初任のときは分かりやすく若さと体力で子どものなかに飛び込んでいく教員だったので、思い切りいっしょになって体を動かしていた。体育の時間には1人VS36人のリレーをやった。長距離には自信があったのだけれど、子どもはひとり半周で、僕はひとりで18周を走るリレーはぼろ負けした。
休み時間はいつもおにごっこをしたり、サッカーをしたりしていた。
それが初任の自分にできる子どもからの信頼を得るやり方だった。
それを見ていたベテラン教員に「いいわねえ、若くて、体力があって。」と言葉のうえではほめているんだけれど、どこか皮肉めいた口調で言われたことがある。
その理由は分かっていた。いずれ歳をとったら、子どもと遊ぶ体力は無くなってきて、そんなやり方は続けられなくなるからだ。そうなる前に、しっかりと授業の腕をあげたいなと当時そんなことを考えていたことを覚えている。
それから20年の月日が経った。
昨年6年生を受け持ったときには、1人VS18人でドッジボールをした。なんと球は同時に無制限の数でいいという狂ったルールだったので、そりゃもう何発も当てられたのだけれど、こちらも負けじと子ども相手に本気の球を何球も投げ込んだ。
そして今年は3年生を持っている。おかげさまで長い休み時間があると、「アリックオニゴ」と子どもたちが名付けたおにごっこをいつもせがまれる。せがまれるうちが華だろう。正直ずっと走り続ける体力はとうに失っているのだけれど、それでも10分間は本気で子どもたちを追いかけまわす。
今日は必死に子どもたちを追いかけていると、周りで別の遊びをしていた子たちが次々に加わってきて、最終的には30人ほどにふくらんでいた。おには、僕ひとりだ。
いわゆる捕まえても仲間が助けられるどろけい型のおにごっこなので、捕まえても捕まえても子どもたちは解放され逃げていく。まるで賽の河原の石積みだ。中年が汗をかきながらグラウンドを走る姿は、きっと美しくはないだろう。それでも少し、今でもこうして子どもと思い切り遊ぶ自分が嫌いじゃないのだ。
いつかタイムマシンができたら20年前に戻って初任のころの僕に伝えたい。あなたはあなたのやり方を続けるよ。体力は失われていくけれど、どうやら気力はずっと保たれ続けるよと。
授業はそれなりに腕は磨いたつもりでいるけれど、やっぱりあなたは子どもと遊ぶことで信頼を得ていっているよと。
それから、「子どもの遊びに大人(教員)が入ってばかりいると大人抜きでは遊べなくなるよ」みたいなことも耳にする。
実際に自分もそれを恐れていた。
けれど、20年間たくさんの子と遊んできて分かったことがある。僕が遊び続けたせいで子どもだけで遊べなくなる子たちなんて、いなかった。
僕がいなければいないで、みんな楽しく遊んでいる。
そりゃあ、入った大人が、遊びを管理したり常にジャッジを続けるような勘違いをした参加の仕方をしていれば、子どもたちはその大人の顔色を伺ったり、また自分たちでジャッジができなくなり、常にその大人が必要になるんだろうけれど、それは子どもといっしょに遊んでいるとは言わないでしょう。
遊ぶっていうのは対等じゃなきゃ。僕はいつも体の大きな参加者として、ただただ遊びを楽しんでいる。
とにかく僕が子どもたちと思い切り遊んだ結果、僕がいなきゃ遊べなくなる、そんなことは無かった。
秋の気持ちの良い陽の光のなかで今日は思い切り遊んだ。
それで、こんなことを考えたんだ。
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