2023年1月29日日曜日

牧内の授業

1月の半ば、中高の同級生の同級生でフリーの記者をしている牧内昇平が、その仕事について受け持つ学校の子どもたち相手に話をしてくれた。

すごくうれしかった。

話の前半は今取材していることについて具体的な話。
みずからが取材した写真を使いながら、子どもたちに質問を投げかけ、話がすすんでいく。
そこから浮かび上がってくるのは、私たちのなかで薄れているが、福島では今も原発事故と暮らしていること。
「だから僕は福島に住んで、福島のことを伝えたいんです。」

後半は記者の仕事の意義について、牧内の思いが語られる。

「記者の仕事は現代史を作ること」
誰かが今いる今日を丁寧に書き残しておかないと、誰か偉い人に歴史が書き換えられてしまうかもしれない。普通の人である自分が歴史を作ることに意味がある。

「民主主義のための仕事」
みんなで話し合って大切なことを決めていくのが民主主義。
そのためにはみんながしっかりと話し合うための情報を得ることが必要。

「おかしい!を世の中に伝えたい」
おかしいことについて、きちんと伝えたい。おかしいことに直面している人が、ひょっとしたら声をあげられないかもしれない。でも、それを「おかしい」と言うことが、大切なはず。

語り口はいくぶんまともになっていたけれど、どこかあのころの牧内のまんま怠惰な雰囲気がありながら、こうして書き起こしてみれば、子ども相手に本気で話してくれたことが再確認できてうれしい。

途中で子どもたちの投げかけに、牧内が漏らすようにふと返した言葉が印象的だった。
「だって、それが正義でしょ。」
「正義」という言葉を簡単に使わない人間だと思う。それでも、その言葉がふいに彼の口から洩れた。
懐かしかった。
高校時代に、友人数名で雑談をしているときのことだった。
下世話に世の中を小ばかにするような話をしていたときだった。
一度だけ牧内が、その場のノリに合わせず、「俺はそういう考えなんだ。俺は(みんなが否定している)それを正しいと思っている。」と言ったことを覚えている。
あまりにはっきり言ったので驚いた。
彼が授業で子どもに漏らした「正義」という言葉はあのときの牧内のようだった。
きっと本人は覚えていないだろうけれど。

授業の後半、急に感極まってしまった。
教室の隅の席で毎日寝続けていた牧内と、馬鹿も思いつかないような馬鹿なことをし続けていた僕が、同じ場所からそれぞれの場所に巣立って大人になって、こうしてまた未来を作る仕事をいっしょにできた。
何かふいに目の前の子どもたちに勝手に重ねてしまったのだ。
今目の前にいる子どもたちも紆余曲折のなかで大人になっていく。そして、もしかしたら、それぞれ分かれていく日々が、あるタイミングで再び重なる瞬間があるのではないか。今こうして机を並べているように、人生のあるタイミングで、ふっとお互いの人生が重なる瞬間が来るのではないか。きっとそうだ。牧内と僕が今こうして重なっているように。
そんな確信にも似た気持ちになった。変に感極まってしまった。

それにしても、腕を折ってくるとは思わなかった。