2020年4月10日金曜日

走っているのか 走らされているのか

先週2日から、先月には考えられなかったことが次々に動き出している。

教員会議のリモート化。
出勤制限。
子どもたちのオンラインミーティングの実施(予定)。
部長から子どもたち・保護者へのビデオメッセージ。
課題のPDFでの配付。
オンライン保護者会。
1年生への動画配信。

1週間でいっぺんにすすんだなという感じ。
ほとんど全部自分が提案したことだ。
どこかだめもとで提案したこともある。
それがこんなに実現するとは思わなかった。
受け入れられないと思っていたからだ。
緊急事態ということもあるけれど、おどろくほどすんなり通った。
緊急事態で変化を受け入れざるをえない状態なんだろう。

今日の教員会議は、ほとんどの人が自宅から参加していた。
すごくよいことに思う。
悪い状況のなかでよい変化が起きているように思う。

今の悪い状況の中で、できるだけのことをできるだけ早くやろうとしている。
その感じは肌に合うし、今やろうとしていることは、自分自身の提案のことがほとんどで、わくわくしている。
でも、どっかでこのスピード感に警鐘を鳴らす自分がいる。
もちろん、自分の意思で提案していることだ。
ただ、ちゃんと吟味がされていないまま、状況に転がされた変化のように考えることもできる。
自分の足で歩いているつもりになっているだけで、歩かされているのかもしれない。
ああ、しかし、今は後ろから雪崩が襲い掛かってくるような状況のようにも思う。
全力で走らなくては何かに飲み込まれてしまいそうだ。
落ち着いたら、今回やったことを、もう一度本当にこれからも必要なことなのか吟味しなくてはならない。いや、ひょっとしたら走りながらでも吟味しなくてはいけないのだと思う。

去年までは、職場が前だけを見て走っているときに、足元を見て釘をさす植松さんがいた。
それを冷水をぶっかけられたように感じていたけれど、今はそういう人がいないことが恐ろしいとも思う。
自分の中で、走る自分と、疑い続ける自分、2人の自分を持つことはできるだろうか。

2020年4月8日水曜日

4月8日

職場のものを見ても、息子が持って帰ってきたものを見ても、休校中の課題は計算や漢字といった習熟のための反復練習が多い。きっと日本全国その傾向なんだろうと思う。
急なことで、できるだけ説明がいらない課題にする必要があったからだ。
でも、受け取った息子はげんなりしているし、今頃日本全国で同じ表情の子が多いだろう。
活動でなく作業を投げているように思う。
今の状況は危うい。僕ら教員がやっていることは、ドリルで置き換わってしまう。ドリルだったら僕らが用意しなくても、書店で手に入ってしまう。ドリルで置き換えられることは、今はネットを使えば、もっと効率的なものがたくさん溢れている。
もちろん、子どもによっては、書店で手に入るドリルが用意してもらえなかったり、ネットへのアクセスが難しい環境にいる子もいるだろう。そういう子には、意味があるのかもしれない。
それでも、考えたくないけれど、考える。もし休校が長引いたら、僕たちは、離れた場所から子どもたちに何を届けるだろう。
今までいくつものミラクルを起こしてきた教室をを失って、それでも、他の何でもない学校としてできることはなんだろう。いや、せっかくだから、いつもの場所じゃないからこそ、できることはなんだろう。
実はもう、少し思いついている。制約があるからこそ、今までの慣例や自分自身の保守的な足かせを壊して進める手応えがもう少しで得られそうな実感がある。
休校中の自分自身への課題だ。この課題は、苦しいけど楽しそうだ。

