2019年3月31日日曜日

学級経営観を問い直す

8月20日から22日までの3日間開かれた日私小連全国教員夏季研修会に参加した。
今年度は学級経営部会に主に参加した。
学級経営部会に参加した理由はいくつかあるのだけれど、そのなかでも大きなものは、3日目の講師が自由学園の最高学部の特任教授、成田喜一郎先生だったことだ。

成田先生は、3年前に長期研修で学んだ東京学芸大学教職大学院で教鞭をとられていた先生だった。

その講義はいつも難解だった。
僕だけの感想ではなく、他の院生も同様に感じていたので、僕の不勉強からくる感想ではなかったと思う。
厚みのあるやわらかな美声で、初めて耳にするカタカナ語が連発される講義は、正直言えば時には眠気を誘うものだったけれど、分からないにも関わらず僕はその授業が好きだった。
(分かりやすさは必ずしも良い授業の条件ではないといえる。難解でもおもしろい授業はある。これはとても興味深い実感。)

成田先生はいつも前向きだった。
他の授業では、不安を煽られたりすることが多少なりともあった。
それは、今の教育界をとりまく空気をまっとうに表したものであったと思う。
しかし、成田先生の授業は、先生自身が教育を愛し、楽しみ、慈しんでいることがいつも伝わってくるものだった。
そして何より膨大な知識と長い現場経験がまじりあった、うまく言えないが教養の巨人ともいえる成田ワールドに足を踏み入れることは、底なし沼にはまっていく良い意味での怖さがあった。
知的な好奇心というのは、きっと怖いもの見たさのようなものだ。
(学部時代に後に学芸大学の元学長を務められた鷲山先生に同様の気持ちを抱いたことを覚えている。)
 
悪い癖で、会場にほんのちょっとの遅刻で飛び込む。
会場が7階で、エレベーターがなかなかこなかったせいだ。
司会が成田先生の紹介を始めようとしていたときだった。
空いていた最前列、成田先生の目の前の席に座る。
成田先生と目が合う。
とても似合っていた口ひげはきれいになくなっていたが、相変わらずおだやかな目元であった。

ホリスティック教育、ESD、歴史等、成田先生が学ばれ、拓いてきた分野が紹介されていく。
関わられていることが実に多岐に渡るけれど、通底するものがある気がする。
おそらく成田先生自身は様々なことに手を広げている感覚は無いように思う。
僕の口から通底するものを単純化して言うことは控えるべきにも思うけれど、多分それは、人が生きる世界を理解し、より良くしていくために、今と未来何をしていくべきなのかということと言えそうだ。
教員だったらみんな共感することではないだろうか。

成田先生が話し始める。
スクリーンに出されたテーマは「ライフヒストリーの中の子どもたちと学級-現在と過去の対話-」。
成田先生の教員としてのこれまでの経験をエピソードをもとに起承転結に物語ること(ナラティブ)から、私たちが「学級経営」観を問い直す入り口に立つことが授業の目的であった。
「問い直す」という言葉を聞いて、そういえば2015年4月1日、教職大学院の初日に成田先生が話されたことも「問い直し」だったなと思い出した。
そのときはたしか「Unlearn」という言葉を使っていた。とても懐かしくなった。
 
身体性を実感するために木坂涼という詩人が書いた詩の朗読をするミニワークから授業がスタートする。
ワクワクと戸惑いが混じった表情を会場の教員が浮かべる。ああ、成田先生の授業だ。

起のエピソードはご自身の小学校時代の恩師や多様な同級生とのエピソードであった。1960年代に自らが受けた授業を情感たっぷりに語られる。
「私立の方はあまり学習指導要領を意識していないでしょうが…」と話していたが、もしかしたら成田先生は恩師のエピソードと学習指導要領との関係性をもっと語りたかったのではないかと感じた。
なぜなら語られる恩師の授業の思い出は、戦後すぐの学習指導要領試案が標榜した経験主義の教育を色濃く表しているように思えたからだ。

僕が学習指導要領や、経験主義と系統主義について学んだのも成田先生のレポート課題がきっかけだった。
公立の教員である他の同級生に比べ、知識が圧倒的に足りなかったので、必死で何冊も文献を読んで、自分なりに解釈して書き上げたレポートだった。
稚拙なレポートに、本当に丁寧にコメントを返してくださったことを思い出す。
教育を社会の流れ・文脈で捉えられるようになったのは、この学びのおかげだ。

