2016年7月25日月曜日

苫野一徳・岩瀬直樹による「教師の学校」という講座に参加して

昨日は教育哲学者の苫野さんと稀代の教育家である岩瀬さんによる講座「教師の学校」の第2回だった。
僕はこの2人から多大な影響を受けている。
今日は個別化と協同化の融合についてが主なテーマ。
個別化というのは、学校での学びを、個々人のペースややり方、興味関心を尊重した形にしていこうという考え方。
授業というと、教師が説明し、子どもはそれを聞き、合図とともに課題に向かい、一律の時間で解説が始まる…というのが一般的なイメージだと思う。
個別化はまったく違う。
例えばそのやり方の一例は、一週間に最低限やることは教師が提示し、子どもたちがそれをもとに計画表を作成して、それに沿って学習を進めていくやり方。教師が一斉に授業をすることが無くなるので、時間割はゆるやかになり、子どもの裁量に任される時間が多くとられる。ある子は算数の問題を解いているけど、ある子は漢字ドリルをやっている、そんな光景が当たり前になる。
別のやり方では、学びの場の個別化があった。これは校内のどこでも、自分が学びやすい場所を選ぶというもの。教室だけでなく、図書室や外のベンチなど、子どもたちは思い思いの場所で学ぶ。教員はその時間、子どもがいる場を探しながら、アドバイスをしていく。
想像できただろうか?これまでの当たり前とは違うが、そういう授業が実際に行われている。
ただ、個別化だけだと孤立化につながっていってしまう。
公文と変わらない。
ここに子どもたちが共に学ぶ意義を考えていくというのが、個別化と協同化の融合という今日のテーマだった。

講座の初めは「自由の相互承認」についての参加者の実践の話。
この自由の相互承認というのが苫野哲学の芯を成す。
簡単に言えば、自分が自由であるために、周りの自由も認めていこうという姿勢や感度を育むことこそ学校でやっていくべきでしょうと苫野さんは考えている。
これについては詳しくは「どのような教育が「よい」教育か」とか「教育の力」といった苫野さんの著書をぜひ参考にしてほしい。

とは言うものの、僕のグループは具体的な実践にはあまり話がいかなかった。
「自由の相互承認」の途上にあると話し始めたある先生の話に時間をかけたのだ。
学期途中に家庭の都合で転入してきた子。
望まない転校。DVの記憶。
心の体温が下がり切っている子が、クラスの温度も下げていく。
おそらくその先生の気持ちも冷ましたのだろうと感じた。
嘘や物取り、人を傷つける言動、転入生のネガティブなエピソードが次々と語られる。
打ち切らなければまだまだ出てきただろう。
「個別化とか、そういうこと言っている段階にはない。」
そう先生は話した。
そこに少しの引っ掛かりを感じてた。

一日たって思う。だからこそ個別化なのだ。
だって、その子の事情は実に個別的だからだ。
そのような背景を背負っている子を、ほかの子と同じには接することはできないだろう。
学習の個別化は、それぞれのペースや興味を認め、尊重していく学習方法と言える。
では、それぞれの性格や振る舞いや生き方を受け止め、認め、尊重していく生活の個別化はできないのだろうか。
できるのではないだろうか。
個々の学びが尊重される学習の個別化が成立している学級なら、学習を生き方に置き換え、生活の個別化も叶えやすいのではと思った。

そんな話をあの時にできればよかったのかもしれない。

その後、他のグループでの話し合いを聞く時間になった。そこで、学習の個別化に踏み出している教員が複数いることを知った。
子どもが自分の興味関心、ペースを考え学習計画をたてる。それに沿って、自ら学習を進めていく。
そんな実践を数名から聞いた。
一般の授業とは離れたことをやっているから、もっと特別なオーラをまとった先生方かと思ったが、むしろたたずまいは普通だった。
でも、そういう人たちが個別化に踏み出していた。
そして一様に、「やってみたらできた」と言う。
きっと「やってみたらできる」のが個別化なのだと思う。
だって、個別化のほうが、あきらかに子どもたちの持っている力を阻害しない学習方法だ。
今の「全員で同じペースで学んでいきましょう」という学習方法のほうが、実はずっと無理を押し通していると言えるだろう。
どっちがやりやすいかって、答えは見えているのではないだろうか。
「えいや」の思い切りで個別化はやっていけると感じた。

次に読んだ岩瀬さんの資料は圧巻だった。
実は1学期から受け持っている社会の授業で「自由探究」という方法で学ばせるようになり、自分なりに手ごたえを感じていた。
やり方は違えど、うまく言えないが、岩瀬さんの実践に少し近づいたんじゃないかと思っていた。
が、今日の資料でその背中がすごい勢いで離れていった。

