2025年11月24日月曜日

山梨学院小学校に行きました

10月の終わり、職場の創立記念日、同僚と山梨学院小学校へ。

盟友鉄兵がいつも「良い」と言っていた学校。気になっていたけれど、一方で意識の高い教員界隈で話題に挙がる印象はなかった。それが見学したらどうだったか。すばらしい学校だった。なんでこの学校が話題にならないのかと不思議に思うほど、すばらしい学校だった。

笛吹のインターを降りて学校に近づくと山梨学院大学の名を冠したグラウンドや寮が多く目に入ってくる。地域において大きな存在なんだなと思わされる。

大きな通りを右折すると、目指す小学校は左手にあった。大学の名の存在感のわりに、小学校の入り口はさほど大きなものではない。あとで分かったことだけれど、このこじんまりとした入り口の訳は、約20年前、学校を作る際に池田小の事件が世間を騒がせており、その影響だという。学生のころの話。あの事件の影響がこんなところにも、と思った。

会議室に通される。壁にはとても大きな抽象画の作品がかけられている。添えられた説明を読むとなんと学校の子どもが制作に関わった作品だった。驚いた。なんというか、解釈を人に委ねる抽象画を、格好つけて飾っているのかと思ったら、子どもの作品なのだ。子どもの作品をこんなに大きく、しかも雰囲気を持って飾っている。それがすごく素敵でひきつけられた。

絵を見ていると副校長の樫原先生が入ってきて説明を始めてくださった。「スポーツプロジェクト(≒子どもたちが作り上げていく運動会)で子どもたちが描いた作品なんですよ。」運動会と絵が結びつかず戸惑った。その戸惑いの表情があらわれていたのか樫原先生が続ける。「運動会と絵なんて変だと思いますよね。でも、スポーツプロジェクトをスポーツが得意な子だけが楽しめるものにしたくないんです。競技はあくまでもプロジェクトの一部で、例えばこうやってテーマに沿った絵をかいたり、競技を自分たちで考えたり、それを取材してアナウンス原稿を作る子がいたり、そういう活動を6年生が立ち上げていくんです。それぞれの子に出番があってほしいと思うのです。」ああ、共感することばかりだった。僕も学校にたくさんの子が光る場面を作りたいと思う。輝きたい子が輝ける場面はもちろん、ふだんは目立たない前に出ることが苦手な子も気づいたら輝く場面、そういうものがあってほしい。それをきちんと意図して作っていることが素敵だと思った。意図してやらせている、ではなく、意図して子どもに委ねることでそれを生み出している。

会議室を出て、教室のあるほうへ向かう…はずだったが、玄関のようなところでカルチャープロジェクトのテーマやグループが書かれているところで足が止まる。週明けから15日までの2週間、すべての授業が止まってこのカルチャープロジェクトに向かうそうだ。このグループの顔ぶれが実に面白い。実際に仕入れをしてもうけを見込んで販売をするデパート「ブランドYOU」。あとで校長先生が教えてくださったが、地元の有名店に子どもたちが交渉しているそうだ。また甲府に進出したコストコとも関わるらしい。聞いているだけでワクワクする。他にもダンスや廃材工作などバラエティにとんだグループがある。これは6年生が立ち上げて1年生から5年生にプレゼンをし、仲間を募るらしい。本校のクラブに似ているけれど、それが1年生からということがすごい。それぞれ自分たちでつけた名前があり、それがまたワクワクさせる。「楽しいでしょ?」と本当に楽しそうに樫原先生が言う。その表情がとてもいいなあと思う。

教室に入るとまた驚いた。扉がついたてのような薄いものなのだ。中に入ってみて分かったが、つくりがとにかくオープンだ。一時期広まったオープン教室の作り。一学年が2クラス。廊下側には壁が一切無く、教室と同じくらいに大きくとられた廊下に隣接している。逆側は大きな一面の窓。窓の端にはガラスの扉。子どもたちがすぐ外に遊びに出られるようになっているそのつくりと思想はうちの学校と同じだ。うれしくなる。

1年生の教室では左側のクラスはワークシートに取り組んでいて、クラスに2人いる先生が持ってきた子のプリントにその場で丸付けをしていた。一クラスが40人近い。「はじめは30人一クラスで始めようと思ったんですが、(受験生を)落とせなくて」と樫原先生。それを聞いて胸がズキンと痛む。僕たちの学校、つまり僕はたくさんの子を落として傷つけている。

隣のクラスでは食品を長持ちさせる工夫について学んでいた。机をくっつけていくつかの島ができている。島ごとに調べる項目が違うようだ。一定の時間ごとに島を移動して学ぶ子たち。じっといすに座るのではなく動ける時間を作っているのだと見ていると「生活の授業では授業中いすに座っていたらだめだからと同僚に言っているのです。活動させましょうって」と。素敵と思う。感服のため息ばかりついている。

