2016年5月29日日曜日

授業の形を変えてみた

 春から、担任は持たないことになった。授業も少なくて3・4年生の社会科のみ。失ってみてあらためて感じるけど、クラスを持つって喜びだったんだな。
 ただ、少ないながらいいこともある。初めて担任ではなく、社会科専科になったことで、いくつかのクラスを並行して、客観的に見ることができるようになった。だから何ができるっていうのは、今はまだ掴み損ねているんだけど、これから必ず見つけようと思っている。それから、自分のクラスが無いからこそ、学校にいる子どもたち全員を大切にしようと改めて思えるようになった。とりあえず、目が合った子やすれ違う子全員に声をかけるようにしている。
 それから大きかったことが、中学年の社会科を教えるのが、自分ひとりなので、授業のチャレンジがしやすくなった。今までも、それなりに思い切った授業をしてきたつもりだけど、隣のクラスと歩調を合わせる努力はしてきた。今はそれを気にせずやれる。

 これまでは、チョーク&トークと言われる、黒板に板書をして、子どもたちはそれをノートにうつし、そして自分は解説をする、という形態を多くとってきた。全員の机が黒板側を向く、いわゆる一斉授業だ。多くの人が受けてきた授業形態だろう。この形態は、大勢の子どもたちに、一斉に同じだけの教授を与えることができる、とても効率のいい形態だ。ただ、一方で、子どもたちが常に受動的になりやすい面がある。教える側に工夫がないと、授業は非常に退屈なものになる。同じだけの教授をしたはずが、受けるほうの態度次第で、吸収する量は雲泥の差になる。だから、できない子は、その授業態度が取りざたされたりして、特に小学校では、「聞く態度」みたいな指導が多くされることになる。この「聞く態度」、きちんと学ぶために指導していたはずが、管理のための指導に気づくと変わっていきやすい。これには大きな違和感を持っていた。
最近はこれを思い切って変えた。グループで取り組むことを重視した授業をするようになった。4人、ないし6人一組で机を合わせ、授業を行っている。
変えようと思った理由は、授業観の変化だ。これからの授業では、いわゆる知識の取得以上に、人と関わりながら学び合っていくことを学ぶという、学び方の学びが重要になると考えたからだ。
これまでもやってきたグループで何かを作り上げる活動の他にも、今までは個人でやらせていたプリント学習のようなものも、子どもたち同士が話し合いながらすすめている。
これまでなら、教科書とノートを机に置かせて、自分が黒板に要点を書き、子どもに一問一答のような形で質問を投げかけながら、解説をしていくという授業をしていた。しかし、今回は、問題が書いてあるプリントを配り、5分以内の簡単な説明をし、あとは子どもたちに一任してみた。僕から伝えたことは以下のこと。①まずは教科書などをよく読み、自分の力で取り組む。②じっくり取り組んでみても分からないことは、グループの中で分かっている人に教えてもらう。③教えを乞われた人は、笑顔で教える。④乞われてもいないのに教えるのはぐっと我慢。この4つを伝えた。
この形態にすることに不安があった。1番の不安は、果たしてこのやり方で、全員がしっかり学べるかということだ。自分で考えることを放棄して、一方的に教えてもらうばかりになる子がいるんじゃないかと思ったのだ。そしてそれに付随して、学級の中で教えると教えてもらうの関係性が人間関係の上下につながることも懸念された。
しかし、いざやってみると、その不安は杞憂であった。考えることを放棄して、初めから人を頼りにするような子は今見ている限りいない。どの子も、教科書を自分のペースで読み、分かったときはしっかりプリントに記入していた。振り返ってみたら、考えることを放棄する姿は、むしろ、一斉授業のときのほうが、顕著に現れていたようにさえ思う。解説を受け身で聞き、頭で考えもせずノートにうつしていた子が少なからずいただろう。また、関係性は今のところ流動的だ。特に社会科の場合、自分の考えを書かせる項目も多く設定できるので、そのような項目では、互いに刺激し合いながら取り組めているようだ。
子どもたちに任せる部分が大きいので、その分僕は余裕が生まれた。これまでは、解説をしながらちらちら視線の端に映っていたやる気を見せない子に、大げさなパフォーマンスでひきつけようとしたり、全体に話す形で間接的にやる気を促したり、それでもうまくいかない場合は強く注意をしたりもしていた。今は特に僕が黒板の前にいる必要もないので、その子の傍らまで足を運び、話をしながら学ぶ手助けをできるようになった。
もちろん課題も感じている。今のところ、彼らが学ぶことは教科書にとどまっている。自分の解説を中心に据えていたときには、教科書にのっていないこともたくさん話すように心がけていたから、そういう意味では学ぶことは少なくなっているかもしれない。ただ、この部分も子どもたちに任せようと思っている。次の単元では、自由探究という時間を設け、子どもたちが自らどこまで探究できるのか、見てみたいと考えている。
一番うれしく思うのが、前のめりの子が多く見られることだ。椅子からお尻をはなして、くっつき合わせた机の真ん中に向けて、顔を突き合わせ話し合っている。もしくは隣の子と顔を近づけて話し合っている。そんな光景が多く見られるようになった。僕は「姿勢を正して常に前を向いていなさい」という「聞く態度」の指導はしなくなった。何よりいきいきしている子どもたちの姿を見るのはたまらなくうれしいのだ。


この授業の参考にしたのは、「学び合い」や「学びの共同体」と呼ばれる考え方だ。これまでになかった授業が生まれてきている。柔軟に取り入れる姿勢を持っていたい。実はそれは僕にとって簡単なことじゃない。自らの成功体験にとどまってしまいがちだったり、案外保守的になりがちだったりする。それでも、目の前の子どもの今と未来のために、よりよいものを模索する勇気を持ちたいと思う。