2019年7月28日日曜日

成長と今の自分

「学校は子どもたちの成長を支えるところ」と様々な場で伝えている。
でも、ふと立ち止まって考える。
そのことで、僕は「あなたたちは成長しなければいけない」ってメッセージを常に子どもたちに送り続けてはいないだろうか。
そうなっていたら、それは相当息苦しい。
「学校が子どもたちの成長を支えるところ」であるためには、子どもたちに「今のあなたでいいんだ」って常に伝えていくことが大切なのだと思う。
それが結局は人を自ずと成長させていくことにつながっていくんじゃないだろうか。
それは逆説的だ。
それに現実には難しいこともあるんだけれど、現実にばっか合わせていたら、現実を変えていくことはできないでしょう。

2019年4月28日日曜日

碧落

最近、碧落(へきらく)という言葉を知った。
意味は青い空。
そこから転じて、遠いところという意味も持つ。
「碧(あお)」に「落ちる」という言葉を組み合わせて、青い空というのは、どうも腑に落ちない。
碧はどこに落ちていくのだろうか。ずっと気になっていた。

ある日の午後のこと。
教員室からグラウンドをぼうっと見ていた。
その日はまさに碧落と表すことができるような青空が広がっていて、子どもたちは思い思いの遊びをしていた。
それはのどかで優しい光景で、思わず口元がゆるんでしまった。

ふっと、気が付いた。
碧が落ちていく先、それは心のなかだ。
空の青さに、ゆるやかでおだやかな感動をするような、そんな青空を碧落というのだろう。
ちょうどそのときの自分の心もちのような。
学校に通う子どもたちにも、空の青さが心のなかに落ちてくるような、そんなゆるやかでおだやかな感動を、日々のふとした瞬間に感じてほしい。
そのためには、落ちてくる空の青さを受け止めるだけのやわらかさが、心に必要だろう。

子どもたちの心がやわらかでいられるように、また一年精を出していきたいと思う。
「一人ひとりの子どもの心のすみずみにまで行きわたる教育を」の言葉を大切に、丁寧に子どもたちに寄り添っていきたい。

2019年3月31日日曜日

学級経営観を問い直す

8月20日から22日までの3日間開かれた日私小連全国教員夏季研修会に参加した。
今年度は学級経営部会に主に参加した。
学級経営部会に参加した理由はいくつかあるのだけれど、そのなかでも大きなものは、3日目の講師が自由学園の最高学部の特任教授、成田喜一郎先生だったことだ。

成田先生は、3年前に長期研修で学んだ東京学芸大学教職大学院で教鞭をとられていた先生だった。

その講義はいつも難解だった。
僕だけの感想ではなく、他の院生も同様に感じていたので、僕の不勉強からくる感想ではなかったと思う。
厚みのあるやわらかな美声で、初めて耳にするカタカナ語が連発される講義は、正直言えば時には眠気を誘うものだったけれど、分からないにも関わらず僕はその授業が好きだった。
(分かりやすさは必ずしも良い授業の条件ではないといえる。難解でもおもしろい授業はある。これはとても興味深い実感。)

成田先生はいつも前向きだった。
他の授業では、不安を煽られたりすることが多少なりともあった。
それは、今の教育界をとりまく空気をまっとうに表したものであったと思う。
しかし、成田先生の授業は、先生自身が教育を愛し、楽しみ、慈しんでいることがいつも伝わってくるものだった。
そして何より膨大な知識と長い現場経験がまじりあった、うまく言えないが教養の巨人ともいえる成田ワールドに足を踏み入れることは、底なし沼にはまっていく良い意味での怖さがあった。
知的な好奇心というのは、きっと怖いもの見たさのようなものだ。
(学部時代に後に学芸大学の元学長を務められた鷲山先生に同様の気持ちを抱いたことを覚えている。)
 
悪い癖で、会場にほんのちょっとの遅刻で飛び込む。
会場が7階で、エレベーターがなかなかこなかったせいだ。
司会が成田先生の紹介を始めようとしていたときだった。
空いていた最前列、成田先生の目の前の席に座る。
成田先生と目が合う。
とても似合っていた口ひげはきれいになくなっていたが、相変わらずおだやかな目元であった。

ホリスティック教育、ESD、歴史等、成田先生が学ばれ、拓いてきた分野が紹介されていく。
関わられていることが実に多岐に渡るけれど、通底するものがある気がする。
おそらく成田先生自身は様々なことに手を広げている感覚は無いように思う。
僕の口から通底するものを単純化して言うことは控えるべきにも思うけれど、多分それは、人が生きる世界を理解し、より良くしていくために、今と未来何をしていくべきなのかということと言えそうだ。
教員だったらみんな共感することではないだろうか。