クラスを回るなかで驚かされたのは2年生だ。通りがかったときはちょうど休み時間。それぞれの机に置かれていたのはおいものツルで作ったリースの土台。机いっぱいの大きさだ。前の時間に作ったのだろう。うれしそうに頭にのせている子たちが教室を小走りで走り回っていた。教室の外で後片付けに追われている担当の先生を樫原先生が呼んでくださった。リースのすばらしさの感想を告げると「ありがとうございます。でもこれ計画していたんじゃないんです。おいもを掘ってみたら思いのほか不作で、これじゃあまずいと思って、何かできないからなあと思ったときに、子どもたちからリースを作ったことがあるからやりたいって声があがって…」なんということだろう。これが計画された活動ではないなんて。子どもたちと先生のやりとりで浮かび上がった活動だなんて。腰が抜けるほど驚いた。かっこういいなあと思った。うまく言えないけれど、すごく学校だなあと思った。僕の考える、僕の好きな、僕の目指す学校だ。子どもと先生との関わりのなかで何をやるかが自然に生まれていくのだ。「常に変化していく学校です。大きなカリキュラムは決まっているけれど、前の年にやったからといって、次も同じことをやるということはしません。だって先生によって何が向いているのか、違うでしょ」樫原先生が教えてくださったことを目の当たりにしている気がする。とにかく、すごい。

案内をされながら校内を回る。低学年のメディアセンターにはタルボサウルスのレプリカの全身化石があり度肝を抜かされる。一方で靴をぬいでくつろぎながら本を読む場所や、畳の場所などは本校でも取り入れられそうだ。(高学年のメディアセンターにはサンタマリア号のレプリカがあり、ふたたび度肝を抜かれることになる。そしてキューブ型の連なった個室にはうらやましくなる。)

和紙づくりの活動をしている小さな子が、自分自身の活動をほんのり自慢げに説明をしてくれる姿に、ああ、活動が自分のものになっているのだなと、静かに、でも深く感動をした。と振り返っていて思う。そうか、何でこの学校に自分がこんなに感動したのか。それは探究やプロジェクト、バカロレアといった、割と今、先進的とされるこれらのことに山梨学院小学校は取り組んでいる。でも樫原先生は特にそれらに力を入れて説明していなかった。それよりも学校の子どもたちの姿をいっぱい説明してくれた。樫原先生自身がこの学校の何を楽しいと感じているかを伝えてくれた。学校のすばらしいとされるコンセプトよりも、それぞれの活動における子どもたちの姿をとても楽しそうにうれしそうに語られる。そのような姿勢だからこそ探究やプロジェクト、それにバカロレアが上滑りしないのだろう。きちんと子どもたちの生活に織り込まれている。そのことに僕は強く惹かれる。

うがった見方かもしれないが、どんなに「子どもたちのため」と取り繕っても、実は自分たちのコンセプトの実現のために子どもがいるような学校があるように思う。どう考えたって、子どものためにコンセプトがあるはずなのに。自分はそこに違和感を持っていたのだと気づく。こうしてちゃんとした素敵な学校を見て、いきいきとした子どもたちを見て、それに気づくことができた。僕の学校もそうありたい。

最後に自慢の給食をいただく。自慢通りだった。おいしいお野菜たっぷりのお味噌汁は出汁がしっかりとられていて、本当においしかった。給食をいただきながら伺った瀬端校長の話はすごかった。長野の教員時代の話。1年を通して子どもたちと縄文の生活をする。木をとってくることから始める竪穴住居づくりの話。本で読んだ鳥山敏子実践や金森学級と重なるようで、日本の連綿と紡いできた実直で骨太な実践家が目の前にいるように思えて手に汗を握った。ここでもまた、山梨学院小学校のコンセプトが上滑りしない理由を目の当たりにした気がした。

山梨学院小学校と本校、カリキュラムには大きな違いがあれど、根底に流れる思いのようなものはすごく似ているんじゃないかと思う。僕は強い共感の思いを抱いた。できれば同僚を連れてまた学ばせてもらいたい。自分の学校が良くなる大きなきっかけになるように思った。

