2015年5月29日金曜日

平等よりも大切なこと

さて、ブログなんてものを開始してみました。
小学校教員として12年間過ごしてきましたが、今年度は1年間、大学院で学ぶ時間をもらいました。
この期間を利用して、今まで自分の中で考えてきた、教育に関することを、少しずつ言語化していきたいと思います。

記念すべき最初のテーマは「平等よりも大切なこと」です。
早い話が、子どもにえこひいきしていいのかってことです。
結論から言うと、僕は子どもへのえこひいきは大いに結構だと思っています。
もちろん、根拠のないえこひいきはするべきでありません。
でも、根拠に根付いたえこひいきは、がんがんやっていくべきだと思います。
それは、すべての子が気持ちよく暮らすために、教員のできることの大きな1つだと思うからです。

このテーマで忘れられない子どもがいます。
今から10年くらい前、ある女の子Aさんを受け持ちました。
頑固な子で、自分が納得できないと、てこでも動かない。
無理に何かをやらせようとすると、へそを曲げて、心を閉ざしてしまう。
ともすると、心だけでなく、本当に扉をも閉ざしてしまう。
(何度か女子トイレにたてこもられました。)
どう接するか、非常に悩みました。
答えの出ないまま、とにかく彼女には優しく丁寧に接するようにしました。


2年目になるころに、少しずつ心と心が触れ合うような実感を持てることが増えてきました。
心を閉ざしてしまえば、何も言葉が届かなくなります。
そうしないように、とにかく丁寧に丁寧に。
それは、周りの子とは違う接し方でした。

そのうち周りの子たちが、そんな僕の接し方に文句を言うようになりました。
「Aさんだけにやさしい。」「俺たちと違う扱い方だ。」「ひいきだ。」と。
これはこたえました。
たしかに言い返せないことだからです。
加えて、その時の僕は、「教員たるもの、すべての子に平等に接しなくてはならない。」
という考え、固定観念を持っていたので、そんな自己矛盾を子どもたちに鋭く突かれたような気がして、ものすごく苦しみました。
Aさんにも平等に接するようにすれば、子どもたちからの追及は逃れられ、自己矛盾も解消するでしょう。でも、そうしたらAさんは…

Aさんに特別な接し方をすることで、Aさん自身にも変化が少しずつ起きていることを僕は感じていました。
彼女を受け止めることで、自己肯定感が芽生え始めている、そんな気がしていたのです。
今、対応を変えれば、彼女はまた元に戻ってしまう。
本当にそれでいいのだろうか。

ずいぶん悩みました。

ところが、天の啓示のように、ふっとある考えが、突然ひらめいたのです。
「Aさんだけを特別扱いするから、いけない。クラスの子ひとりひとり全員を特別扱いすればいいんだ。」
その結論に達したきっかけは覚えていません。
でも、それが自分をとても楽にしたことを覚えています。
僕は「平等」という言葉に囚われすぎていて、同じような対応をすることを平等と思い込んでいたのです。
そうではなくて、Aさんを含め、クラス1人ずつを本当に大切にしようとするなら、それは画一的な同じやり方でいいはずがなかったのです。
ベストな接し方は、クラスに100人子どもがいたら、100通りあるはずなのです。
どうしてこんな当たり前のことに気が付かなかったんだろう。
いつも口では個性を大切に伸ばしたいと言っていたのに。
なんてことを思ったことを覚えています。

それからは、気が楽になりました。
同時に、クラス1人ずつ、それぞれへの接し方を意識するようになりました。
子どもたちに「えこひいきだ。」って言われても
「そうだよ。えこひいきだ。だってAさんにとって、そうしてあげるのがいいと思うからだよ。」
と答えるようになりました。そのかわり、必ず次のようなことも付け足すようにしています。
「君については、こんな風な接し方を考えているよ。例えば〇〇の時間に、自信のありそうな表情のときには、積極的に発言をしてもらおうと思っている。それから、つらいときほど隠そうとするから、気をつけて見ているつもり。どう、そういう接し方はダメかな。」
つまり、誰についても、自分がどう考え、どう接しているつもりかを伝えられるようにしたのです。

もちろん1人ずつ目に見えるような違いの接し方ができているかと言えば、それは理想通りにはいきません。
でも、そう意識すること。それから、「ひいきだ」って言われたときに、胸を張って「そうだよ」と答えてその理由が言えるようになったこと。それは自分の中の大きな考えの変化でした。

Aさんとは卒業するころには、心の交流が持てるようになったと思います。
周りのAさんを見る目も、初めとは大きく変わったように思います。
これでよかったと、思える変化でした。

そして、Aさんと接することで、自分も大きく変わりました。

平等より大切なことがあると今の自分は考えています。1人ずつ、もれなくえこひいきすること。
その子にあったオーダーメイドの教育をすること。その先にこそ、本当の平等があるのではと、今は考えています。