成田先生が話し始める。
スクリーンに出されたテーマは「ライフヒストリーの中の子どもたちと学級-現在と過去の対話-」。
成田先生の教員としてのこれまでの経験をエピソードをもとに起承転結に物語ること(ナラティブ)から、私たちが「学級経営」観を問い直す入り口に立つことが授業の目的であった。
「問い直す」という言葉を聞いて、そういえば2015年4月1日、教職大学院の初日に成田先生が話されたことも「問い直し」だったなと思い出した。
そのときはたしか「Unlearn」という言葉を使っていた。とても懐かしくなった。
 
身体性を実感するために木坂涼という詩人が書いた詩の朗読をするミニワークから授業がスタートする。
ワクワクと戸惑いが混じった表情を会場の教員が浮かべる。ああ、成田先生の授業だ。

起のエピソードはご自身の小学校時代の恩師や多様な同級生とのエピソードであった。1960年代に自らが受けた授業を情感たっぷりに語られる。
「私立の方はあまり学習指導要領を意識していないでしょうが…」と話していたが、もしかしたら成田先生は恩師のエピソードと学習指導要領との関係性をもっと語りたかったのではないかと感じた。
なぜなら語られる恩師の授業の思い出は、戦後すぐの学習指導要領試案が標榜した経験主義の教育を色濃く表しているように思えたからだ。

僕が学習指導要領や、経験主義と系統主義について学んだのも成田先生のレポート課題がきっかけだった。
公立の教員である他の同級生に比べ、知識が圧倒的に足りなかったので、必死で何冊も文献を読んで、自分なりに解釈して書き上げたレポートだった。
稚拙なレポートに、本当に丁寧にコメントを返してくださったことを思い出す。
教育を社会の流れ・文脈で捉えられるようになったのは、この学びのおかげだ。

たしか恩師の授業を「牧歌的」という言葉で表されたと思う。
この言葉が今もひっかかっている。
何やら毎日僕らは何かに急かされながら日々忙しく焦っているけれど、教育って「牧歌的な営み」であるべきではないか、あの日から急にそんなことを思っている。
少なくとも初等教育は、初等教育のなかで醸成される学級は、ゆるやかで温かい日々のなかにあるべきだと、そんなふうに強く思うようになって、そのことでなんだかやっぱり焦っているんだから、もう矛盾だ。
気がつくと、こんなふうに僕は学級を問い直している。

僕の原初的体験を一度言葉にして記録したい。
高橋先生に中西先生、春原先生、彼女たちは僕に何を与え、僕は何を学んだのだろう。
きっとあのエピソードを僕は取り上げるに違いない。

承のエピソードは意外だった。
いつも前向きなエピソードを話す成田先生が、中学校教員として初めて担任を持った時にやってしまった2人の生徒の信頼を失ったエピソードを話したからだ。
それは、やってはいけない失敗だった。
その40年近く前の失敗を、成田先生はまるで昨日起きたことのように、笑顔だけれど苦しそうに語る。
その姿は、見慣れた大学教員としてではなく、現場教員としての姿に見えた。
教養の巨人が、その時はふっと等身大でそばに来た気がした。
成田先生は今でもこの失敗の痛みを持ち続けているのだと思った。

転のエピソードは、ホリスティック教育との出会いについてだった。
成田先生と言えばホリスティック教育と先生を知っている人はきっとそう言うだろう。
でも、その出会いは、本当にいくつかの偶然が重なってもたらされたことを知る。
もちろん、貪欲にあがくように学んだからこそだ。
求めよ、さらば与えられん。
僕もあがき続ければ、いつか自分が心から納得できる教育観にたどり着けるのだろうか。

ホリスティック教育のもととなるHolism哲学は、おそらく3年前の大学院での授業でも提示されたのだと思う。
ただ、そのときはピンとこなかった。
それがどうだろう。
3年経った今、つながりという言葉が何度も出てくる5つの文章から成るHolism哲学が書かれている箇所に、僕は何本も下線をひいた。
その変化は自分がこの2年半教務主任を務めていることに無縁ではないだろう。
学校全体を見る立場になったことで、これまで意識していなかったつながりを強く意識するようになった。
つながりこそが教員や学校を支え、子どもたちを支える。
相手がたとえ無意識だとしても、自分がつながりを構築していくことでより良い状況をもたらそうとしているように、自分自身が意識できていないつながりが無数にあることが分かった。
そういえば今回の講義では話されなかったが、成田先生がよく口にされていたケアという言葉が、ここ最近は常に頭にある。
3年前学んだことと今がつながっていく。