本当に貴重な時間だった。忙しいなかでわざわざ時間を割いてくださった瀬端校長、樫原副校長、それにおたかさんに感謝したい。


2025年11月15日土曜日

境目なくまざりあう「自由で豊か」な学校 軽井沢風越学園

 前日は冷たい雨が降っていた軽井沢は翌朝は真っ白な霧がかかっていた。

それが念願の風越学園に着くころには青空が広がっていた。

駐車場から眺める風越学園の校舎。その上に広がる空がとても高く見えた。

駐車場から校舎に向かうと、そこには一頭のポニーがいて、まるで笑ったかのように歯を見せて僕らを歓迎してくれた。

朝9時。幼稚園の子どもたちが歓声をあげて遊んでいた。

風越学園に足を踏み入れる。

右手に事務室のようなものがある。

と思ったらここがスタッフルーム、つまり職員室だった。

この日は部屋の暖気を逃がさないために透明のビニールカーテンのようなものがかかっていたが、なんとあけっぴろげな職員室なんだろうか。

「有馬さん、勝手に入っていいから。子どもも勝手に入ってきますから。そこらへんに荷物置いて。」

校長の岩瀬さんが言う。

言う通り子どもがひとりふらっと入ってくる。

「ポケモンハラスメントだ」とひとりの先生、ここではスタッフと呼ばれる人がつぶやいてい。

その子はきっとポケモンの話がしたくてこの場所に入ってきたんだ。

実は僕は教員になった今でも教員室に少し緊張する。

今年から教室ではなくそこが自分の主戦場となった今だってそうだ。

きっと風越の子にはそういう緊張はないんだろうなと思った。


「朝はそれぞれのホームで45分過ごすんです。それでこれからはじめの時間が始まるんだけれど、今日は校長として賞状を渡すことになっているから、今から言ってくるからちょっと待ってて。」

言われるままに岩瀬さんを待つ。

どうやらはじめの時間がちょうど始まるようで、子どもたちが各々の場所に移動していく。ただ、驚くほどそれがあわただしくなくゆったりしているように思えた。

その様子をぼうっと見ていると、なんというか腰高の位置の人工芝のようなものがしかれたベンチに横たわっていたひとりの男の子に話しかけられる。

名前をはるとくんと言う。

「はるとくん、僕ら今日はこの学校の見学に来たんだ。」

と話しかけると

「ここは自由で豊かだよ」

という答えが返ってきた。


岩瀬さんがスライドを使って丁寧に今日の見学のチェックインをしてくれる。

10年前、休職制度を利用し教職大学院に1年間通った。

そこで出会った岩瀬先生。自分が初めてこんなふうになりたいと焦がれて、そしてなれなくて焦げた人が目の前で丁寧にチェックインをしてくれている。

その様子がまるで院の授業のようで懐かしく、うれしかった。

のもつかの間、岩瀬さんの後ろの大きな窓の外にリュックを背負った小学生が列でどこかに出かけていく。その後ろには林が広がっていく。

列の中に旧知の太一の姿を見つける。

列の中だ。そう、教員が先頭で子どもたちを先導するんじゃない。子どもたちの列の中に、少し大きな人が混じっている、そんな引率の仕方。

せっかくの岩瀬さんのチェックインのときに僕はそんなふうに後ろの子どもたちに目を奪われていた。


「それではお昼まで自由に見学してください。何をしていてもどこに入ってもだいじょうぶです。ただ幼稚園の小さな子たちの遊びに入るのはどうか気をつけてください。自分がそこに入ることでどんな影響があるかよく考えてください。」

その言葉通り、本当にそこからは何をしていても、どこに入ってもだいじょうぶだった。


見学の初め、僕は戸惑いに突き落とされた。

まずは校舎のつくりが分からない。

風越学園の校舎は、なんというかつかみどころがないのだ。廊下の片側に教室が並ぶ、なんてことはないのだ。それどころか、そもそも廊下がない。それは広い通路だったり、同じつくりの部屋は無いし…どこに行けばいいのか分からなくなる。

「図書室を中心に校舎が広がっています」みたいな文章をどこかで見た気がするけれど、なんというか本棚は無限に広がっていくように中心から周りまで置かれていた。

図書室の学校だ。

部屋は大小さまざまで、それに階段下や通路の脇に秘密の小スペースのようなものもあり、ワクワクする。

階段はまるでステージのようで、それから本棚と本棚の間はゆるやかなスロープになっていて回遊できるようになっている。

それから子どもの動きもよく分からないのだ。

小学生はプロジェクトの時間で、中学生は土台の時間、つまり教科の時間だそうなんだけれど、まるでわけもなく本棚の間を歩く中学年くらいの男の子3人組がいるかと思うと、ずっと歩き回っている子もいたり、常に誰かがのんびりと歩いているのだ。