2020年4月7日火曜日

コロナと僕ら

はっと気づいた。
不安と心配がつきまとい、想定外のことに準備していたことが全部ふきとんで、思うようにいかないことに苛立ち焦って、それでもやっていくしかない。
これって何も特別なことでなく、僕らの日常だったじゃないか。
子どもを育てること。
僕にとってそれは、常に不安と心配がつきまとい、想定外であることが想定のうちで、思うようにいかないことに苛立ちと焦りを抱き続ける、そのようなものだ。
それでもやっていくなかで、たまに、珠のようにきらきらに光る出来事がおとずれて、それに勇気づけられて、またすすんでいく。
僕らは子どもとの日々を通じて、不安にも心配にも、想定外にも、苛立ちにも焦りにも、もう立派に耐性がついているはずだ。
今までもそうだったように、これからもできることを手探りで探して、そのなかに喜びや楽しみを見出していこうじゃないか。
僕らはそれができるんだと、そう信じている。

2020年2月15日土曜日

青木将幸 ファシリテーション講座 2020.2.8 2.9


2月8日・9日 清瀬市アイレック 青木将幸 ファシリテーション講座

 とにかく奇跡のような講座だった。

 初日はどこか疑っていた自分がいた。青木さんのことは、岩瀬さんとその周辺の人たちから知っていたけれど、「すごい」と周りが言えば言うほど、本当にそうなのか疑っている自分がいた。何か意固地だったのかもしれない。
 せっかく参加するのだから余すことなく学ぼうとする自分と、本当にすごいのか見極めてやろうみたいなひねくれた自分が同居する状態で1日目を迎えた。

 青木さんは思っていたよりずっと個性的な人だった。落語家のような軽妙洒脱な語り口だ。これまで出会ってきたファシリテーターは、努めてニュートラルであろうとしていたような気がする。それが青木さんは個性的。ただ、受容的ではあった。その受容的なものが何から来ているものなのかは、この時点では気づかなかった。

 好物をかいて、それを持ってやりとりをするアイスブレイクから始まった講座は、参加者の質問を募ってそれに応える形で進んでいく。非常に非構成的な、はっきり言えば行き当たりばったりに思える形だった。
 ただ、「質問・発言 いつでも歓迎です」と紙に貼られ提示されたことが、建前でなく、徹底して守られていた。参加者はそれぞれに、自分の言いたいこと、聞きたいことを、そこまでの流れを無視して(少なくとも僕はそう感じた)質問を繰り返す。腰を折るようなタイミングと内容だ。青木さんはそれにいらだつ様子は見せず、時に目を閉じて質問をまるで味わうように沈黙し、そしてまたユーモアを含めながら答えていく。
 なんとなく芯の無いような形で時間が進んでいく。そのなかで印象的な言葉もいくつかあった。それを聞くことができていたので、それなりに講座の意義は感じていた。そのまま終わっていたら、この振り返りも印象的な言葉を羅列するのみだったかもしれない。でも、それ以上に実りのある実感を得たので、今回の振り返りではそれを書くことはやめる。

 ようやく実習らしいことが始まった。会議の4段階を体験するワークだ。会議の4段階とは共有・拡散・混沌・収束だ。良い会議・悪い会議の要素をひとりずつ書き出し、3人で共有する。3人ともそうだとうなずけるものには、花丸をつけていく。花丸がついたものを全員で出し合い、良い会議・悪い会議に分け模造紙に書き出していく。最後はひとり4枚のシールを持ち、自分が大切と思うものにつけていく。