結のエピソードは残念ながら時間の都合でほとんど話されなかった。もっと講義を聞いていたいと思った。
かわりに自分なりにこの講義を結びたい。

この2時間弱の講義を受けていて、僕の脳裏に浮かんでいたのは、成田先生が以前話されていた内村鑑三の「楕円の思想・哲学」だった。
これは物事の真理は、中心がひとつの円ではなく、2つある楕円だというものだ。
物事の正解はひとつではなく、2つ以上の解の適切な緊張とバランスの中から見出されるものと、自分では解釈している。
初めて聞いたときには、鷲山先生から教わった「アウフヘーベン」を思い浮かべた
22の時に教えられた「アウフヘーベン」、そして35の時に教えられた「楕円の思想・哲学」は、何かしら思索の小路に迷い込んだ時に、ふっと思い浮かぶ考えになっている。
今回もこれを思った。
端的に言えば、成田先生という人が、楕円なのだ。
体系的な知を湛えた人であると同時に、経験的な感情に結びつくよう学びの貴さを誰よりも知っている。
研究者として俯瞰の目で教育を捉えながら、実践者として子どもの傍に立つ視点や心を持ち続けている。
(さらに世阿弥の言う「離見の見 目前心後」という自らを見る視点も持たれている。)
ロマンチストかつリアリストだ。
記憶を記録にかえてポートフォリオ化すると同時に叙事的に詩のようにも綴っていく。
前向きのかたまりのように思っていたが、今回痛みと弱さが垣間見えた。

成田先生は楕円のまま、僕らの前に立つ。
楕円を円のゆがんだものとは捉えていないだろう。
だから決して自らを円に直そうとしない。
2項対立や矛盾、カオスを内包していく。
そして、さらに高次のものに昇華しようと探究し続け、アウトプットし続けていく。
この行為も真理へのつながりというのだろう。ホリスティックだ。
教育や学級もそこを目指すのではないか。
こじつけのようだけれど、たしかにそう思うのだ。

社会が大きく変わると言われている。
変化は不安を煽る。
不安なとき、人は単純で分かりやすいものにすがろうとする。
僕らひとりひとりの教育者も、単純で分かりやすく力強く聞こえる教育観に寄りかかることで安心しようとしているように思う。
そして、それに沿って学級の在り方も分かりやすく単純化されていく。
まるで、中心という名のたった一つの正解に向かう円のようになり、どんどんそれは狭くなっていく。

いや、違う。
教育は、学級は、人の営みは単純化はできない。
どこまでも複雑だ。
子どもたちひとりひとりはありのままで尊い存在なのだという真理を守れば守るほど、学級は複雑になる。
その複雑さを、そのまま楕円として内包していくのが学級経営なのではないか。
それを実現しようとすればするほど、楕円は広がらざるを得なくなっていく。

講義中にはたどり着けなかったが、考えたことを言葉に直していくなかで、「学級経営」観を問い直すという成田先生の初めの問いに対して、「人の営みという複雑さを内包するために広がりをはかっていくことが学級経営である」という一応の答えにたどり着けた。
ただ、ここでもう一つ問いが自分の中で浮かび上がってきた。
では、複雑さを抱きながら、それでも楕円という緊張とバランスを保った形に整えるためには何が必要なのだろうか。
ただ複雑なだけでは、いびつな形になる気がする。
ここにこそ、内包されたの同士のつながりが必要な気がする。
ひょっとしたら、取り巻く外側のものとのつながりも必要かもしれない。

まだまだ葛藤は続く。
その解は、これからも成田先生とのつながりの中で考え、見出していきたいと思う。

2019年3月21日木曜日

今、思うこと

学校に勤めはじめると同時に、今の街に住むようになった。
これまでに何度か引っ越しをしたが、結局市内を離れることはなかった。
気がつくと、この街がこれまでで一番長く住んだ場所になった。
この街が好きだ。
足の向くままに歩くと、心が凪いでいく。

特に好きな場所は、大学の西校舎の裏手。講堂の脇から奥に入っていく。グラウンドを横目に留学生寮へと抜ける道は、緑がうっそうとしげり、まるでどこか別の世界に来たように思える。

休日の朝に、校内のみや林をゆっくり歩くことも好きだ。頭の上から鳥の声がふってきて、つられて見上げると、濃い緑から漏れてくる朝日に目を細めることになる。そのとき、自分をとりまくこの世界をすべてゆるやかに受けとめたくなるような、そんな大げさだけどおだやかで優しい幸せな気持ちになる。

