僕のクラスでは、「今日のひとこと」という活動をしている。
活動というには小さなことなんだけれど、日直が翌朝のクラスメイトに向けて、ひとことを贈るという活動だ。
小さなホワイトボードに書かれたひとことは、黒板の真ん中に掲示され、翌朝登校した子たちが目にすることになる。
普段は書く内容は日直に任せきりの活動なんだけれど、今日は少し特別だった。
なぜなら運動会前日だったから。
「明日は運動会だから、なんかそういうこと書いてくれるとうれしいな。」
そんな抽象的な注文を出された今日の日直はAさん。
とてもまじめで、声の小さい目立つことはしない、そしてとっても優しい子。僕の投げかけに少し困った笑顔で応えていた。
子どもたちが帰ってから、Aさんが書いたひとことを見てみる。そこにはこう書かれていた。
「今日はうんどう会。めざせ ひきわけ」
それを読んだとき、頭で考えるより先に、胸がいっぱいになった。
うちの学校の運動会は、赤白対抗で行われる。
それぞれのクラスで半分ずつ赤と白に別れるから、クラスの半分は勝って、半分は負けることになる。
きっと彼女はうんと考えて、これを書いた。
クラスの誰にも勝ってほしくて、誰にも負けてほしくなくて、勝者と敗者にクラスを分けたくなくて、それでこれを書いた。
そして、それはたぶん本心だ。
人の目を気にする性格じゃないし、誰かの正解を伺う子でもない。
「めざせ ひきわけ」
賛否のある言葉かなとも思う。
1年に1回の運動会だ。その日くらいはしっかり勝敗をつけたっていいだろう。
そんな思いは僕にもある。
でも、彼女はそうは考えなかった。
そこにいるみんなの喜びを考えた。
同じ教室で勝ち負けがついたときの、その場の自分の気持ちを考えた。
そしてこの言葉が生まれた。
僕には書けない言葉で、でも彼女には生みだせた言葉で、それがとても美しくて、30以上も年が離れた彼女に対して畏敬の念を抱かずにはいられない。
子どもを伸ばすなんて、おこがましい。
僕にできることは、もともと備わっている美しいものをできるだけ損なわないことなんじゃないか。
そんなことを思う。
この仕事をしていて、まれにこういう出来事に出会うことがあって、僕はそれで、大げさに聞こえると思うけれど、人間に対して肯定的な気持ちになれる。
人間というものを信じていいんじゃないかって気持ちになる。
胸がいっぱいになる。