 「拡散はきちんと意見を出し切ることが大切です。」と言う通り、ところどころで「他にはないですか?」「言い忘れたことはないですか?」という投げかけがあった。
 事件は「良い会議・悪い会議」の要素にシールが貼り終わり、参加者全員の納得が会場をゆるやかに満たしたと僕が感じていたときに起こった。
 「他にはないですか?」青木さんの問いかけに、ひとりの参加者が手を挙げる。「安心して意見が言えるためには、どうしたらいいんですか?」「安心して意見が言えるためには、どうしたらいいんですか…うーん、どうしたらいいんでしょうか。今、この場では安心して言えなかったということでしょうか?」「そうじゃないんです。今は言えました。でも言えないんです。」少し迷った様子の後、その人は語りだした。
 詳しく書くことははばかられるが、それはかなり心境の吐露で、しかもその感情の矢印が、その人が一緒に来た人に向けられていた。
 僕は驚いてしまった。だって、そこはオフィシャルな場だったから。よそいきの場所だったから。みんながかりそめの自分でいる場だと考えていたから。そこに急に生身の感情が放り込まれた。誰にでも伝わるくらいの切実さを持っていた。
 驚きを通り越して、僕はずいぶん動揺していた。まさかこの場所でこんな本当の場面がやってくるなんて思わなかったからだ。本音の持つ逃げ場の無さみたいなもので自分の周りが満たされて、とても息苦しく感じた。
 いったいどんなことになってしまうのだろう。言葉が一段落するのを見計らって、場を和らげるためにちゃちゃを入れた。狙った通り笑いが起きる。でも、場が弛緩したのはひとときだけだった。
 このあたりの記憶はあいまいだ。僕は動揺していた。どうやって青木さんが介入したのかは覚えていない。おそらく、介入しなかった、ように思う。青木さんはただそこにいた。まったくの動揺を見せずに、こんなに生身の感情が突然投げ込まれた場に、それまでと同じように、ただいたのだ。
 気が付くと、場が落ち着いていた。青木さんはこんなふうにまとめていた。「安心して意見が言えるようにするには「最後まで聞き続ける」「報復はしない」ことです。」その場しのぎのようなちゃちゃを入れていたことが途端に情けなくなって、頭を抱えてしまった。これまでも同様の状況の場では、同じようにふるまってきた。雰囲気を感じ取って、気を遣って場をゆるやかにしているつもりだったかが、それは結果として一番の当事者を傷つけていたのかもしれない。それに気づいて、頭を抱えてしまった。

 会場全体を覆っていた緊張が解かれ、自分も動揺が少しずつ収まってきたときに、休み時間になった。青木さんに質問をした。「どうしてあの場で動揺せずにいられたんですか。動揺しなかったんですか。」「してないです。」このあとのやりとりが思い出せずくやしい。僕はこのやりとりで何度もうなずいていたはずなのに。ただ最後に青木さんはこう結んでいた。「参加者を子どもだと思って寄り添うんです。」そう言って腕を広げていた。
「拡散でなく、混沌のときに物事は生まれていく」「クリエイティブカオス」「泥の中から蓮が生まれる」僕は混沌のなかにただ立つ覚悟が持てるのだろうか。「抜けない混沌はない」。この言葉を肚落ちさせるために混沌に飛び込めるのだろうか。

 2日目の朝、始まる前の会場に、1日目とはまったく違う心持ちでいる自分に気づいた。ただそこにいる青木さんの一挙一動を見ようという気でいたのだ。「職場の会議をどうやったら…」なんていう気持ちはまったく薄れていて、それよりも青木さんの姿から学ぼう、細かい振る舞いに気づき、自分を省みよう。そんな気持ちでいた。変えるものが、会議・職場から自分に変わっていたのだ。ああ、こうして振り返っていても驚く。

 2日目は1日目よりずっと構成的だった。今何を学んでいるのかが明確だった。でも、もし1日目からそれだったら、僕は心からそれを学んでいただろうか。
 1日目の話が思い起こされる。大学で講師をしたときのエピソード。1回目の授業では何もしないで帰ったことや、学生の「寝たい」「パンを食べたい」「映画を見たい」という要望をすべて受けて、その通りにさせたことだ。次の授業でようやく学生から「学びたい」という言葉が漏れてくるという。まさに自分の身に起きたことがそれだ。非構成の1日目に起きたことを通じて、この人から学びたいという気持ちに心からなっていた。1日目と2日目では自分が違う人のように、その場にいた。大げさじゃないのだ。その通りのことが起こったのだ。
 
 1日目は注目しなかったことに目がいき、聞き取れる。わかります・その通りだと思いますね・なるほど・はいはい・結構ですね・結構なことだと思います・うん。わかります・ありがとうございます・無言でゆっくりうなずく・目を閉じて意見を反芻するように小さくうなずきながら沈黙する・復唱。ただそこにいる青木さんの、ただそこにいる振る舞いが見えてきた(気がした)。