それは武蔵野の美しさなのだと思う。

その美しさを見事に書き表した国木田独歩の「武蔵野」に次のような一節がある。
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。」
これを読むたびに、僕は学校の子どもたちを思い浮かべる。本校に学ぶ子どもたちはこうあってほしい。

誰かが据えた目標に向かってまっすぐ最短距離をいくのではない。
ときに遠回りに見えたり、行ったり来たりに見えたり、立ち止まって見えたり、まるで迷っているような、そんな姿で子どもたちは学ぶ。

その迷いのなかで、多くのあざやかな景色を見る。
足元に咲く野花の可憐さに気づく。
流れていく雲の形に心の内を映し出す。
鮮烈な空気を胸いっぱいに吸い込む。
時にともに歩く友の横顔に安堵し、時にひとりで歩く不安を誇る。
深くどこまでも広がる思索の森に遊ぶ。

武蔵野に、本校に学ぶ子どもたちはそうであってほしい。

と書いてみたが、何のことはない。結局は自分がこうありたいのだ。
自分もまた、武蔵野に、本校に学ぶ人でありたいと思う。

2019年1月27日日曜日

明日からの授業に興奮している

明日からの授業が楽しみだ。
明日から、じゃないな。
冬休みの課題から始まっている一連の学習に、何より自分がわくわくしっぱなしなんだ。

4年生の社会科。
子どもたちは冬休みに、新聞などから、1つニュースを取り上げて、それについてレポートを書いている。
冬休み明け、そのレポートをグループごとにじっくり読み合った。
今、社会には数多くの解決すべき課題があることを実感しただろう。

先週は、教科書にのっている玉川兄弟について学んだ。
江戸の水不足という当時の喫緊の社会課題の解決に挑んだ兄弟だ。
1ⅿにつき、わずか2mmしか高低差がとれないという平らな土地、水が染み込んでいく場所やぶち当たる岩盤といった多数の地理的難題。
突きつけられる資金難。
そして、それらを乗り越えた先にあった、社会の変化。
社会課題とそれに対する解決へのアイデア、乗り越えなくてはならない困難、課題が解決したときの社会変革。
社会をよくしたロールモデルとして、とても分かりやすいストーリーだと思う。

そして、今週から始まる授業では、現代の玉川兄弟として、3回の授業で6人の人に、自身のことを語ってもらう予定だ。
6人は全員が起業家もしくは自分のプロジェクトを行っている人たちで、僕より若く、情熱的で、とにかく魅力的だ。
1回の授業に2人ずつ来るので、授業の後半は僕も含めた3人と子どもたちとのおしゃべりの時間もとれたらと思っている。
ひとりずつ来るよりも、予定調和ではないおもしろい化学反応がきっと起こるはずだ。
なんとも贅沢だ。
6人とも個性的で、話していて、わくわくさせられる人たちだ。
社会が人の手、情熱によってより良く変わっていくことを感じさせられる人たちだ。
(より良いって何だろうとも考えるきっかけになるかもしれない。)
子どもたちに早く会わせたい。
子どもたちはどんな反応をするだろう。
その心に何が生まれるだろう。何が灯るだろう。

6人の話を聞いたあとは、子どもたち自身が「社会をより良くするアイデア」を練ることになる。
子どもたちひとりひとりに、現実の社会課題を解決することや、自分自身が社会に投げかけたいことについて、立案してもらう。
レポートを書き、1分の原稿にまとめ、発表する。

ああ、どうなるだろう。どんなアイデアが出てくるんだろう。僕の心は動かされるだろうか。

楽しみでならない。

子どもたちと、社会を本気で変えようとしている若者を出会わせたい。
子どもたちに、社会は人の手によって変わっていくものだって感じてほしい。
社会はよくわからない偉そうな誰かによって動かされるのではなく、私と私たちによって変えていくものだって、そんなふうに思ってほしい。
そう、これは僕なりの民主主義を先に進めていくための授業なんだ。


と、興奮気味に書いた。
授業に興奮できるなんて幸せだなと思う。
この流れを思いついて、起業家の人に協力を仰いだら、みんな2つ返事で了承してくれた。
井上さん、須知さん、藤原さん、篠原さん、亮造に岡根谷さん。今回は予定が会わなかったけれど、他に協力をしようとしてくれた方もいる。
授業はまだだけれど、すごく感謝をしている。
それから、その人たちに出会わせてくれたボスに桐ちゃん、ピッチのアイデアをくれた堀井さん。
それにこの授業をしたいって思った源流には岩瀬さんや井桁の存在がある。
ありがとうございます。

