2016年3月6日日曜日

楕円の哲学

一昨日の研究報告会の後の成田先生が話してくださった楕円の哲学が心に残っている。
楕円の哲学、その考えの源流は内村鑑三にあるそうだ。楕円は2つの中心を同時に持ちながら、1つの形として成り立っている。
内村はその2つの中心を神と人として考えたという。
そのように、一見すると距離が感じられたり、対立関係にあるものを、無理にひとまとめにすることはせず、お互いの存在を成立させたまま、つながりを持たせることを目指していく。そんなホリスティックな考え方と解釈した。

話を伺いながら、学部時代に大好きな鷲山先生から教えてもらったアウフヘーベンという言葉が浮かんでいた。
対立する2つの考えがあったとき、どちらかを採用するのではなく、2つを同時に成り立たせる、より高次の概念を創り上げる。そう習ったように思う。
楕円の哲学とアウフヘーベン、2つの考えは似ていると感じた。そういえば、成田先生と鷲山先生も、その佇まいは似ている。
急に今と学部時代がつながった気がした。

教員としての私の2つの中心は何になるのだろうか。
一斉教授とアクティブラーニング、不易と流行、伝統と革新、こだわりと柔軟さ。
様々な中心が見えてくる。どちらか、ではなく、どちらもを可能とするような、そんな楕円を描いていきたい。もしかすると、2つと言わず、さらに多くの中心を同時に存在させられるかもしれない。

振り返れば、教職大学院での学びは楕円の哲学を実感するものだったのかもしれない。異知が出会い、時にぶつかり、新しいものを創発し、内包していく。

終わってしまうことが寂しい。

2016年3月2日水曜日

南アルプス子どもの村小学校・中学校

 衝撃だった。学校観が広がった1日だった。学校の概念をより広く考えていいんじゃないかと思えた1日。自分の当たり前が揺らいだり、少し崩れたりして、それが全くいやではなかった。
 
