立川にNPO授業づくりネットワーク理事長の石川晋さんの話を聞きに行く。
本当なら晋さんと多賀一郎さんとの対談の企画だったのだけれど、台風のせいで多賀一郎さんが東京に来られなくなり、晋さんひとりの会になった。残念ではありつつも、しばらく晋さんの話を聞く機会も無かったので楽しみでもあった。
リスルホール5階の会場にいつも通り時間ぎりぎりに着くと、20人ほどだろうか、参加者の方が集まっていた。
まずは絵本の読み聞かせの時間。1冊目の荒井良二「そのつもり」がすばらしかった。晋さんは参加者のひとりとの思い出話をからめながら、その方がつぶやいた「この本はファシリテーションの本だ」という言葉を引用していた。僕は聞きながら「なってみるの絵本」だなと感じていたが、実際にそうとも表現されていた。ただ僕がぐっと来たのは、その物語だ。騒がしく紛糾する森の動物たちの会議。その様子も決して悪いものではなく、にぎやかで楽しいのだけれど、それを収めたのが牛。ただ草を食べに来た牛。そして牛が去った空き地に静かに風が吹く。この風が吹く描写が染み入った。なんと穏やかで気持ちがいいのだろう。きっとこのとき、思い思いのことをそれぞれ主張していた動物たちも、言葉に出さないけれど同じ気持ちになったに違いない。言葉にならない共感。僕はそういう瞬間が好きなのだ。「そのつもり」はそれを想像させる絵本だった。思わずポチリ。
絵本を読みながら、1冊ずつの解説を晋さんは丁寧に行う。そこには授業を含めたデザインの話があり、紡がれた文章の工夫と読み方のコツがあり、循環というアートについての言及があり、絵本を通して様々な知的な刺激があった。(ただこういうふうに整理することを晋さん本人は望んでいなかったようにも思う。晋さんは研修を受けた教員が新しく得た知識をこれみよがしに発揮しようとすることを「研修ハイ」という言葉で揶揄していた。まさにこの文章を打っている今、自分がそれに陥っているようにも思う。)
上條晴夫さんの実践を引き合いに、「学校の先生の仕事はどれだけ対象を見られるか。子どもたちが対象を見る目をどれだけ育てられるか。」それに続く現在の教員に対してのクリティカルな指摘。こういう言葉に出会えるから、自分はこういう場に来るのだろう。
後半の晋さんの一問一答は講座の建付けが見事だった。あらかじめ晋さんは自分がSNSでつぶやいたことを印刷し、それをひとつずつ封筒にしまっていた。それぞれの封筒がかわいらしいものだった。参加者はその封筒を2つずつランダムに手に取り、自分が手にしたつぶやきについて、任意で晋さんに投げかけ質問していく。
晋さんは相変わらず飄々としていたけれど、これ、準備に時間がかかっただろうなと思う。でも、きっとにやにやしながら準備をしたのだろうなとも思う。それを思うと実践者としての晋さんにぐっと触れた気がした。身近に思った。とても丁寧な準備だけれど、それぞれのつぶやきは何かの裏紙に印刷されていて、そこはあえて粗さを見せたのだろうなとも思った。かわいらしい便せんに粗い裏紙。ロマンチックでシャイな人なんだろうな。
一問一答の内容は、参加者だけが味わえばいいと思う。含蓄のある時間だった。特に「まいごのかぎ」についての言及は共感するところが多かった。「ヤブガラシ」の意味に気づけない僕は、やはりただただ子どもの気持ちに添い遂げなきゃいけないんだなと思う。
自分のところに来たつぶやきは、あまりにパーソナルなものだったので、質問しづらかった。でも、ずっと質問をぶつけてみたかったものでもあった。それをぶつければ、きっといつも飄々としている晋さんの内面が見えるだろうから。でも、それをするのはすごくすごく非礼なことのようにも思えて躊躇していた。意を決して最後にぶつけると、それはとても大切なものを見せてもらったようなそんな時間になった。
傷つけると分かっていても、それでも進まないといけない。それはそれぞれの現場、立場で直面することのように思う。自分にそういう覚悟があるのだろうか。
ああ、いけない。研修ハイになっているので、少し冷まそうと思う。
ある自治体の学校の様子を見に行ったときの「あの先生、来年はいないね」と、きらびやかな陰で脱落していく教員のエピソードを話すときの晋さんはとてもつらそうだった。「先生が幸せじゃなくて子どもが幸せになれるんですか」そう絞り出すように言う。言葉自体はよく耳にする気がする。でもこんなにそれが強く伝わってくることはない。この時間に何度も冗談のように口にしていた研修ハイ、これは決して冗談じゃないんだろうな。僕はずっと良い先生になりたいと思っている。良い先生とは何か、と自分に問い続けながら、自分なりに学び続け、それなりに実践にうつしていると自負している。その自負が、誰かを傷つけていないか、教員室を居づらい場所にしているのではないか。良さを追求していくことや向上心を持ち続けていくこと、それは決して否定されるものではないと考える。でも、それが本当に学校を、自分が生きる場所を良くしていっているのかを考えなきゃいけないなと思う。何かを圧迫しながらではなく、淡々と向上していかなくてはならない。研修ローでいる必要が、本当にあるんだと思う。
足を運んで本当に良かった。
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