人との関わりのなかで、僕の授業、子どもと行う学習も作られていく。
だからこそ、子どもたちにたくさんの魅力的な人に会わせたいと思う。

2019年1月20日日曜日

2019.1.4~1.6 HTH研修

2019/01/04

今日から武蔵野大学附属千代田女学園でのHTH(High Tech High)のPBL研修。
HTHというのはアメリカの先進的な学校で、PBL(Project-Based Learning)という方法で子どもたちは学んでいる。
今回の研修は、HTHから2人の教員が来日し、ワークショップを通してPBLについて学んでいく内容だった。

はじめはこの事業のパトロン?である経産省の浅野さんのスピーチ。
圧の強い情熱的な人だった。
自分が持っている官僚ってイメージとは違った。
「仕事が楽しい」って言い切っていた。
思わず昼休みに、「子どもたちに授業してください」ってぶしつけに頼んだら、そんなに悪い感触では無かった。
正直、教育の場に経産省なんていうどこかお金の臭いがぷんぷんする省庁が入ることに抵抗があった(ひどい偏見)。
でも、昼休み浅野さんと話すと、ものすごくクレバーな人で、ICT事業の拝金主義的な部分に対する批判もしっかりしていて、自分の浅はかなイメージが恥ずかしくなった。
同時に、今ある教育を大きく変えていくこと(破壊的イノベーション)は、積み上げてきた良さと背中合わせのしがらみを背負った文科省よりも、経産省のほうが起こしやすいのかもしれないなあとも感じた。
まあ、でもやっぱり現場の意地みたいなのも自分にはある。意地なのか意固地なのか、こうして振り返りを書いていたらくだらないものに思えなくもない。

ジョンがHTHとそこで行われているPBLの概要をおおまかに話す。
プロジェクトはハンド(常に何かを創る)・ハート(やりたいこと・役割の選択 自分の情熱を活かせる選択)・マインド(深い探究)のバランスが大切。
プロジェクトのデザイン指針
・公平性
・個別化
・真正な取り組み
・協働するデザイン

教員も二人一組でクラスを持つというのは、いいなあと思った。
教員自身が、まずは対話・協働からものを生みだしていく経験をしていく。
当たり前のことなんだけれど、学ばない人間が学びの楽しさを伝えることは難しい。(自戒をこめて)
僕は学んでいるんだろうか。

ワークは、簡単なアイスブレイクから、自分自身の学びの経験、その共有から重要な要素を見出す等、オーソドックスなものだった。
決して突飛ではない。
でも、細かいところだけれど随所にファシリーテーティブな配慮があった。
英語でもそれが伝わってくるんだから、やっぱりHTHの教員はたいしたファシリテーターなんだと思う。
ワークを促進する小さな配慮が細かに感じられた。
自然な笑顔で自然な語り口で緊張感をやわらげる。
随所にこちらの選択の余地を与えることで、やらされるワークから自分で決めたワークになっていく。
(小さな配慮に気づけるようになった自分の成長もちょっと感じた。)
もっと、想像もつかないようなアプローチをするのかと思っていた。
でも、そうではなかった。
思いもよらないようなやり方ではないのだ。PBLって、今自分の中にあるものから、そんなに飛躍したものではないのかもしれない。

その後、自分の学校でのプロジェクトの萌芽を探す時間があった。
・Oさんがやっている日直制度(写真・今日の一言)
・5年生の創作劇やお楽しみ会
・4年生社会 単元のまとめ 消火器プロジェクト 社会をよくするためのひとつのアイデア
・お祭り
・学級委員会企画
なんて感じでいくつかすぐに思い当たった。
自分を含め、やっている本人はPBLだなんて思っていないだろう。
でも、たしかにこれらはPBL的な要素を持った学習だ。意識的にPBLとして構成したら、きっとよりおもしろいものになると感じた。
そして、僕が今もその授業を越える感動を渇望している20歳のときの教育実習の授業も、図らずもPBLとなった授業だったなと思った。
そうか、僕はプロジェクトとしての学びの感動が出発点だったんだ。

そして実際にプロジェクトを組み立てるためのワークに移っていく。
まずは、リソースが無制限にある場合に、子どもが作り上げることができるものを5分で50個あげるワーク。
見学者としての参加だったんだけれど、見ているだけでは居ても立っても居られなくなり、近くの席の見学者4人で即席チームを組み、やり始めてしまった。
次に出されたアイデアをある程度やり方が分かり見通しが立てられるもの、もしくはムーンショット(困難だが実現すれば大きなインパクトのあるもの)・心が動かされるものの2種類に分けていく。

