めた1冊。

「ずっといっしょ」そのメッセージがかわいらしい絵とエピソードのなかでとにかくまっすぐに届けれられる。

ともすれば暑苦しい僕が、それでも大人への不信感を抱いているだろう一部の子に届けたいメッセージがそれだ。この絵本が、それを叶えてくれると思う。

このあとの本もそれぞれに味わいがあって、いくらでも語れてしまいそうだ。

なんとも贅沢な時間だった。


以下、感じたことも書いておきたい。


〇「絵本を使う」ことへの抵抗感

近くの参加者の方と感想交換をしているときに感じたこと。

「子どもたちをこうしたいという意図がある読み聞かせ」をされている方がいた。

それは驚きだったし、実は心の中で強く抵抗を感じていた。

なんだかそれは絵本に失礼な気が、僕にはしてしまう。

誰かを思い通りに変えていくために絵本や物語はあるのではなくて、豊かな物語に浸ることで人もまた豊かになっていくのだと僕は思う。

道具として絵本があるのではなくて、僕らが絵本の世界におじゃまして、そこに浸ることで人は感化されていくのだと思う。

多賀さんが言った「読み終わったあとは子どもたちに任せる。何を感じるかは子どもたちに預ける」っていう感覚と似ていると思う。

「絵本を使って子どもたちを…」みたいな感覚は教員特有のエゴなんじゃないかと思った。

でも、ともすると僕も無意識にそんなやり方をする気がする。

そういう自分に注意深くありたい。

そういうおこがましさみたいなものに、敏感な子どもはきっといると思う。


〇自分自身の中にあった豊かな読み聞かせ体験

多賀さんの淡々とした(この意図は説明された)読み聞かせをたっぷり聞くことができ、今回、自分が読み聞かせを聴く体験に浸ることができた。

ここ3年、石川晋さんが受け持つ子どもたちに読み聞かせをしてくれているが、どうしてもそのとき僕は学級担任の自分を降ろせない。読み聞かせを聴くクラスの子どもたちに意識がいってしまうのだ。

でも、この日はたっぷり聴き浸ることができた。

そうしてみると、晋さんの語りもなぜだかよみがえってきて、それぞれの持つ魅力を頭と心で反芻していた。

さらに学校で同僚がしている読み聞かせも思い浮かんだし、20年も前に聞いた尊敬する先輩の読み聞かせもなぜだか浮かんだ。

それから、地元の呑み屋で知り合った役者の方のひとり語りの舞台を見に行ったこともふと思い出した。

誰かの読み聞かせをモデルにしたことは無い気がしていたのだけれど、それでも自分のなかには豊かな経験があって、それが自分を作っているんだなと思った。

今こうして振り返っていて、昔NHK放送センターで研修を受けたとき、トロッコの読み聞かせを年配の男性の講師にすると「あなたが物語が好きだということが良く伝わってきた」と言われた喜びも思い出され、うれしくなっている。


今年1年、子どもたちに本を読んでこなかった。時間や持つ教科のこと、言い訳はいくらでもあって、言い訳してきたんだけれど、まずは週1冊、来年は読むことにしたい。

それを決意した。


終わった後、同僚と近くのパン屋さんで1時間ほどたっぷり感想を交換した。

同僚とこういう話ができることがすごくうれしい。

お互いの読書体験を振り返ったりして、楽しい時間だった。


隣町でこんな機会があるなんて、本当に僕は恵まれている。

小島くん、濱口さんに心より感謝したい。

2023年1月29日日曜日

牧内の授業

1月の半ば、中高の同級生の同級生でフリーの記者をしている牧内昇平が、その仕事について受け持つ学校の子どもたち相手に話をしてくれた。

すごくうれしかった。

話の前半は今取材していることについて具体的な話。
みずからが取材した写真を使いながら、子どもたちに質問を投げかけ、話がすすんでいく。
そこから浮かび上がってくるのは、私たちのなかで薄れているが、福島では今も原発事故と暮らしていること。
「だから僕は福島に住んで、福島のことを伝えたいんです。」

後半は記者の仕事の意義について、牧内の思いが語られる。

「記者の仕事は現代史を作ること」
誰かが今いる今日を丁寧に書き残しておかないと、誰か偉い人に歴史が書き換えられてしまうかもしれない。普通の人である自分が歴史を作ることに意味がある。

「民主主義のための仕事」
みんなで話し合って大切なことを決めていくのが民主主義。
そのためにはみんながしっかりと話し合うための情報を得ることが必要。

「おかしい!を世の中に伝えたい」
おかしいことについて、きちんと伝えたい。おかしいことに直面している人が、ひょっとしたら声をあげられないかもしれない。でも、それを「おかしい」と言うことが、大切なはず。

