2021年6月2日水曜日

ひまわりの芽

 2年生の教室から男性教員の太い声が聞こえてくる。「ひまわりの芽が出てたよ!」元気のよい声だ。興奮のまじった自慢げにも聞こえる声だ。子どもたちの歓声があがる。「よーく見ないとまだ分からないくらい小さな芽だよ。よく探してごらん。」

 

その声を聞いて、僕は頭を抱える。

彼はきっと自分の失敗に気づいていないだろう。

子どもたちが第一発見者となる大きな大きな喜びを、自分が摘み取ってしまっているという取り返しのつかない失敗を。

誰も気づかない小さな芽吹きに気づいたときの、その子の誇らしさよ。それはどんなに尊いか。

彼はそれを奪ってしまった。

 

いやでも聞こえてくる彼の大きな声に、僕は頭を抱えてしまった。

 

お気づきの人はいるだろうか。

浅はかな教員は、有馬自身だ。

 

あーーー、失敗した。だって、ひまわりの芽が出たのがうれしかったんだもの。

うれしいこと、やっぱり子どもたちにすぐ伝えたくなっちゃうんだもの。

 

すごく後悔してる。

頭抱えてる。

 

発芽というにはあまりに頼りない、土からようやく顔を出したばかりの芽が好きだ。こんな小さな芽が、暗闇のなかで土をかき分けて、地上に出てきたと思うと胸が熱くなる。

 

…という気持ちをおさえきれませんでした。

みんなごめんね。