そして、その中から実際にひとつを取り上げ、そのプロジェクトの観客とプロジェクトのゴールであるエキシビジョンを考える。
学習の中身ではなく、ゴールとなる催しを先に考えるのだ。
ここで教員だけでなく、できるだけ外部の人や専門家に参加してもらい、批評を受けられるようにすることが、良いエキシビジョンだと言っていた。
きちんと社会に学習の成果を問い、応えてもらうこと。
たぶん、真正の学びってやつになるだろうと思う。

このプロセスをラピッドプロジェクトプランニングと呼んでいた。
このときに、とりあげるプロジェクトは先ほどのムーンショット・感動するものから選ぶという制約がかかる。
実現可能そうなプロジェクトから選ばないというのが、いやはや教員にも大きなチャレンジが促される気がした。

実際にSさんとやってみる。
お互い学校が違い、実現に向かう必要性が低い気楽さがそうさせたのか、次々にアイデアがでてきて、本当に楽しかった。
「新しい言語をつくる」というプロジェクトを即席で考えたが、本当に広がりと深さを作れ、学問的な学びも豊富なプロジェクトと思えた。

今日はここまで。明日も楽しみだ。


2019/01/05

HTH、PBL研修2日目。
そういえば、研修名がPBL×STEAMだったけれど、いまのところサイエンスやテクノロジーっぽさはまったくなく、アナログなワークばかりで、正直テクノロジーに疎い自分は安心している。

2日目はプロトタイプ(試作品)を作る経験から。
ハイヒールかボートのどちらかを選び(やっぱり選択の余地があった)、グループで段ボールと画用紙、はさみ、段ボールカッターを使い短い時間で作り上げるワーク。
昨日に引き続き、見学組でグループを組み参加してしまった。
僕らはハイヒールを作ることにした。
今回有効だったのは、とにかくまずは作ってみたこと。
話し合って計画して、できるって確信してから作り始めるのではなくて、大まかな計画を持って、とにかく作ってみた。プロトタイプってきっとそういうことなんだろう。
そうしてみると、作ってみた実感と実物があることで、早い時間に具体的な問題点が浮き彫りになった。
それができたのは、前半と後半の合間にとられた作業の手を止め、建設的な自己批評をする時間があったから。
行為の中の省察の時間か。
ここで新たなアイデアが浮かび上がり、結果としてはそのアイデアが非常に生きた。
初めの作業が走り始めた時点で、少しグループのなかで一歩後ろに下がった。だまっていれば二歩も三歩も前に出ようとするタイプだから、それでも前のめりだったかもしれないけれど、意識的に後ろに下がった。
そこまで自分の意見を反映させたいテーマではなかったからかもしれないし、勢いがついてからは、自分は口をはさまなくてもグループが前にすすみそうだったからだ。
それまでだまっていた女性の先生が意見を言い始めたことがうれしかった。
結果、できあがったものは、自分では思いつかないものだった。もちろん、すべてが自分の思い通りにはいかなかったけれど、でもおもしろいものだと感じた。
結構気に入っている自分がいる。

とりあえずプロトタイプを作ってみる。
その重要性をジョンは語っていたし、実感もした。
僕は今までプロジェクト的な学習の時間をしていたと思うけれど、そんな時間はとっていなかった。
子どもたちと試してみたい。

お昼前に卒業生のオカさんが簡単なスピーチをした。
HTHが好きだというオカさん。
どこが好きなのかという質問に対する答えが興味深かった。
「とにかく教員が魅力的。生徒と教員の距離が近いところ」
そう答えた。
これは意外だった。僕らはその教育内容こそがHTHの魅力と考えているけれど、卒業生が感じているものは別だった。
おもしろい。
でも、単にそれを人柄ってするのは違うんだろうなあと漠然と思った。
生徒の選択が大切にされることだったり、ともに探究する姿勢だったり、葛藤を受けとめながらファシリテートすることだったり、リフレクションが授業に溶け込んでいることだったり、そういう姿勢やスキルから生まれる魅力なのだと思う。
人の魅力というと、その人が持って生まれた魅力と思いがちだけれど、きっとトレーニングして見につくことや、トレーニングし続けようとする姿勢に、魅力はついていくのだろう。
実際にワークを受けていて、HTHの2人の教員のファシリテートは見事だと感じていた。
あとで分かったが、HTHの教員の養成を主目的とした大学院もあるという。
そして学び続けるための教員研修の仕組みもあるという。
それだよなあ。