 聞くトレーニングのワークを行う。会場からの質問に、初日と同じように青木さんが答えていく。それを聞きながら、ふと気づく。「相手が言葉につまったときに、助け舟を出すことは、本当に助け舟なのか。」これは青木さんが言った言葉ではない。僕の中から出てきた言葉だ。でも、とても大切な気づきだと思った。僕はファシリテートされていた。

 2日目も事件が起きた。1日目と同じように、生身の感情が、それも複数、突然場に投げ込まれた。あるワークがまったくうまくいかなかったようだ。良かれと思って仕切ろうとする人の存在が、別の人のやる気を奪い、その人のやる気のなさを感じ取った別の人が困惑し傷ついた。
 一人の素直な告白から、次々に感情が投げ出されていく。この痛みを伴う素直さも、この場が為せることなのだと思う。腹を割って話していた。
 あまりにも正直で、あまりにもあけすけな感情のぶつかりに、息苦しくなってその場から去っていきたいと思う自分がいた。そうか、自分はこういう場面が苦手なんだと思った。一方で、この場をどう収束させていくか、青木さんに期待する自分もいた。
 結論から言うと、青木さんは、ただ聞いていた。聞くワークのときに本人が語っていた通り、ただただじっくり聞き、全文を復唱していた。
 当事者が、気が付くと順番に気持ちを話していく。青木さんは解決に向けた言葉は一切話さなかった。その代わり、当事者がそれを語っていく。それが不思議と心に届いてくる。
 2日目の終わりに、この場面のことを尋ねると、青木さんはこう答えた。「メンバーには力があるんです。それを信じるんです。」何度も聞いてきた言葉だ。それがこれほどまでに実感を持ったことは無かった。深いため息が出た。お腹の下に力が入るような、深いため息だ。

 「自分の声を聞いていると、参加者の声が聞こえなくなる」この言葉にも深くうなずいてしまった。心当たりがたくさんあった。

 結局2日目は、ある程度構成的に「きく・かく・整理する・問う」というファシリテーターの4技術についてワークをしながら学ぶ日だった。その合間合間に思わずメモをしたことがあるのだけれど、今のうちに書き留めておきたいと思ったことは、上に書いたことだった。
 青木さんがなぜファシリテーターになったのか、という話も実に味わい深かった。あのとき、その質問をしてくれた女性に感謝している。
 2日間、作られたものではない本当の場面に出くわした。そこで本物のファシリテーションを目の当たりにした。あの場にいた人に感謝したい。

 相手の話の腰を折る自分を捨てなければならない。最後まで聞くことを習慣にしたい。話の途中で解釈することを頭の回転の速さではなく、稚拙で至らないことだと自覚した。僕は僕を変えたい。

2019年7月28日日曜日

成長と今の自分

「学校は子どもたちの成長を支えるところ」と様々な場で伝えている。
でも、ふと立ち止まって考える。
そのことで、僕は「あなたたちは成長しなければいけない」ってメッセージを常に子どもたちに送り続けてはいないだろうか。
そうなっていたら、それは相当息苦しい。
「学校が子どもたちの成長を支えるところ」であるためには、子どもたちに「今のあなたでいいんだ」って常に伝えていくことが大切なのだと思う。
それが結局は人を自ずと成長させていくことにつながっていくんじゃないだろうか。
それは逆説的だ。
それに現実には難しいこともあるんだけれど、現実にばっか合わせていたら、現実を変えていくことはできないでしょう。

2019年4月28日日曜日

碧落

最近、碧落(へきらく)という言葉を知った。
意味は青い空。
そこから転じて、遠いところという意味も持つ。
「碧(あお)」に「落ちる」という言葉を組み合わせて、青い空というのは、どうも腑に落ちない。
碧はどこに落ちていくのだろうか。ずっと気になっていた。