たしか恩師の授業を「牧歌的」という言葉で表されたと思う。
この言葉が今もひっかかっている。
何やら毎日僕らは何かに急かされながら日々忙しく焦っているけれど、教育って「牧歌的な営み」であるべきではないか、あの日から急にそんなことを思っている。
少なくとも初等教育は、初等教育のなかで醸成される学級は、ゆるやかで温かい日々のなかにあるべきだと、そんなふうに強く思うようになって、そのことでなんだかやっぱり焦っているんだから、もう矛盾だ。
気がつくと、こんなふうに僕は学級を問い直している。

僕の原初的体験を一度言葉にして記録したい。
高橋先生に中西先生、春原先生、彼女たちは僕に何を与え、僕は何を学んだのだろう。
きっとあのエピソードを僕は取り上げるに違いない。

承のエピソードは意外だった。
いつも前向きなエピソードを話す成田先生が、中学校教員として初めて担任を持った時にやってしまった2人の生徒の信頼を失ったエピソードを話したからだ。
それは、やってはいけない失敗だった。
その40年近く前の失敗を、成田先生はまるで昨日起きたことのように、笑顔だけれど苦しそうに語る。
その姿は、見慣れた大学教員としてではなく、現場教員としての姿に見えた。
教養の巨人が、その時はふっと等身大でそばに来た気がした。
成田先生は今でもこの失敗の痛みを持ち続けているのだと思った。

転のエピソードは、ホリスティック教育との出会いについてだった。
成田先生と言えばホリスティック教育と先生を知っている人はきっとそう言うだろう。
でも、その出会いは、本当にいくつかの偶然が重なってもたらされたことを知る。
もちろん、貪欲にあがくように学んだからこそだ。
求めよ、さらば与えられん。
僕もあがき続ければ、いつか自分が心から納得できる教育観にたどり着けるのだろうか。

ホリスティック教育のもととなるHolism哲学は、おそらく3年前の大学院での授業でも提示されたのだと思う。
ただ、そのときはピンとこなかった。
それがどうだろう。
3年経った今、つながりという言葉が何度も出てくる5つの文章から成るHolism哲学が書かれている箇所に、僕は何本も下線をひいた。
その変化は自分がこの2年半教務主任を務めていることに無縁ではないだろう。
学校全体を見る立場になったことで、これまで意識していなかったつながりを強く意識するようになった。
つながりこそが教員や学校を支え、子どもたちを支える。
相手がたとえ無意識だとしても、自分がつながりを構築していくことでより良い状況をもたらそうとしているように、自分自身が意識できていないつながりが無数にあることが分かった。
そういえば今回の講義では話されなかったが、成田先生がよく口にされていたケアという言葉が、ここ最近は常に頭にある。
3年前学んだことと今がつながっていく。

結のエピソードは残念ながら時間の都合でほとんど話されなかった。もっと講義を聞いていたいと思った。
かわりに自分なりにこの講義を結びたい。

この2時間弱の講義を受けていて、僕の脳裏に浮かんでいたのは、成田先生が以前話されていた内村鑑三の「楕円の思想・哲学」だった。
これは物事の真理は、中心がひとつの円ではなく、2つある楕円だというものだ。
物事の正解はひとつではなく、2つ以上の解の適切な緊張とバランスの中から見出されるものと、自分では解釈している。
初めて聞いたときには、鷲山先生から教わった「アウフヘーベン」を思い浮かべた
22の時に教えられた「アウフヘーベン」、そして35の時に教えられた「楕円の思想・哲学」は、何かしら思索の小路に迷い込んだ時に、ふっと思い浮かぶ考えになっている。
今回もこれを思った。
端的に言えば、成田先生という人が、楕円なのだ。
体系的な知を湛えた人であると同時に、経験的な感情に結びつくよう学びの貴さを誰よりも知っている。
研究者として俯瞰の目で教育を捉えながら、実践者として子どもの傍に立つ視点や心を持ち続けている。
(さらに世阿弥の言う「離見の見 目前心後」という自らを見る視点も持たれている。)
ロマンチストかつリアリストだ。
記憶を記録にかえてポートフォリオ化すると同時に叙事的に詩のようにも綴っていく。
前向きのかたまりのように思っていたが、今回痛みと弱さが垣間見えた。