午後のPBLパズルというワークが非常に興味深かった。
6週間のプロジェクトで行われる計画が1つずつの事象に細切れにされており、それを計画通りに並べていくというワークだ。
まずはこんなにも緻密に計画されていることに驚いた。
もっと、おおまかに計画すると思っていたからだ。
こんなに細かく計画したら、いわゆる一斉授業にならないかというのは疑問だ。
またもや見学組でワークにとりかかる。
与えられたテーマは蟻。
本当におもしろかった。
人によって計画の順番がこんなにも違うのかと驚いた。
どう考えてもこの順番だろうと自分が思う順番にならないのだ。
本当に違う。
きっと自分では気づかない構成のくせってあるんだろうな。
自分は導入を楽しくやりたいクセがあるんだな。
でも、やっぱり大雑把。
雑だからこそ、穴ができたときに、力任せに子どもを引っ張ってしまうのかもしれない。
他のグループも見て回る。
とにかく違う。面白い。
ということは、子どもだってプロジェクトの組み立て方って違うんじゃないかな。
ここまで緻密に組み立ててしまったら、こどもそれぞれの組み立て方は尊重できないんじゃないか。
ああ、いま強い疑問として浮かんだ。
明日聞いてみよう。

最後は昨日Sさんと作った「新しい言葉」を作るプロジェクトを、見学組でより精査していく。
今日はそのプロジェクトが持つ学問的な要素を多く見出だすことができた。
結局、こうしてプロジェクトとアカデミズムをつなぐ視点があれば、きちんとプロジェクトを通して学ばれていくものの意義を保護者に説明できるんだろうな。
今日から来た見学組の人も、このプロジェクトに興味を持ってくれてよかった。


2019/01/06

HTH、PBL研修3日目。
ひさしぶりに2日間フル回転で頭を使ったら、疲れてしまったのか朝はなかなか布団から動き出せなかった。

はじめは評価の話から。
いわゆる伝統的な成績表は子どものためにならないという。
まったくの同感。
成績≠評価。
ぐっときたのは、「評価とは、生徒を人として見て、それぞれの成長マップを書いてあげられること」という言葉。
翻訳を聞いたので、もしかしたら意訳なのかもしれないけれど、この言葉が心に届いた。
アセスメントやフィードバックこそが子どもを成長させる。
「ひとりひとりをきちんと見取る」という手垢にまみれた表現だけれど、やっぱりそれが大切なんだろう。
私が教えたことを理解しているか、ではなく、その子はこの学習を通してどんなふうに成長しているのかという視点でみられるかどうか。

自己評価の3つの質問もとても参考になった。
1.何がうまくいったか
2.何はもっとうまくできるか
3.それはどうやったらもっとうまくできるか
授業で自己評価は少しずつ取り入れているが、この3つを繰り返していけば、評価の精度が高まっていくように思う。というより、まずは自分のインストラクションがシンプルで分かりやすいものになりそうだ。

自画像を描いて批評し合うワーク。
僕はこれに苦戦した。
相手にとって意味のある批評。
ロンバーガーの言葉より、ジョンはそれを、親切で具体的で助けになるフィードバックと言った。
ただ、関係性のない相手に、具体的なフィードバックをすることに抵抗を覚えた。とても勇気がいる。
僕は躊躇してしまって、あたりさわりのないほめ言葉ばかりを書いた。
と、振り返ってみて気づいた。
結局これは自分自身を映し出している。
僕は信頼していない相手からの具体的なフィードバックを嫌っているのだ。
つまらないプライドがあるんだなあ、自分は。
目指している自分像とは違う自分に出会ってしまった。げんなり。

エキシビジョンとキュレーションのところの説明は、正直うまく理解できなかった。
終わった後に自分や周囲に変化があり続けるのがキュレーションてことだろうか。

プロジェクトチューニングというプロセスを、ある学校のふたりが計画したプロジェクトについて意見を言う立場で体験した。
これは、建てたプロジェクトの概要・感じている葛藤について伝え、外部者の質問によりプロジェクトの精度をあげ、深めていくプロセスだ。
概要や葛藤をプロジェクトの立案者が伝え、質疑応答ののち、立案者は傍観者となって、外部者同士の議論を聞く。この立案者が口をはさむことのできない議論の時間が長くとられていることが特徴と感じた。
途中から加わったNさんとプロジェクトについて議論する。
我ながら、プロジェクトをチューニングするいい議論ができたと思う。
それは、Nさんも、それから僕も、ある程度ファシリテートを意識していたからだと思う。
でも、それよりなによりも、立案者の2人が、とても受容的な雰囲気をまとっていたことが大きい。
何だろう。何で僕は2人のような柔らかさが持てないのだろう。
何で人に対して過剰に防衛したり、反応してしまうのだろう。
思いもよらず自分に足りないところを発見した。
でも、いやじゃなかったな。
とにかく、これはとても意義のあるプロセスだということを体感できた。
どう取り入れられるだろうか。