それでこちらも歩いてみると、なんとなく実はそれぞれの場所でそれぞれの学びが行われていて、その様子がつかめてきた。

お味噌汁を作っているのは高学年の子たち。手書きの工程表を片手にお味噌汁のいい匂いがただよってくる。

人懐っこい女の子が「味噌は用意してもらったけれど、具は自分で用意したの」と笑顔で教えてくれる。

キッチンの前には幅広の階段があって、その奥に身をかがめないと歩けないような秘密の通路を見つけた。そこを抜けたら2階。

割と大きな音を響かせていたのは1・2年生。

地域探検を自分たちでまとめている。

教室から机を持ってきて、広くとられた通路に机を出して、一心不乱に取り組んでいる。

うつぶせで床にねながらやっている子もちらほら。でも、小さいときのお絵描きってこのスタイルだったよなと思う。

いきいきとした姿だった。

ぐるっと回ると、そこでは中学生が数学に挑んでいる。

部屋のなかにはスタッフがいて、スタッフに質問している子がいる。

広めのテーブルでは男の子たちが4人で楽しそうにアドバイスをし合って問題にいどんでいる。

部屋を出ると通路に沿ってカウンターのような机が伸びる。こちらはひとりで学ぶところのようだ。黙々と問題に向かっている。

のぞくと、半分くらいの子は同じプリントに取り組んでいたけれど、自分で選んだ課題に取り組んでいた子もいた。

ここでも親しげに9年生(中学生)の男の子が話しかけてくる。

素直な子だなと思う。


みんなが教室、部屋に入っているわけではない。

というより、教室以外の広くとられた通路もそもそも子どもたちの学びの場所として想定されているし成立している。

だから、と言っていいのか分からないけれど、学びに向かなくてうろうろと校舎を歩く子も、別に目立たない。

学びから逃避している子たちがいて、でもみんながゆるやかにほっといている。

実はよく見るとスタッフはただほっといているわけではなく、声かけはしている。

でも無理に教室に押し込めたりはしない。

それはなかなか考えさせられる光景だった。

教室にはいられなくなる子たちを、どう教室でおとなしく学ばせるかに苦心している自分のやっていることのそもそもを考えさせる光景だった。


すべてが流動的だと感じた。校舎の作りもまるで一定でなく、学びの時間の区切りも1日じゃうまくつかめない。

固定化されていない。常に動き続け境目なくまざりあっている。人も空間も時間も。

そうやって言葉に直していくと、とても異質だ。

実際に僕も手に持っていたメモ帳に「異質」と書いた。

でも、その言葉がまったくしっくりこない。

目の前にある「異質」にそれでも「違和感」を抱かないのだ。

だから、本当に「異質」と表すことがいいのか、迷う。

この不思議。

だって子どもたちの過ごす様子はとても「自然」に見えた。「異質」なのに「自然」。

そう、子どもたちは自然に過ごしていた。


やがて、なんとなく大きな時間のくぎりだったようで、中学生たちが外に出ていく。

体育のような時間で、どうやら校舎の周りを走るらしい。

グラウンドを横切るとそこには林が広がっていた。

林だ、本物の。

走る中学生に着いていくことを早々にあきらめ、落ち葉を踏みながら林を歩く。

林を抜けると再び校舎の前に出た。高い高い青空がそれを包んでいた。

このとき、気づいた。

風越学園には敷地と外とを隔てるフェンスが無いのだ。

校舎があり、周りが広場のようになっていて、その外には林がある。

それがすごく素敵だと思った。

壁に囲まれていないことがとても良いと思った。

そうか、風越の子は、どこにでも行けるんだな、そう思った。

どの時間にどこにいてもいい。ひょっとしたら外にだって出てしまえる。だって子どもたちを閉じ込める壁が無いんだもの。

でも風越の子たちはここにいる。

どこにでも行けるから ここにいる。

なんでもできるから やることをやる。

なんだかそういうふうに思えて、それが自分ではすごく納得できる言葉だった。


お昼に聞いた中学生の言葉は圧巻だった。

ゆるやかに動き続け、どこにでもいけてなんでもできる子たちが、風越の学びの終わりが近づいてきたときに、私自身を見つけているその様に、僕は感動した。

肉体的には決して強くは見えない細身の男の子たちの穏やかな語り口に、それでも、成長とはこういうことだと言わんばかりのしなやかで圧倒的な根が張った力強さを感じて、すごくまぶしく感じたし、勇気づけられた。

それを聞いている岩瀬さんもうれしそうで、なんだか自慢げにも見えた。そりゃそうだ。


とは言うものの、やっぱり何をしてもいいということに流されているような子たちはいた。

僕が風越にいた日、時間のほとんどをゲームに費やしていた子がいた。

岩瀬さんはこれまでもいたそういう子が「どこかでぐっと伸びる」姿をたしかに風越で見てきたから、それを待てるという。

でも、僕はこの1日だけしか見ていないので、やはりそれで1日を過ごしてしまう子の姿がひっかかる。


1日じゃ、分からないことがある。

それでも1日で子どもたちの自然な姿をたくさん見られたことは大きな発見だった。

みんなも見たほうがいいと思った。

自分にとって「異質」な場所でも、まるで「自然」に子どもたちが学ぶ姿。

全然違う方法なのに、きっと学校の日々のなかで自分が良いなと思う子どもたちの姿が風越ではきっとたくさん見られるし、そうなると風越って「特別」というのが思い込みなのかしらとも思うから。