成田先生は楕円のまま、僕らの前に立つ。
楕円を円のゆがんだものとは捉えていないだろう。
だから決して自らを円に直そうとしない。
2項対立や矛盾、カオスを内包していく。
そして、さらに高次のものに昇華しようと探究し続け、アウトプットし続けていく。
この行為も真理へのつながりというのだろう。ホリスティックだ。
教育や学級もそこを目指すのではないか。
こじつけのようだけれど、たしかにそう思うのだ。

社会が大きく変わると言われている。
変化は不安を煽る。
不安なとき、人は単純で分かりやすいものにすがろうとする。
僕らひとりひとりの教育者も、単純で分かりやすく力強く聞こえる教育観に寄りかかることで安心しようとしているように思う。
そして、それに沿って学級の在り方も分かりやすく単純化されていく。
まるで、中心という名のたった一つの正解に向かう円のようになり、どんどんそれは狭くなっていく。

いや、違う。
教育は、学級は、人の営みは単純化はできない。
どこまでも複雑だ。
子どもたちひとりひとりはありのままで尊い存在なのだという真理を守れば守るほど、学級は複雑になる。
その複雑さを、そのまま楕円として内包していくのが学級経営なのではないか。
それを実現しようとすればするほど、楕円は広がらざるを得なくなっていく。

講義中にはたどり着けなかったが、考えたことを言葉に直していくなかで、「学級経営」観を問い直すという成田先生の初めの問いに対して、「人の営みという複雑さを内包するために広がりをはかっていくことが学級経営である」という一応の答えにたどり着けた。
ただ、ここでもう一つ問いが自分の中で浮かび上がってきた。
では、複雑さを抱きながら、それでも楕円という緊張とバランスを保った形に整えるためには何が必要なのだろうか。
ただ複雑なだけでは、いびつな形になる気がする。
ここにこそ、内包されたの同士のつながりが必要な気がする。
ひょっとしたら、取り巻く外側のものとのつながりも必要かもしれない。

まだまだ葛藤は続く。
その解は、これからも成田先生とのつながりの中で考え、見出していきたいと思う。

2019年3月21日木曜日

今、思うこと

学校に勤めはじめると同時に、今の街に住むようになった。
これまでに何度か引っ越しをしたが、結局市内を離れることはなかった。
気がつくと、この街がこれまでで一番長く住んだ場所になった。
この街が好きだ。
足の向くままに歩くと、心が凪いでいく。

特に好きな場所は、大学の西校舎の裏手。講堂の脇から奥に入っていく。グラウンドを横目に留学生寮へと抜ける道は、緑がうっそうとしげり、まるでどこか別の世界に来たように思える。

休日の朝に、校内のみや林をゆっくり歩くことも好きだ。頭の上から鳥の声がふってきて、つられて見上げると、濃い緑から漏れてくる朝日に目を細めることになる。そのとき、自分をとりまくこの世界をすべてゆるやかに受けとめたくなるような、そんな大げさだけどおだやかで優しい幸せな気持ちになる。

それは武蔵野の美しさなのだと思う。

その美しさを見事に書き表した国木田独歩の「武蔵野」に次のような一節がある。
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。」
これを読むたびに、僕は学校の子どもたちを思い浮かべる。本校に学ぶ子どもたちはこうあってほしい。

誰かが据えた目標に向かってまっすぐ最短距離をいくのではない。
ときに遠回りに見えたり、行ったり来たりに見えたり、立ち止まって見えたり、まるで迷っているような、そんな姿で子どもたちは学ぶ。

その迷いのなかで、多くのあざやかな景色を見る。
足元に咲く野花の可憐さに気づく。
流れていく雲の形に心の内を映し出す。
鮮烈な空気を胸いっぱいに吸い込む。
時にともに歩く友の横顔に安堵し、時にひとりで歩く不安を誇る。
深くどこまでも広がる思索の森に遊ぶ。

武蔵野に、本校に学ぶ子どもたちはそうであってほしい。

と書いてみたが、何のことはない。結局は自分がこうありたいのだ。
自分もまた、武蔵野に、本校に学ぶ人でありたいと思う。