ある日の午後のこと。
教員室からグラウンドをぼうっと見ていた。
その日はまさに碧落と表すことができるような青空が広がっていて、子どもたちは思い思いの遊びをしていた。
それはのどかで優しい光景で、思わず口元がゆるんでしまった。

ふっと、気が付いた。
碧が落ちていく先、それは心のなかだ。
空の青さに、ゆるやかでおだやかな感動をするような、そんな青空を碧落というのだろう。
ちょうどそのときの自分の心もちのような。
学校に通う子どもたちにも、空の青さが心のなかに落ちてくるような、そんなゆるやかでおだやかな感動を、日々のふとした瞬間に感じてほしい。
そのためには、落ちてくる空の青さを受け止めるだけのやわらかさが、心に必要だろう。

子どもたちの心がやわらかでいられるように、また一年精を出していきたいと思う。
「一人ひとりの子どもの心のすみずみにまで行きわたる教育を」の言葉を大切に、丁寧に子どもたちに寄り添っていきたい。

2019年3月31日日曜日

学級経営観を問い直す

8月20日から22日までの3日間開かれた日私小連全国教員夏季研修会に参加した。
今年度は学級経営部会に主に参加した。
学級経営部会に参加した理由はいくつかあるのだけれど、そのなかでも大きなものは、3日目の講師が自由学園の最高学部の特任教授、成田喜一郎先生だったことだ。

成田先生は、3年前に長期研修で学んだ東京学芸大学教職大学院で教鞭をとられていた先生だった。

その講義はいつも難解だった。
僕だけの感想ではなく、他の院生も同様に感じていたので、僕の不勉強からくる感想ではなかったと思う。
厚みのあるやわらかな美声で、初めて耳にするカタカナ語が連発される講義は、正直言えば時には眠気を誘うものだったけれど、分からないにも関わらず僕はその授業が好きだった。
(分かりやすさは必ずしも良い授業の条件ではないといえる。難解でもおもしろい授業はある。これはとても興味深い実感。)

成田先生はいつも前向きだった。
他の授業では、不安を煽られたりすることが多少なりともあった。
それは、今の教育界をとりまく空気をまっとうに表したものであったと思う。
しかし、成田先生の授業は、先生自身が教育を愛し、楽しみ、慈しんでいることがいつも伝わってくるものだった。
そして何より膨大な知識と長い現場経験がまじりあった、うまく言えないが教養の巨人ともいえる成田ワールドに足を踏み入れることは、底なし沼にはまっていく良い意味での怖さがあった。
知的な好奇心というのは、きっと怖いもの見たさのようなものだ。
(学部時代に後に学芸大学の元学長を務められた鷲山先生に同様の気持ちを抱いたことを覚えている。)
 
悪い癖で、会場にほんのちょっとの遅刻で飛び込む。
会場が7階で、エレベーターがなかなかこなかったせいだ。
司会が成田先生の紹介を始めようとしていたときだった。
空いていた最前列、成田先生の目の前の席に座る。
成田先生と目が合う。
とても似合っていた口ひげはきれいになくなっていたが、相変わらずおだやかな目元であった。

ホリスティック教育、ESD、歴史等、成田先生が学ばれ、拓いてきた分野が紹介されていく。
関わられていることが実に多岐に渡るけれど、通底するものがある気がする。
おそらく成田先生自身は様々なことに手を広げている感覚は無いように思う。
僕の口から通底するものを単純化して言うことは控えるべきにも思うけれど、多分それは、人が生きる世界を理解し、より良くしていくために、今と未来何をしていくべきなのかということと言えそうだ。
教員だったらみんな共感することではないだろうか。