念願の風越学園。

どこかでひょっとしたら縁が無いのかなと思っていたけれど、その予感を突き破ってたどり着いてよかった。

1日じゃわからない。だからまた行きたい。



写真は撮らないようにということだったので、お昼のために買ったMelというパン屋さんの写真。めちゃくちゃおいしかった。



2025年9月20日土曜日

1年生との会話

 「〇〇先生、たろうくんが探していたよ」


教員室のドアが開いて、1年生が2人、大きな声で私のことを呼びました。


そうだった。私はある約束をすっかり忘れてしまっていたことに気がつきました。


それは今朝のこと、1年生が使う中庭のながしで手をあらっていると、たろうくんに話しかけられました。


「〇〇先生、今から遊ぼう」


「ごめんよ。これから正門でみんなに朝のあいさつがしたいんだ」


「20分休みは?」


「20分休みは中学校で会議なんだよ…そうだ、昼休みはどうかな?」


「分かった。昼休みね。約束だよ」


その約束をすっぽかしてしまっていたのです。


たろうくんごめん。いろいろな人に連絡をしなくちゃいけなかったり、たくさんの人のお話を聞いていたりして、私はすっかり忘れちゃっていたんだ。


急いで1年生の教室に向かいます。


呼びに来てくれた2人の1年生、それぞれと右手と左手に手をつないで歩きます。


右手につないでいた子が、何かをたしかめるように、おもむろに左手につないだ子に向けて話し出します。


「やっぱり、〇〇先生よりザリガニのほうがかわいいよ」


ああ、私はザリガニにはかなわなかったか。すると左手につないでいた子。


「でも、〇〇先生のほうがかっこいいよ」


なんということでしょう。


あの大きなはさみの持ち主のザリガニより、まさか私のほうがかっこいいなんて、とっても光栄でうれしい。


すると反対から


「えー、だってザリガニはおめめがくりっくりなんだよ」


私だってつぶらなひとみがチャームポイントだよと言い返したくなりましたが、ぐっとこらえました。


ライバルはザリガニでした。


そんな2人の楽しいお話に耳をかたむけているとすぐに1年生の教室にたどりつきました。


あっ、たろうくんがいました。


「ごめーん!おそくなっちゃった。ごめんなさい。」


「いいよー、何して遊ぶ?」


うれしそうなたろうくんとしばらくバッタのいる草むらを見ながら楽しんでいると、すぐにチャイムが鳴ってしまいました。


「ごめんね。ちょっとしか遊べなかった」


「うん。もっと遊びたかった。でもさ、〇〇先生を探すの、楽しかったからいいよ!」


なんだか私もすごく楽しい休み時間でした。


幸せな仕事をしているなと思いました。


(たろうくんは仮名です)