語り口はいくぶんまともになっていたけれど、どこかあのころの牧内のまんま怠惰な雰囲気がありながら、こうして書き起こしてみれば、子ども相手に本気で話してくれたことが再確認できてうれしい。

途中で子どもたちの投げかけに、牧内が漏らすようにふと返した言葉が印象的だった。
「だって、それが正義でしょ。」
「正義」という言葉を簡単に使わない人間だと思う。それでも、その言葉がふいに彼の口から洩れた。
懐かしかった。
高校時代に、友人数名で雑談をしているときのことだった。
下世話に世の中を小ばかにするような話をしていたときだった。
一度だけ牧内が、その場のノリに合わせず、「俺はそういう考えなんだ。俺は(みんなが否定している)それを正しいと思っている。」と言ったことを覚えている。
あまりにはっきり言ったので驚いた。
彼が授業で子どもに漏らした「正義」という言葉はあのときの牧内のようだった。
きっと本人は覚えていないだろうけれど。

授業の後半、急に感極まってしまった。
教室の隅の席で毎日寝続けていた牧内と、馬鹿も思いつかないような馬鹿なことをし続けていた僕が、同じ場所からそれぞれの場所に巣立って大人になって、こうしてまた未来を作る仕事をいっしょにできた。
何かふいに目の前の子どもたちに勝手に重ねてしまったのだ。
今目の前にいる子どもたちも紆余曲折のなかで大人になっていく。そして、もしかしたら、それぞれ分かれていく日々が、あるタイミングで再び重なる瞬間があるのではないか。今こうして机を並べているように、人生のあるタイミングで、ふっとお互いの人生が重なる瞬間が来るのではないか。きっとそうだ。牧内と僕が今こうして重なっているように。
そんな確信にも似た気持ちになった。変に感極まってしまった。

それにしても、腕を折ってくるとは思わなかった。 


2022年12月4日日曜日

秋の1日

先月のある1日。

水田で収穫した稲穂。
しばらく干した後に脱穀したもみから、外側のもみがらをとって玄米にしていくもみすりを行う。
畑に近いテラスで、秋のやわらかな陽を浴びながら子どもたちは楽しそう。
すりばちにもみを入れ、野球の軟球ボールでごしごしとする。
その後、粉ふるいにもみを入れ、下からうちわであおぐと、はがれたもみがらが青空に舞う。そして、髪の毛に降ってくる。
「うわあ!さとちゃんの頭、大変なことになっているよ!」
歓声が挙がる。
のどかだ。
この日はそれから、教室横のテラスで牛乳パックを使い育てていたミニ大根も収穫する。
小さいけれどしっかり大根の形をしている。
何より、自分で育てたものだから、うれしい。
またまた歓声が挙がる。
「俺のちっちゃすぎるよー!しょうごのはおっきいのにさ!」
残念がる声も、どこかうれしそうに響く。
僕のミニ大根がなかなか立派に育ったことを自慢するタイミングをうかがっていたんだけれど、
「アリックのでかいじゃん!ずるい!」
と言われる。ここぞとばかり
「ずるい、じゃなくて、うらやましいでしょ。」
と返す。きっと相当、自慢げな表情になっていたと思う。
1日の最後には、グラウンドの脇に生えている柿の木の下に子どもたちが集合する。
6人で1つのグループ。
1人が高枝切りばさみを構え、他の5人はビニールシートを広げて持つ。
みんな、上を見上げている。
少し傾き始めた秋の陽が柿の実に降り注ぐ。
陽の光のような橙色の柿の向こうには青空が広がる。
慣れない高枝切りばさみに苦戦しながら、おいしそうな柿を探して、それを落としていく。
「ボトン!」
構えたビニールシートに柿が落ちるたびに、歓声が挙がる。
とった柿は、教室に持ち帰り、すぐに食べる。
調理室から借りてきたナイフとまな板。
得意な子がすぐにむきはじめる。
いつもはあまり目立たない女の子が、見事に柿をむいていく。
やんちゃな男の子が「みきちゃん、すげえ!ありがとう!」と大きな声で言う。
みきちゃんは、少し照れて、顔を下にむけて、柿をむき続ける。
今年の柿は、本当においしかった。
渋みが一切なく、甘みはつつましくほのかでさわやか。
興奮している子どもたちも、何だか落ち着いて味わっている。
幸せな1日だった。
(子どもたちは仮名です)