評価の解説の時に疑問を述べたことで、休み時間にジャメルが「あとで相談にきて」と伝えてくれた。
最後にその時間がとれたんだけれど、本当にこの時間がよかった。
シャイな子どもでもプレゼンをできるようになるためのプロセス。
まずはペアなど少ない人数で始める。
それから3人、4人…と聞く人を増やしていく。
人数を増やしていくときには必ず子どものフィードバックを聞く。
いきなり20人というようなサプライズはしない。
何回も小さなプレゼンの機会をつくる。
そうすることでプレゼン内容も子どもに内在化されていく。
ああ、なんだか言葉にすると当たり前のことになってしまい、なんだか残念だ。
「それは子どもたちに寄り添うってことですか?」と聞いたときに、ジャメルが微笑みながら深くうなづいた。
とても誠実で信頼に足る感じがあった。
たぶん、こういう人だからフィードバックが届くんだろうな。
ジャメルはさらに、自分が自己開示していく必要性も話してくれた。
自分自身も緊張したり苦しさを覚えることがあることも話す。
短い時間だけど、なんだかジャメルのハートの部分を感じることができた。
そうだよな、ここがやっぱりあるんだよなって安心した。
(ハートに頼って結局自分勝手になりがちなところがあるから、そこは自分を戒めたい)
昨日の強く引っ掛かっていた、細かくプロジェクトの内容を計画することで、結局子どもはレールに乗ったような学びになるのではないか、という疑問も伝えることができた。
ジャメルの答えはこうだ。
あくまで計画は教員の指針。
教員の描いた計画とは子どもの知的な興味の順序が変わることはよくある。
でも、全体の指針が教員にあるからこそ、順序が変わっても、それを受け入れられるのではないか。
むしろ計画がなければ、常にいきあたりばったりで、それこそそのときそのときに教員のあせりとともに決まったものを押し付けがちになるのではないか。
というもの。
心当たりがありすぎて、納得した。
最後に握手をしてくれたジャメルをとても身近に感じた。

HTHでは子どものアセスメントも、プロジェクトの準備も細かくなされている。
でも、それは、そこに子どもおしこめていくためではない。
子どもにより豊かな広がりと深まりのある学習をさせるために、緻密に設計するのだ。
僕は詰め切らずに、何とかなるでしょで、雑に放り投げてしまう。
実際に子どもの力でなんとかなることも多いけれど、成果も雑になることがある。
また、とっちらかってしまって、結局自分が引っ張ってしまうことも多い。
勘でやってしまう。
それでは、届かないんだ。それを実感した。
PBL風なだけで、終わってしまう。

ただ、光明も得ている。
今回の研修で数々の思考のためのフレームワークを知ることができた。
あれをうまく使えば、雑な僕の思考もうまく整理されるのではと、実感できた。
フレームワークは思考を制限するものでなく、整理し、次の一歩につなげやすくしてくれるものなんだ。
担任に戻ることが楽しみだ。
学年2クラスのうちの学校なら、ペアで組む教員とこのフレームワークが大いに活用できるだろう。

有意義な3日間だった。
英語の分からない僕にとって、通訳の方がいる安心感は非常に大きかった。
通訳だけでなく、本当にホスピタリティにあふれる場だった。
みんなで学べば楽しいよ。
えみさんが3日間繰り返し話していたこの言葉が、最後に浮かんできた。
本当に楽しい3日間だった。
終わるころには見学者グループに強い愛着を持っていた。いっしょの学校にいたら、きっと楽しいんだろうな。
Sさんに、「隣に座れてラッキーでした」と言われたときは「こちらこそ」の言葉が心から漏れた。
最後が情緒的になるのは悪いくせだけれど、終わってしまうことを寂しく思うくらいだ。
「ここから」って思わなきゃ。


ちょっと後日談。
この3日間の学びを活かして、PBLを始めてみた、って書ければ格好いいんだろうけれど、なかなか決めていたカリキュラムを大胆に変える勇気は持てなかった。
でも、授業のゴールをエキシビジョンとしてプレゼン大会をすることに決めた。そして、その前にはプロトタイプを作る時間を設定し、プレゼンの練習を繰り返す時間も設定した。プロジェクトの種をひとりひとりが創っていくような学習になる予定だ。
それから、今までは子ども同士でコメントを送りあわせた後に、僕はスタンプを押して返却していた冬休みの課題のレポートに、僕自身の言葉を添えて返すことにした。ジョンが言葉でのフィードバックが大切なんだって言ってたから。
ちょっと自分の変容が起きたかもしれない。