2022年3月28日月曜日

書評「教室の日常が見える 子どもが主役の学級通信の作り方 小学校編」

6年前に岩瀬直樹さんと苫野一徳さんが行った「教師の学校」という講座でともに学んだ中井 俊之さんが書かれた本を読んだ。

題名は、「教室の日常が見える 子供が主役の学級通信の作り方 小学校編」。
題名の通り、学級通信の作り方について書かれた本。自分は週に1通の通信を出すことを楽しんでいる。だから、通信のコンクールで賞を受賞された中井さんのこの本が、その助けになると思い、ページをめくった。
その期待はよい意味で裏切られた。通信の構成や見せ方などの技術的なことの説明は5章のうち1章のみだった。もちろん、それは通信を書く上でとても参考になったし、真似したいことも何点もあった。
ただ、それよりも参考になったのは、3章「学級集団づくりにおける通信の活用」、4章「子どもの生活指導における通信の活用」だ。中井さんが何のために通信を書くのかが丁寧に書かれている。保護者への連絡の媒体だけでなく、むしろ子どものたちの「成長のプロセスの情景」を映し出す鏡として通信があり、それを通じて子どもたちと教員が成長を振り返っていく。
本を読んで、学級通信の作り方を学ぶうちに、公認心理師・学校心理士である中井さんの眼差しを知ることができ、それがすごく参考になった。同様に、本文ではないコラムでも中井さんの考えに触れることができ、感銘を受けた。
そして、この本の醍醐味は巻末付録にある。なんと巻末には、2020年度に出した通信のほぼすべて、60号分が載せられている。その1号1号に、何を考えてその号を出したのかが簡潔に書き添えられているのだ。例えば42号にはこう書かれている。「5年生の仕事の様子に焦点を当てることで、6年生の成長を描きました。掃除のチーム分けの際に、6年生の仕事は特にないのですが、5年生を見守る姿に成長が感じられました。」
教員がどこに焦点を当てて子どもを見ているのかが分かる。それが、60号分だ。素晴らしい実践記録だと感じた。そうか、中井さんはそう見たのか、と著者と話している気分になった。
学級通信を書いている人、これから書こうと思っている人にすすめたい。それから、経験を積んだ教員が、どんな眼差しで、どこに視点を置いて子どもたちと日々を送っているかを知りたい人にもすすめたい。

書評「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」

尊敬する教職大学院の同級生 栗原 由紀 (山本由紀)さんが書いた「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」

都下にある青葉小という公立小学校の校内研究の詳細な記録が綴られている。研究の中心であった3人の教員がそれぞれ章を担当し、記されている。記録と言っても、それは客観的なものではなく、3人の教員の主観的な視点が多分に綴られている。研究の過程で何を考えていたか、どう感じたか、そこでどう動いて、今何を課題と感じているのか。3人の息遣いが感じられるようで、そこに心を動かされる。
まずは、いわゆる研究の手法として学ぶところの多い本だ。
各教員が自分自身の課題を設定し研究していく「個人課題」の研究過程は、非常に参考になった。
少人数の話し合いを共有していくことで全員が主体的に参加することを意図したラウンドスタディや、自主的な学びの場である「学びカフェ」についても、多くの教員、学校にとって参考になると思う。
ただ、この本で参考になったのは、研究の手法そのものだけでなく、前述した通り、そこにいた教員の主観的な思いを詳細に知ることができたことだ。
第1章は研究のリーダーであった伊東大介さんが書かれている。なんと2009年の研究の立ち上げから章がスタートする。つまりこの本は、ひとつの学校の約10年の研究の過程に触れられるのだ。意義深い。
伊東さんは前任の研究主任への敬意を丁寧に書きながら、一方で日本全国で行われているいわゆる一般的な校内研究への違和感をもはっきりと記している。この敬意と違和感のバランスに感銘を受ける。僕はどうしても違和感が前に出る。そして変えることに躍起になり、周りの反感を買ってしまう。そんなことを自省しながら読み進んだ。
第2章は佐藤由佳さんが教員の自主的な学びの場である「学びカフェ」を立ち上げて運営していく経緯が書かれている。この章が素晴らしいのは、青葉小での「学びカフェ」の単純な成功譚で終わっていないところだ。章の後半は、青葉小から異動した後に、新たな学校でも学びカフェを立ち上げていく過程が書かれている。ある程度研究マインドのようなものが醸成されていた青葉小から異動し、新たな学校で再度学びカフェを立ち上げていく経緯は、同様のものを自校で立ち上げ大失敗した自分には、未だ向かい合えていない自分の古傷をえぐられるようなつらさがあった。ある時の学びカフェに、誰も同僚が来なかった場面なんて、思わず目を閉じて、しばし心の揺れがおさまるのを待たなくてはいけなかったくらいだ。第1章に続き、自分に足りないものを内側に確認するように読んだ。
第3章は山本(栗原)さんが書かれている。青葉小の特徴である教員個々で課題設定をする「個人課題」について書かれている。前2章に比べ、さらに山本さん個人のその時の思いが詳細に書かれていて、誠実な人柄の彼女らしい文章だと感じた。僕は教員の研究の基本は、実は「個人課題」だと思っている。この「個人課題」が校内研究としてではなく、教員自身の習慣として内包されることがとても重要のではないか。その道しるべとして、この章が意味を持つと感じた。
章末に添えられた亀山さんと澤田さん、2人の教員の「個人課題」に対しての率直で簡潔な文章も素敵だ。2人が「個人課題」を通して、子どもたちを見る視点に深まりが出てきていることが伝わってきた。
第4章は青葉小の研究に携わってきた大学教員である三石初雄さんが、青葉小の校内研究に対して理論的な意味づけをしている。(このあたりは実に校内研究っぽいしつらえだと感じた。)内容には直接関係ないが、しびれたのは章冒頭のこの言葉だ。「この約3年間、青葉小学校の研究授業への参観と校内研究会への参加をとおして、私が学んだことを柱立てすれば、次のようなことになります」。研究会の講評を行うような大学教員が、「私が学んだ」という言い回しをしたことに、うなってしまった。自分もそうありたいと思った。
長くなったが、校内研究の手引書や心構えを含めた見通しを持つためにもちろん意味がある本だけれど、それ以上に、教員の思い、息遣いを感じることのできる、読みやすい、けれど重みと厚みのある本だと感じた。きちんと人が書いている、人が浮かんでくる、こういう本が読みたかった。春休みのこのタイミングで読めてよかった。
栗原さん、どうもありがとう。