成田先生が話し始める。
スクリーンに出されたテーマは「ライフヒストリーの中の子どもたちと学級-現在と過去の対話-」。
成田先生の教員としてのこれまでの経験をエピソードをもとに起承転結に物語ること(ナラティブ)から、私たちが「学級経営」観を問い直す入り口に立つことが授業の目的であった。
「問い直す」という言葉を聞いて、そういえば2015年4月1日、教職大学院の初日に成田先生が話されたことも「問い直し」だったなと思い出した。
そのときはたしか「Unlearn」という言葉を使っていた。とても懐かしくなった。
 
身体性を実感するために木坂涼という詩人が書いた詩の朗読をするミニワークから授業がスタートする。
ワクワクと戸惑いが混じった表情を会場の教員が浮かべる。ああ、成田先生の授業だ。

起のエピソードはご自身の小学校時代の恩師や多様な同級生とのエピソードであった。1960年代に自らが受けた授業を情感たっぷりに語られる。
「私立の方はあまり学習指導要領を意識していないでしょうが…」と話していたが、もしかしたら成田先生は恩師のエピソードと学習指導要領との関係性をもっと語りたかったのではないかと感じた。
なぜなら語られる恩師の授業の思い出は、戦後すぐの学習指導要領試案が標榜した経験主義の教育を色濃く表しているように思えたからだ。

僕が学習指導要領や、経験主義と系統主義について学んだのも成田先生のレポート課題がきっかけだった。
公立の教員である他の同級生に比べ、知識が圧倒的に足りなかったので、必死で何冊も文献を読んで、自分なりに解釈して書き上げたレポートだった。
稚拙なレポートに、本当に丁寧にコメントを返してくださったことを思い出す。
教育を社会の流れ・文脈で捉えられるようになったのは、この学びのおかげだ。

たしか恩師の授業を「牧歌的」という言葉で表されたと思う。
この言葉が今もひっかかっている。
何やら毎日僕らは何かに急かされながら日々忙しく焦っているけれど、教育って「牧歌的な営み」であるべきではないか、あの日から急にそんなことを思っている。
少なくとも初等教育は、初等教育のなかで醸成される学級は、ゆるやかで温かい日々のなかにあるべきだと、そんなふうに強く思うようになって、そのことでなんだかやっぱり焦っているんだから、もう矛盾だ。
気がつくと、こんなふうに僕は学級を問い直している。

僕の原初的体験を一度言葉にして記録したい。
高橋先生に中西先生、春原先生、彼女たちは僕に何を与え、僕は何を学んだのだろう。
きっとあのエピソードを僕は取り上げるに違いない。

承のエピソードは意外だった。
いつも前向きなエピソードを話す成田先生が、中学校教員として初めて担任を持った時にやってしまった2人の生徒の信頼を失ったエピソードを話したからだ。
それは、やってはいけない失敗だった。
その40年近く前の失敗を、成田先生はまるで昨日起きたことのように、笑顔だけれど苦しそうに語る。
その姿は、見慣れた大学教員としてではなく、現場教員としての姿に見えた。
教養の巨人が、その時はふっと等身大でそばに来た気がした。
成田先生は今でもこの失敗の痛みを持ち続けているのだと思った。

転のエピソードは、ホリスティック教育との出会いについてだった。
成田先生と言えばホリスティック教育と先生を知っている人はきっとそう言うだろう。
でも、その出会いは、本当にいくつかの偶然が重なってもたらされたことを知る。
もちろん、貪欲にあがくように学んだからこそだ。
求めよ、さらば与えられん。
僕もあがき続ければ、いつか自分が心から納得できる教育観にたどり着けるのだろうか。

ホリスティック教育のもととなるHolism哲学は、おそらく3年前の大学院での授業でも提示されたのだと思う。
ただ、そのときはピンとこなかった。
それがどうだろう。
3年経った今、つながりという言葉が何度も出てくる5つの文章から成るHolism哲学が書かれている箇所に、僕は何本も下線をひいた。
その変化は自分がこの2年半教務主任を務めていることに無縁ではないだろう。
学校全体を見る立場になったことで、これまで意識していなかったつながりを強く意識するようになった。
つながりこそが教員や学校を支え、子どもたちを支える。
相手がたとえ無意識だとしても、自分がつながりを構築していくことでより良い状況をもたらそうとしているように、自分自身が意識できていないつながりが無数にあることが分かった。
そういえば今回の講義では話されなかったが、成田先生がよく口にされていたケアという言葉が、ここ最近は常に頭にある。
3年前学んだことと今がつながっていく。

