2021年2月27日土曜日

素敵なこと 素敵な人 素敵な職業

 素敵なことが起きた。

1月初め、地域にある中学校の、通りに面したフェンスに、生徒が作った「コロナカルタ」が飾られた。この状況を前向きに生きていくために生徒が紡いだ言葉にイラストが添えられている。通りがかるたびに、「いいなあ」と勇気づけられる思いで眺めていた。今の状況で、こういう作品を発信することは、ひょっとしたら心無い反応が返ってくる恐れもある。同業者として、その中学の先生たちにほのかな敬意を抱いていた。
冬休みがあけてしばらくすると、隣のクラスの担任の若い女性が、「有馬さん、スーパーの隣の中学のコロナカルタ見ました?あれいいですよね。あれ、やりませんか?」と相談を持ち掛けてきた。それがとてもうれしかった。(自分がそういう発想にならなかったことに、ちょっぴりくやしさもあった。)もちろん2つ返事で「やろう!」。次の日にはカルタの台紙を作った。
小学校1年生の作品だから、中学生に比べればつたないものだけれど、なかなかいいものができた。「君たちの作品に背中を押されたことがきっかけなんだよ」と中学生に伝えたくて、作品を掲示したものを写して、地域の中学に持って行った。(子どもにもそれは伝えた。)
まったくアポも無く、突然伺ったので、授業をされた先生には会えなかったけれど、写真と感謝の気持ちを渡していただけるように頼んだ。「ぜひ生徒のみなさんにも!」
それから1週間後、突然教室の電話がなった。中学の先生からだった。子どもたちが作品を作ったことを生徒のみなさんがとても喜んだこと、それからなんと「よかったら相互鑑賞をしませんか?」そんな提案だった。子どもたちの作品には中学生のお兄さん、お姉さんがコメントを寄せてくれるという。これももちろん2つ返事で了承した。となりの担任の彼女も賛同する確信もあった。
そして無事に会議も通り、実際に相互鑑賞を行うことになった。
昨日、子どもたちが帰った後に中学生のお兄さんお姉さんが作ったカルタを教室の隣の部屋の壁に飾った。色とりどりにデザインされたカルタのおかげで壁が鮮やかになった。月曜日に登校してきた子たちの驚きの声が想像できてうれしくなった。そして1枚1枚の作品を見て、次は感嘆の声が漏れるだろう。
お兄さんお姉さんは、飾られた子どもたちの作品をどんな気持ちで見てくれるのだろう。きっと温かな気持ちになるって、僕は知っている。
この流れに僕が心を温められている。中学校の先生たちが掲示をしたこと、同僚がそれを見て「やりたい」と言ったこと、生徒のみんなにそのことを伝えたくて持っていった僕自身、それから相互鑑賞をしようといってくださった先生。
みんなそれぞれ、ちょっとずつ勇気を出して行動した結果だと思う。「子どものため」、使い古された言葉だけれど、やっぱり僕たち教員はそういう気持ちをみんなが持っているんだと思う。一部の先生だけでなく、市井の教員みんなが持っているんだぜ。素敵でしょう。

2021年2月14日日曜日

ウネリウネラのブログへの投稿②

  東京の郊外の小学校の1年1組での、ある日のひとこまです。

 それは木曜日の午後のことでした。天気予報より早く、お昼過ぎに降り出した雨。それを横目に見ていた子どもがひとこと、「アリック、雪になった。」と言いました。窓の外に目をやると、雨がいくぶんか大粒になっていましたが、雪には見えませんでした。「雪ではないんじゃない。雨だよ。今日は雪にはならないんじゃない。降ってほしいけどね。」そう言いながら、一度止めた手をもう一度動かしながら、黒板に算数の式を書いていきました。予定していたところまで算数がすすむか心配だったのです。

 しばらく授業をすすめていると、また子どもの声。「やっぱり雪だよ。」子どもたちの目が一斉に窓の外に向きます。お願いだから授業に集中してくれよと思いながら、ふたたび窓の外を見ましたが、やっぱり大粒の雨に見えました。「雨でしょう。今日は降らないよ。さあ、授業に集中しよう。」

 「いや、やっぱり雪だって。」授業に戻ろうとした僕を引き留めるような大きな声がしました。声の主はみきさんでした。驚きました。普段は授業中に大きな声なんて出さない子です。みきさんまで、と少し苛立ちながら、仕方なくまた窓の外を見ました。さっきの雨よりどこか白く見えました。