僕は子どもたちが「学びを進めていく」ことを目の当たりにし、その力を確信し、そう確信できたことに、少し満足していた。
でも、岩瀬実践では子どもたちはさらに、「学びを計画」し、「自己評価する」ことまでやっていた。
ぐうの音も出ない。
それらが身に着けば、ひとりで学んでいく素地が完成する。
小学生でそうなれば、どれだけその後の学習を自分のものにできるか。
教科の細かい内容なんかよりずっと大切で有用で、意味のある学習だ。

ああ、また背中が見えなくなった。

苫野さんの話は、もうその通りだよなあという共感する話。
パーカーストの引用は特に突き刺さる。
「自由とは、自分の必要なだけの時間をとることである。他人の時間でするのは奴隷である。」
つまりこれまでの学校は、社会の奴隷を作る機関だったんだなと思う。
誰かはそれを自覚的に、そして教員はそれを無自覚に良かれと思ってそうしてきた。
今がそれを変える時なのだと思う。
僕たちが変える世代になれるのではないだろうか。

うまっちの実践報告は、もうね、分かっていたから。
かっこよかったなあ。あまりにかっこよくてまっすぐに妬んでしまいそうになる小さい自分に出会った。
一方で、うまっちの語らない努力を知っているつもりなだけに、何とも言えない気分にもなった。

再び話し合いの時間。
それも面白かったけど、その後の岩瀬、苫野両人の話が強さを持っていた。
「本当に協同化がベースなのか?」
これには揺さぶられた。
僕ははっきり言いたい。
個別化が大前提だ。個別化が成らない協同化は、全体主義や同調圧力から逃れることはできない。
個別化がまず意識されることは最重要だろう。
とは言うものの、その考え自体が安易な二項対立を用いる「問い方のマジック」に嵌まっているのでは、という意見にもはっとさせられた。

そして、最後の参加者の鋭い投げかけ。
「小中学校でルールを作る経験をしていないから、高校でははじめからあきらめている。」
がつんと頭を殴られた。

本校の年度初めの生活指導のプリント。
僕が働き始めた14年前に比べ、ぐっと分量が増えている。
誰も悪意を持って増やしてはいない。
子どもたちの生活が円滑になるように、先回りして先回りして、やってはいけないことをあらかじめ教えている。
良かれと思ってやっていることだ。
そのことで子どもたちは失敗やぶつかりを回避していく。
そして、自由と自由がぶつかることもない。
ぶつからないようにデザインされた自由の中で過ごすのだから当然だ。
子どもたちは困らない。
一見問題ないように思う。
でも、その投げかけに僕は自問自答する。
自由と自由がぶつかる経験。
そこから自分たちでルールの必要性に気が付く経験。
ルールを創っていく経験。
成熟とともにルールを更新していく経験。
その経験から生み出される社会の主体者たる意識。
ああ、僕たちの良かれと思った先回りは、目の前の衝突から彼らを回避はさせられるけど、そのかわりに、これらの経験や意識を涵養する機会を、根こそぎ奪ってしまっているのではないだろうか。
ともに生活するときに必要なのは、ルールなんだけど、本当の本当に必要なのは、ルールを創りだし更新していく経験なんじゃないだろうか。
ああ、この気持ちを学校の人たちと共有したい。強くそう思う。

講座後の飲み会も刺激的だった。
暗くなる話が多く、僕もその話を引っ張ってしまったが、実は希望も持っている。
僕は日本の教育や学校、社会は、いまだ民主主義の完成の途上にあると思っている。
形式上は民主主義だけれど、本当に国民が主体者となる経験はまだまだ不足していると思っている。
逆に言えば、まだまだ教育、学校、社会は可能性に満ち溢れていると思っているのだ。
良くなる余地がたくさんある。
それって希望だ。
僕たち教員はその希望に貪欲に飛び込んでいけばいいのだ。
どっかで自分はそれができるんじゃないかと、自分に期待している。わくわくしている。
そう思っていることに今書いていてたどり着いた。


2016年7月2日土曜日

強い声を出したことで、子どもを正しい方向に導けたと思った日の話

4年生授業では、ごみの学習終わりにさしかかっていた。
まとめとして新聞づくりをやろうと考えていたので、その前に、子どもたちにこれまで学んできたことを振り返させることにした。
今回は自由探究と名付けたごみに関することを個々人で自由に調べる時間を大きくとった。
(この自由探究については、来月にでもまとめたい。)
そうすると、教員が一方的に教えるのではないので、ひとりひとり学んだことが変わってくる。
大きめのホワイトボードを4人に1つ用意して、それぞれが学んだことを出し合い、リストにさせることにした。
そこで会話が生まれれば、それぞれの学びが共有されると思ったからだ。