2025年9月14日日曜日

忘れたくない今日の出来事

今日の文章は自分のために書く。

書き残しておきたいから。

先週のいつだったか、教員室に戻ると机の上に1通の手紙が置いてあった。

中を見ると高校3年生の男の子からの手紙だった。

なんとなく顔が浮かぶ。

小さくて活発な男の子だった。もう高3なのか。

引退のかかった試合が中高のグラウンドであるから見に来てほしい、そういう手紙だった。

便箋1枚の三分の二くらいを使って丁寧に書かれていた。

うれしかったけれど、担任をもったわけではない子からの招待に、少し戸惑った。

わざわざ手紙を出すほどの特別な思い入れが僕にあるとは思わなかったからだ。


少し遅れて試合を見に行く。

彼は想像もつかないほど体格がよくなっていて、そして黄色いキャプテンマークを腕に巻いていた。

驚いた。

リーダーシップのある子では無かったから。

中高の6年間での成長がそのキャプテンマークにあるように思えてうれしくなる。

まばらにいた応援団に混じっていた彼の母親が僕に気づいて近づいてくる。

「忙しい中ありがとうございます。喜ぶと思います。あの子、先生に試合見てほしいってずっと言っていたから」

と言うと、なんとお母さんが泣き出してしまった。

「先生のおかげです。今こうして桐朋のグラウンドでサッカーをしているなんて。もう小学校で終わりだと思っていたから」

面食らってしまった。まったくそんな恩人のように言われる覚えはない。

たしかに態度があまりよくなく、6年生のころ、担任と合わずにぶつかっていた。

僕は当時教務主任をやっていて、それで両親と面談をしたことを覚えている。

態度のよくなさもわかっていたけれど、それでも素直で人懐っこい性格だとも思っていて、率直にそのことを伝えたのだと思う。

当時、若い教員が一気に3人、2人と連続で入り、とにかく教務主任として様々な保護者からの話を聞いていた。

子どもたちは心から大切で、一方で同僚もやっぱり大切で、だから特に担任に不満を持つ保護者との面談は気を遣った。

誰も悪者にしたくなかったし、何より子どもを大切にしたかった。

僕ができたのは子どもの学校での姿を伝えることだった。子どもたちのことをたくさん知っていたことがよかった。とにかく心を込めて話した。

それにしても涙を流されるほどのことをした自覚はまったくなかったので面食らった。

悪い気はしなかったけれど、ぴんとは来ていなかった。


試合は一進一退だった。

そして終わりを告げる笛が鳴ったが、同点。

どうしても次の予定があるので、応援団の集団を離れ、グラウンドを後にしようと思ったが、グラウンドの端まできて振り返るとPK戦が始まるところだった。

最初のキッカーが彼だった。

PK戦ならすぐに決着がつく。

せっかくだからグラウンドの端で見ていこうと決めた。

彼は冷静に決める。

そしてキーパーを抱きしめ、励ましていた。キャプテンらしい姿だった。

相手の3人目と4人目のシュートをキーパーが立て続けに止め、桐朋は5人とも決めた。

勝利だ。

爆発するように喜ぶ選手たち。

そして応援団のほうに走っていく。

…彼だけは逆側に走ってくる。

まさか…

なんと逆側にいた僕に向けて全力で走ってきた。

「勝ったよ!」

そういって全力で抱き着いてきた。

筋トレをしていてよかった。

僕は汗だくの彼をそのまま受け止める。

遠目には分からなかったけれど、体は砂だらけだ。

それをしっかりと受け止める。

「来てくれてありがとう!」

「おめでとう!」

言葉を交わして、それから彼に応援団のほうに行くように促す。

驚いた。

それからうれしかった。

まさか彼がわき目もふらずにこっちに来るなんて思わなかった。


振り返っても、何か特別なことをしたようには思えない。

それでもきっと僕は彼の特別なんだと思う。

特別なことはしていないけれど、誠実に全力を重ねてきたと思う。

それがたまたま彼に深く届いていたのだろう。

うれしかった。

応援に来たのに、僕がはげまされた思いだ。

もちろん、逆もあるだろう。

心当たりは無いのに、誰かを深く傷つけていることだってあるだろう。

だからってこれから子どもとの距離を置いて関わるなんて絶対にしないと思う。

明日からも、ただただ子どもの近くにいたい。

うまく距離をとることは僕にはできない。

子どもたちの中に入って、全員のそばにいたい。

それで、丁寧に相手を尊重して、そして愛したい。


さく、ありがとう。僕、がんばるよ。



2025年5月14日水曜日

学校

 渡り廊下を渡って北館に入ると、突き当たりの角で子どもたちが上を向きながら何やら騒いでいる様子が遠くに目に入る。

ひとりが僕に気づいて駆け寄ってくる。

「アリック、大変!大変だよ!」

息を切らして伝えてきたのは2年生。

けが人だろうか。急いでそこへ向かう。

突き当りは2年生の教室の脇。

そこには僕を呼んでくれた子も含め3人の2年生と、僕と同じく2年生に呼ばれた感じの5年生が2人。

5年生が心配そうな声で言う。

「ほら、見て」

上を指さす。

するとそこには、シジュウカラがいた。

高い窓にコツコツと細かくぶつかっている。

外廊下からここまで迷い込んでしまったのか。

窓の外に広がる林に帰ろうとするたび、窓にぶつかってしまっていて、その様子を見てすぐに胸が痛くなった。

子どもたちもどうにかしたくて、そこから離れられなくなったらしい。

「椅子をとってきて」

そのままでは届かない窓を開けるため、教室から椅子をとってきてもらう。

靴を脱いで椅子に乗ると、高い場所につけられた窓の鍵になんとか手が届く。どうにか窓を開ける。

「行けー!」とシジュウカラの背中を押すように2年生が叫ぶ。

しかし、まっすぐな2年生の言葉を裏切るように、シジュウカラは外ではなく北館の奥のほうへと飛んで行ってしまった。

僕の手が近づいたことをこわがってしまったのだ。

飛んでいくシジュウカラの下を2年生が追いかける。

「そっちじゃないよ!こっちだよ!」

なんとか回り込むと、ぴょんぴょん飛び跳ねてなんとかシジュウカラを誘導する。

するとシジュウカラがようやくもとの窓へ行き先を決めて向かってきた。

「行けー!」

2年生だけでなく、今度は5年生も僕もさけぶ。

さっきまでぶつかっていた窓はもう開いている。シジュウカラはその先に緑の見える空へと勢いよく飛び出していった。

「やったー!」

ぼくたちは自然とハイタッチをする。

「じゃあ、さようなら」

見ると2年生はランドセルを背負っていて、帰る途中だったみたい。体育着の5年生はそのまま体育館へ向かう。

僕は窓を閉じ直すために最後までそこにいる。

窓を閉めて、それから椅子を片付ける。

そこで、はだしになっていたことを思い出す。

靴を履きながら、自分が笑っていることに気づく。

(もちろん写真は撮れなかった。添付の写真はちょっと留守にしていた隙に教室に入り込みパソコンの上に行儀よくとまっていたヒヨドリ。あわてて写真に撮ったらぶれてしまった。そしてすぐに飛び立ってしまった。)