 「まさか」と思ったことが表情に出たのでしょう。子どもたちも一斉にまた窓の外を見ました。するとさっきまで雨だったはずなのに、空から降ってくるそれは、だんだんと雪に変わっていきました。時間にすると短い時間だったことでしょう。でも、雨が雪に変わっていく様子は、まるでスローモーションのように見えました。見とれてしまいました。

 「ほんとうだ、雪だ」僕がつぶやくのと同時に「雪だ!雪が降ってきた!」と教室のあちこちから声がしました。子どもたちの目は窓の外にくぎ付けです。みるみるうちに雪は勢いを増しました。

 初めに席を立ったのは、ふだんはおとなしくて目立たない小柄なのりくんでした。飛び上がるように席を立って、一気に窓際に走っていきました。それはあっという間の出来事でした。窓に両手をついて、大きな目をさらに大きく真ん丸に開けて、彼はこう言いました、「学校でみんなで雪を見るのは初めてだね!」

 その言葉がすごくうれしくて、僕はもう白い雪に白旗をあげました。算数はおしまいです。あきらめました。「残りの時間はみんなで雪を見よう。」教室に大歓声があがりました。子どもたちがテラスに出ていきます。35人の子どもたちはみんな空を見上げて、空から落ちてくる雪を眺めていました。僕はそんな子どもたちの横顔を眺めていました。

 東京の郊外の小学校の1年1組での、ある日のひとこまでした。

ウネリウネラのブログへの寄稿①

 https://uneriunera.com/2021/01/18/kodomotachi/


緊急事態宣言が出されている中で、小学校1年生の3学期始業日を迎えました。

毎朝、子どもが教室に入ってくる前に、黒板に朝のあいさつとメッセージを書きます。しばらくぶりに会う子どもたちに、「あいたかったよ。」、そう素直な気持ちを書きました。

冬休み明けの初めの日になるので、年末に片づけたものを、朝来た子どもから順に元に戻してもらうために、その手順も黒板に「あさ やること」として書いていきます。どんな順番にやってもらおうか、ちょっと考えて、白いチョークで「1.ともだちに「おはよう!」」と書きました。机に載せられた椅子を降ろすことや、棚にしまわれた道具箱を準備することよりも、何よりも初めに、クラスメートとの再会を喜んでもらいたいと思ったからです。

「おはよう!」たかしくんは元気に大きな声を出すだろうな。「おはよぅ」とはにかみながら返すのは、みほちゃん。ひとりひとりの子どもがどんなふうに「おはよう」のあいさつを交わすのか、それを想像すると、誰もいない教室で、ひとり笑顔になりました。

でも、はっとして、黒板消しをとり、今書いたことを消しました。そのかわりに書いたことは「1.マスク・てあらい」。僕たちは、“新しい日常”の中にいることを思い出したのです。「おはよう」のあいさつの前に「マスク・てあらい」。“新しい日常”の居心地の悪さを感じながら、それを呑み込むように「2.ともだちに「おはよう!」」と続けて書いていきました。

始業時間が過ぎ、子どもたちが教室に入ってきます。「アリック、あけましておめでとう!」(僕は子どもたちから「アリック」と呼ばれています。)「あけましておめでとう、ゆうきくん。」

久しぶりに友だちに会う高揚からか、普段より大きな声のやりとりがあちらこちらから聞こえてきます。「そのマスク、初めて見た!かっこいい!」「おばあちゃんが作ってくれたんだよ。」うれしそうに答えるのは、せいやくん。子どもたちは様々な色や柄のマスクを、洋服のように楽しんでいる様子が見えます。

マスクのせいで子どもたちの顔は半分しか見えません。顔の小さいまりさんにいたっては、目のところだけがちょびっと見えるだけです。初めは表情が見えづらく感じました。でも、マスクには隠されない目元に表れる表情を、僕はいつの間にか読み取れるようになりました。みなさんは、どうでしょうか。

毎朝行っている絵本の読み聞かせ。3学期の一冊目に、どんな本を読むかは、それなりに迷いました。何か特別なメッセージが伝わるような、そんな一冊にしようかと考えましたが、悩んだ末、かがくいひろしさんの「おもちのきもち」を選びました。言葉遣いのとても丁寧な鏡餅が、床の間から逃げていく、そんなとっても愉快な一冊です。伝わってほしいメッセージはありません。ただ3学期の1冊目をめいっぱい楽しんでほしいと、そう思いました。不安が日々を取り巻いても、教室の中は安心と楽しさで満たそう、そんなふうに思って選んだ一冊です。

読み聞かせると、教室は笑いにあふれました。マスクで半分が隠れた子どもたちの表情も確かに笑って見えました。それを見て、何より自分自身が安心しました。僕の好きな日常はこれだなあと思いました。

(子どもたちの名前は仮名です。)