やり始めると、うまくいくグループとそうでないグループが現れる。
学習の振り返りを子どもたちに任せるのは初めてのことだったので、戸惑うことは想定していたので、あわてることはなかった。
ひとりひとりが自由探究を深められていたのは確認しているので、共有がうまくいかなくても、まとめにはうつれる。
むしろ今回うまくいかなくても、それを次の機会の糧にできればいいと思っていた。

とは言うものの、うまくいかないグループを中心に見て回りながら、ひとことふたこと声はかけていった。

ある班の男の子、ススは、勝ち気な女の子が中心となって進めているのが気に食わないのか、着々とリストが書き足されていくのを横目に、ホワイトボードの片隅に何やら落書きをしていた。
「スス、この前調べてたあのこと、すごくうまくまとめられていたよ。それをリストに付け足してごらんよ。」
と声をかける。
彼の提出物を認める良い活動への促し方を選んだつもりだ。(実際に良いものを提出していた。)
顔をあげるスス。うなずいている。
安心して、別のグループのところに向かった。
5分ほどして、ススのグループに戻る。
すると彼は落書きを続けていた。しかも、今度はホワイトボードの片隅ではなく、余白いっぱい、ボードの半分くらいを使った大きな大きなまき○その絵だ。
その下品な絵が、他の3人が書いたリストを浸食しかけていた。
「スス!」
思わずドスの利いた大きな声を出してしまった。
普段は出さない声の出し方をした。ススの背中が伸びる。気まずそうに、少し怯えながらこっちを見る。
小さな声で「ごめんなさい。」と言った。「ちゃんとやりなね。」いつもの穏やかな声でそう伝えた。

やってしまったなあと思った。子どもたちの自主性を大切にするのに、教員の大きな声は彼らを縛るものになりかねない。
これまでの授業では極力抑えてきたつもりだった。
でも、かっとなって言ってしまった。でも、あの場でどうすればよかったのだろう。

授業の終わりに、意外なことにススがホワイトボードを持ってきた。
いたずら書きは無く、きちんと学んだことがリスト化されて並んでいる。
「おっ、うまく作れたね。」
声をかけると、ススははにかんだ笑みを浮かべた。

『ああ、あそこで大きな声を出してしまったけど、結果として正しかったんだな。よかった。』
と思った。
自分では出すまいと思っていた大きな声だけれど、そこでああいう手段をとったことで、今日の学習がススにとっていいものになったようだ。ススにとっても、メンバーにとっても良かったんじゃないか。そう思って安心した。
やっぱり大きな声を出さざるをえない場合は存在するんだろう。今日はその場合だったんだ。



でも、頭の斜め後ろくらいから声がする。
「本当にそうなのか。」
自分を斜め上から見ている自分からの声だった。
今年は日記をつけている。日記をつけるようになると、日常の中で自分を少し離れたところから見つめる自分が現れるようになった。
「本当に、大きな声を、ドスの利いた声を出すことは、手段としていいことなのか。成功体験として収めていいことなのか。」
そいつがさらに問い詰めてくる。
「だから、ススくんは、それでうまくいっただろ。」
振り払うように答える。
「では、周りの子たちはどう思っただろう。クラスの子たちはどう思っただろう。」
「クラスの子たちは…怯えた子がいるかもしれない…。」
「その子が怯える必要はあったの?」
「悪いことをしていた子は叱られるって、それで分かったかもしれないじゃないか。」
「悪いことをしたら叱られるってことは、そんなやり方じゃないと伝えられないことなの?
そもそも何もしていない子を怯えさせるって、それは悪いことじゃないの?
まき○その絵を描くことは、もちろん褒められることじゃないけれど、中年の体格のいいおっさんが、ドスの利いた声を教室に響かせることは許されることなの?」
僕が僕を責めるような質問をしてくる。
「うう…。もしかしたら、…よくなかった…かもしれない…。」

このあたりから、斜め後ろから質問を投げかけてきた僕が僕の中に入ってくる。
自問自答は続く。
何が悪かったのだろう。ドスの利いた声は、脅しだ。(実際にドスの語源は脅しからきているそうだ。)
脅しとは暴力性を含むだろう。
悪い行動に対し、僕は力をちらつかせた。
結果として悪い行動はおさまった。が、それはもしかしたら、悪い行動に対しては、暴力にも似た力をちらつかせてもいいという、そういうメッセージを子どもたちに送ったのではないだろうか。
そこまで考えが進むと、今日の自分の行動に強い後悔の念が襲ってきた。

今日の行動はどうしたらやり直せるだろうか。
子どもたちに今日考えたことを正直に伝えてみようか。
また同じような場面に出くわしたときは、今日の後悔を思い出して、別の方法をとりたいと思う。
僕の行動は、自覚的であれ無自覚であれ、すべて子どもたちへのメッセージとなる。
この日、それを改めて意識した。