2024年10月13日日曜日

子どもと遊ぶこと

初任のときは分かりやすく若さと体力で子どものなかに飛び込んでいく教員だったので、思い切りいっしょになって体を動かしていた。体育の時間には1人VS36人のリレーをやった。長距離には自信があったのだけれど、子どもはひとり半周で、僕はひとりで18周を走るリレーはぼろ負けした。

休み時間はいつもおにごっこをしたり、サッカーをしたりしていた。

それが初任の自分にできる子どもからの信頼を得るやり方だった。

それを見ていたベテラン教員に「いいわねえ、若くて、体力があって。」と言葉のうえではほめているんだけれど、どこか皮肉めいた口調で言われたことがある。

その理由は分かっていた。いずれ歳をとったら、子どもと遊ぶ体力は無くなってきて、そんなやり方は続けられなくなるからだ。そうなる前に、しっかりと授業の腕をあげたいなと当時そんなことを考えていたことを覚えている。

それから20年の月日が経った。

昨年6年生を受け持ったときには、1人VS18人でドッジボールをした。なんと球は同時に無制限の数でいいという狂ったルールだったので、そりゃもう何発も当てられたのだけれど、こちらも負けじと子ども相手に本気の球を何球も投げ込んだ。

そして今年は3年生を持っている。おかげさまで長い休み時間があると、「アリックオニゴ」と子どもたちが名付けたおにごっこをいつもせがまれる。せがまれるうちが華だろう。正直ずっと走り続ける体力はとうに失っているのだけれど、それでも10分間は本気で子どもたちを追いかけまわす。

今日は必死に子どもたちを追いかけていると、周りで別の遊びをしていた子たちが次々に加わってきて、最終的には30人ほどにふくらんでいた。おには、僕ひとりだ。

捕まえても仲間が助けられるどろけい型のおにごっこなので、捕まえても捕まえても子どもたちは解放され逃げていく。まるで賽の河原の石積みだ。中年が汗をかきながらグラウンドを走る姿は、きっと美しくはないだろう。それでも少し、今でもこうして子どもと思い切り遊ぶ自分が嫌いじゃないのだ。

いつかタイムマシンができたら20年前に戻って初任のころの僕に伝えたい。あなたはあなたのやり方を続けるよ。体力は失われていくけれど、どうやら気力はずっと保たれ続けるよと。

授業はそれなりに腕は磨いたつもりでいるけれど、やっぱりあなたは子どもと遊ぶことで信頼を得ていっているよと。


それから、「子どもの遊びに大人(教員)が入ってばかりいると大人抜きでは遊べなくなるよ」みたいなことも耳にする。

実際に自分もそれを恐れていた。

けれど、20年間たくさんの子と遊んできて分かったことがある。僕が遊び続けたせいで子どもだけで遊べなくなる子たちなんて、いなかった。

僕がいなければいないで、みんな楽しく遊んでいる。

そりゃあ、入った大人が、遊びを管理したり常にジャッジを続けるような勘違いをした参加の仕方をしていれば、子どもたちはその大人の顔色を伺ったり、また自分たちでジャッジができなくなり、常にその大人が必要になるんだろうけれど、それは子どもといっしょに遊んでいるとは言わないでしょう。

遊ぶっていうのは対等じゃなきゃ。僕はいつも体の大きな参加者として、ただただ遊びを楽しんでいる。

とにかく僕が子どもたちと思い切り遊んだ結果、僕がいなきゃ遊べなくなる、そんなことは無かった。


秋の気持ちの良い陽の光のなかで今日は思い切り遊んだ。

それで、こんなことを考えたんだ。



2024年8月19日月曜日

石川晋さんの話を聞く 20240817

立川にNPO授業づくりネットワーク理事長の石川晋さんの話を聞きに行く。

本当なら晋さんと多賀一郎さんとの対談の企画だったのだけれど、台風のせいで多賀一郎さんが東京に来られなくなり、晋さんひとりの会になった。残念ではありつつも、しばらく晋さんの話を聞く機会も無かったので楽しみでもあった。