 中央道竜王ICから20分程度、周りにちらほら新しい住宅も見られる場所に校舎があった。思いのほか校舎は小さい。グランドからは富士山が真正面に見え、すばらしい天気だったこの日、非常に気持ちよかった。サッカーゴールや2階くらいの高さのある滑り台は子どもたちの手作りに思えた。
 中学校舎の1回に通され、説明会開始。我々のほかにスーツ姿の3人の男性(委員会っぽい)、あとは5組ほど保護者と思われる方々。説明会にやってきた小学校副校長の女性、中学校副校長の男性はともに力の抜けた普段着。スーツを着ている我々のほうがなじまない。ジーンズをはいてきて正解。
 おだやかな印象の2人は夫婦と聞いて、驚きつつも納得。雰囲気が似ている。
 学校の概要から説明が始まる。学年1クラスで20人。上の学年は20人を割っているが、近年通学希望者が増加傾向にあり、1年生は定員を越えている。小学校は126名、うち寮生が51名、通学生は75名。通学生の半分以上はこの学校に子どもを通わせるため、一家で引っ越してきているそう。(それを聞いて、甲府から勤務地への始発を調べた。開始時間にぎりぎり間に合う…)中学生は48名、うち寮生が32名、通学生が16名。教職員は20名の常勤と10名の非常勤。この中には寮の職員なども含まれる。
 まずはスライドを見ながら口頭での説明。自由な子どもを育てるために3つの自由を大事にしている。それは感情の自由、知性の自由、人間関係の自由。そのために大切にしている基本原則も3つ。教師中心主義→子どもの自己決定、画一教育→個性化教育、書物中心主義→体験学習。支えている理論はニイルとデューイ。
 具体的な特徴として、テスト、通知表、宿題は一切ないという。学習の中心はプロジェクト。クラスは学年ごとではなく、このプロジェクトごとの縦割りで編成される。小学校には、衣食住表現という要素で構成された「クラフトワーク」「むかしたんけん」「新聞社」「演劇」「おいしいものづくり」(名前はあやふやのうろ覚えである)という5つのプロジェクト。子どもたちは年始にいずれかのプロジェクトに参加し、プロジェクトごとの部屋がクラスルームとなる。中学校は3つのプロジェクトグループを子どもたちが創設。そのうち1つは昨年度作られた。担任無しで運営することを子どもたちが決定したそうだ。すごい!いわゆる「先生」という概念は無く、ともに学んでいく大人という位置づけ。先生方も子どもたちからあだ名で呼ばれている。基礎学習の時間もあり、これは学年ごとに学んでいる。
 小学生の授業を見学。木材が多く使われた小学棟に入ると、大きくとられた廊下に屋台が出ている。「おいしいものづくり」のプロジェクトグループがカステラとおしずしを販売している。今日は見学があることが分かっていて、子どもたちが次の活動の資金集めを企図したそう。1つ50円のカステラを2つ使うと、「これ読んでください。」と、カステラの説明が書かれたパンフレットがついてきた。後ろを振り向くと、低学年くらいの女の子が「あっちのほうに席を作ったからそこで食べてね」。座って食べようとすると、「違う、違う。こっちの机。その机はお料理していて汚れているから。こっちの机はふいたから大丈夫。」本物の活動が、子どもたちの動きを自主的にしていく。というよりも、自己選択自己決定が大前提で当たり前にあれば、自主的であることは自然と達成される。「子どもに力があること」を信じ、場を設定すればいいのだ。そのことを実感。お昼ご飯は用意していたが、思わずおしずしも購入。きのくにのマークが海苔で形作られていてかわいい。これにもパンフレットがついている。お米は自分たちで育てたものだそうだ。そういえばてんさいを育てさとうにすることもしていると聞いた。ひょっとしたらカステラについていた砂糖がそれだったのかもしれない。
 クラフトクラブの活動は圧巻。手作りのテラスに屋根をつけようとしていた。屋根の骨組みは完成しており、今日は半透明の強化プラスチックの屋根を骨組みに取り付ける作業のよう。先生と思われる大人はついていたが、特に指示を出しているようには見えない。大きな子も小さな子も入り乱れて作業をしている。作業への取り組み具合は子どもによってさまざまだが、それをとがめる大人はいない。しばらく眺めていると、一人の男の子が説明を始めてくれた。高学年に見える。「明日あれをとりつけるんです。」「すごいな。どのくらいかけて作っているの?」「3カ月くらいかな。」「違うよ。計画を入れれば6月からだよ。」(そういえばクラフトクラブの棚の上には、ミニチュアの試作品のようなものがたくさんならんでいた。)「みんなだけで作っているの?」「もちろんです。」誇らしげに胸を張る。低学年の女の子とも話をした。「みんなすごいね。手に持っている道具の使い方とかはどうやって覚えたの?」「お兄さんが教えてくれた。あっちの屋根もみんなで作ったんだって。それからあの滑り台も。」こんな風に年長の子どもから年下の子どもへ知識、技能、経験が伝達されていくのだろう。本当にすごい。
 2階の新聞社では、営業部長と呼ばれる中学年くらいの男の子が「無料です!」と大きな声をあげて新聞を配る。頼んでもいないのに、自らの活動について、模造紙に大きく書かれた手作りの絵地図の前で、意気揚々と数人の初対面の大人の前で語り出す。彼のこの強い個性は、果たしていわゆる普通の学校の中ではどれだけ発揮されるものだろうか。むかしさがしのグループは、本格的な製本機で、製本作業をしていた。どのプロジェクトチームにも大人の姿はあったが、1時間弱の見学の時間の中で、指示や指導をしている姿を見ることはなかった。悪い言い方をすれば「そこにいるだけ」。でも、教員であれば、「そこにいるだけ」であることの難しさは理解できる。学校としての信念がそれを可能にしているのだろう。そして、大人を「そこにいるだけ」にしているのは、子どもたちの実に生き生きとした前向きな姿である。各々のプロジェクトをはつらつとみんなが進めていた。とにかく表情がどの子も明るかった。
この表情を自分が教えた学級で見たことがある。あれは、4年生を受け持ったとき。子どもたちが学級会の話し合いで、1年生を対象とした「お祭り」を企画し、すべて自分たちで進めていたときの表情だ。いつもの授業ではなかなか見られない表情だった。そうか、あんな時間を教育の軸に据えているんだな。
南アルプスはまだ7年ほどだそうだが、出発点となったきのくに子どもの村は25周年を迎えるという。続けることで、一般的には特異に見える教育方法が、学校の文化として根付き、子どもたちや教員にとってはそれが当たり前になっていることを感じた。文化を根付かすことで、きっと様々なことがうまく回っていくのだろう。文化を根付かせる重要性に気づけた。文化を根付かせていくには、根気のほかには何が必要なんだろう。
子どもたちの給食には参加できずに、別室で昼ご飯を食べたあとは、質疑応答。学力不安や卒業後のギャップなどの話。これについてはある程度予想通りの答え。自ら学ぶ力、乗り越える力が着くから大丈夫ということ。
学園長の堀さん到着。質疑応答終了。説明会は終了だが、子どもたちの週1回の全体ミーティングも見学できるということで、居残ることに。
子どもたちの全校ミーティングは、給食をとっていた大きなホールで開かれた。小学校中学校の全校児童に加え、大人も参加する。中学生が2人、椅子に座り進行する。出された議題はけんかやおやつの紛失など3点について。どの議題についても、全校の前で名指しで議論されるのは驚いた。議題が低学年だったことも大きいだろうが、名指しでも全く殺伐としないのは、これも文化のなせることに思った。驚いたのは、小学生中心に進む議論の要所要所で中学生が発言することだ。中学生が小さな子どもたちのもめ事を他人事にせず、ところどころで控えめにだが介入していく。これが効果的に思えた。少し意外に感じたのは、大人の発言も少なくなかったことだ。ただ大人の発言も特別なものでなく、他の子どもと平等に扱われていた。
議論は平行線で、先送りになった。子どもたちの雰囲気を見ていると、よくある流れのように思える。おそらくこの全校ミーティングの意義はもめ事を解決することよりも、共同体意識を持たせることにあるのだろう。また、異学年や大人も混合で話し合うことにより、話し合いの進め方や語彙を増やす意図もあると感じた。「昔は地区会とかでこういうことができていたんだけどね。」という院生仲間のKさんの振り返りが印象的であった。コミュニティの再構築なのかもしれない。

総括すると、南アルプス子どもの村小学校・中学校は私のこれまでの学校観では収まらない学校であった。とられている方法は想像を越えたものであった。しかし、その理念や子どもたちの姿は、私が目指しているものと大きく重なるものだった。

プロジェクトを中心とした学びは非常に参考になった。知識の教え込みに時間を多くとってきた現在の基礎学力とされるもののための学習は、おそらくもっと精選でき、良い効率化ができる。そうすれば、より大胆にプロジェクト型の学習を取り入れることをしていくことができるだろうし、したいと思う。