結のエピソードは残念ながら時間の都合でほとんど話されなかった。もっと講義を聞いていたいと思った。
かわりに自分なりにこの講義を結びたい。

この2時間弱の講義を受けていて、僕の脳裏に浮かんでいたのは、成田先生が以前話されていた内村鑑三の「楕円の思想・哲学」だった。
これは物事の真理は、中心がひとつの円ではなく、2つある楕円だというものだ。
物事の正解はひとつではなく、2つ以上の解の適切な緊張とバランスの中から見出されるものと、自分では解釈している。
初めて聞いたときには、鷲山先生から教わった「アウフヘーベン」を思い浮かべた
22の時に教えられた「アウフヘーベン」、そして35の時に教えられた「楕円の思想・哲学」は、何かしら思索の小路に迷い込んだ時に、ふっと思い浮かぶ考えになっている。
今回もこれを思った。
端的に言えば、成田先生という人が、楕円なのだ。
体系的な知を湛えた人であると同時に、経験的な感情に結びつくよう学びの貴さを誰よりも知っている。
研究者として俯瞰の目で教育を捉えながら、実践者として子どもの傍に立つ視点や心を持ち続けている。
(さらに世阿弥の言う「離見の見 目前心後」という自らを見る視点も持たれている。)
ロマンチストかつリアリストだ。
記憶を記録にかえてポートフォリオ化すると同時に叙事的に詩のようにも綴っていく。
前向きのかたまりのように思っていたが、今回痛みと弱さが垣間見えた。

成田先生は楕円のまま、僕らの前に立つ。
楕円を円のゆがんだものとは捉えていないだろう。
だから決して自らを円に直そうとしない。
2項対立や矛盾、カオスを内包していく。
そして、さらに高次のものに昇華しようと探究し続け、アウトプットし続けていく。
この行為も真理へのつながりというのだろう。ホリスティックだ。
教育や学級もそこを目指すのではないか。
こじつけのようだけれど、たしかにそう思うのだ。

社会が大きく変わると言われている。
変化は不安を煽る。
不安なとき、人は単純で分かりやすいものにすがろうとする。
僕らひとりひとりの教育者も、単純で分かりやすく力強く聞こえる教育観に寄りかかることで安心しようとしているように思う。
そして、それに沿って学級の在り方も分かりやすく単純化されていく。
まるで、中心という名のたった一つの正解に向かう円のようになり、どんどんそれは狭くなっていく。

いや、違う。
教育は、学級は、人の営みは単純化はできない。
どこまでも複雑だ。
子どもたちひとりひとりはありのままで尊い存在なのだという真理を守れば守るほど、学級は複雑になる。
その複雑さを、そのまま楕円として内包していくのが学級経営なのではないか。
それを実現しようとすればするほど、楕円は広がらざるを得なくなっていく。

講義中にはたどり着けなかったが、考えたことを言葉に直していくなかで、「学級経営」観を問い直すという成田先生の初めの問いに対して、「人の営みという複雑さを内包するために広がりをはかっていくことが学級経営である」という一応の答えにたどり着けた。
ただ、ここでもう一つ問いが自分の中で浮かび上がってきた。
では、複雑さを抱きながら、それでも楕円という緊張とバランスを保った形に整えるためには何が必要なのだろうか。
ただ複雑なだけでは、いびつな形になる気がする。
ここにこそ、内包されたの同士のつながりが必要な気がする。
ひょっとしたら、取り巻く外側のものとのつながりも必要かもしれない。

まだまだ葛藤は続く。
その解は、これからも成田先生とのつながりの中で考え、見出していきたいと思う。