リスルホール5階の会場にいつも通り時間ぎりぎりに着くと、20人ほどだろうか、参加者の方が集まっていた。

まずは絵本の読み聞かせの時間。1冊目の荒井良二「そのつもり」がすばらしかった。晋さんは参加者のひとりとの思い出話をからめながら、その方がつぶやいた「この本はファシリテーションの本だ」という言葉を引用していた。僕は聞きながら「なってみるの絵本」だなと感じていたが、実際にそうとも表現されていた。ただ僕がぐっと来たのは、その物語だ。騒がしく紛糾する森の動物たちの会議。その様子も決して悪いものではなく、にぎやかで楽しいのだけれど、それを収めたのが牛。ただ草を食べに来た牛。そして牛が去った空き地に静かに風が吹く。この風が吹く描写が染み入った。なんと穏やかで気持ちがいいのだろう。きっとこのとき、思い思いのことをそれぞれ主張していた動物たちも、言葉に出さないけれど同じ気持ちになったに違いない。言葉にならない共感。僕はそういう瞬間が好きなのだ。「そのつもり」はそれを想像させる絵本だった。思わずポチリ。

絵本を読みながら、1冊ずつの解説を晋さんは丁寧に行う。そこには授業を含めたデザインの話があり、紡がれた文章の工夫と読み方のコツがあり、循環というアートについての言及があり、絵本を通して様々な知的な刺激があった。(ただこういうふうに整理することを晋さん本人は望んでいなかったようにも思う。晋さんは研修を受けた教員が新しく得た知識をこれみよがしに発揮しようとすることを「研修ハイ」という言葉で揶揄していた。まさにこの文章を打っている今、自分がそれに陥っているようにも思う。)

上條晴夫さんの実践を引き合いに、「学校の先生の仕事はどれだけ対象を見られるか。子どもたちが対象を見る目をどれだけ育てられるか。」それに続く現在の教員に対してのクリティカルな指摘。こういう言葉に出会えるから、自分はこういう場に来るのだろう。

後半の晋さんの一問一答は講座の建付けが見事だった。あらかじめ晋さんは自分がSNSでつぶやいたことを印刷し、それをひとつずつ封筒にしまっていた。それぞれの封筒がかわいらしいものだった。参加者はその封筒を2つずつランダムに手に取り、自分が手にしたつぶやきについて、任意で晋さんに投げかけ質問していく。

晋さんは相変わらず飄々としていたけれど、これ、準備に時間がかかっただろうなと思う。でも、きっとにやにやしながら準備をしたのだろうなとも思う。それを思うと実践者としての晋さんにぐっと触れた気がした。身近に思った。とても丁寧な準備だけれど、それぞれのつぶやきは何かの裏紙に印刷されていて、そこはあえて粗さを見せたのだろうなとも思った。かわいらしい便せんに粗い裏紙。ロマンチックでシャイな人なんだろうな。

一問一答の内容は、参加者だけが味わえばいいと思う。含蓄のある時間だった。特に「まいごのかぎ」についての言及は共感するところが多かった。「ヤブガラシ」の意味に気づけない僕は、やはりただただ子どもの気持ちに添い遂げなきゃいけないんだなと思う。

自分のところに来たつぶやきは、あまりにパーソナルなものだったので、質問しづらかった。でも、ずっと質問をぶつけてみたかったものでもあった。それをぶつければ、きっといつも飄々としている晋さんの内面が見えるだろうから。でも、それをするのはすごくすごく非礼なことのようにも思えて躊躇していた。意を決して最後にぶつけると、それはとても大切なものを見せてもらったようなそんな時間になった。

傷つけると分かっていても、それでも進まないといけない。それはそれぞれの現場、立場で直面することのように思う。自分にそういう覚悟があるのだろうか。

ああ、いけない。研修ハイになっているので、少し冷まそうと思う。

ある自治体の学校の様子を見に行ったときの「あの先生、来年はいないね」と、きらびやかな陰で脱落していく教員のエピソードを話すときの晋さんはとてもつらそうだった。「先生が幸せじゃなくて子どもが幸せになれるんですか」そう絞り出すように言う。言葉自体はよく耳にする気がする。でもこんなにそれが強く伝わってくることはない。この時間に何度も冗談のように口にしていた研修ハイ、これは決して冗談じゃないんだろうな。僕はずっと良い先生になりたいと思っている。良い先生とは何か、と自分に問い続けながら、自分なりに学び続け、それなりに実践にうつしていると自負している。その自負が、誰かを傷つけていないか、教員室を居づらい場所にしているのではないか。良さを追求していくことや向上心を持ち続けていくこと、それは決して否定されるものではないと考える。でも、それが本当に学校を、自分が生きる場所を良くしていっているのかを考えなきゃいけないなと思う。何かを圧迫しながらではなく、淡々と向上していかなくてはならない。研修ローでいる必要が、本当にあるんだと思う。

足を運んで本当に良かった。