2022年12月4日日曜日

秋の1日

先月のある1日。

水田で収穫した稲穂。
しばらく干した後に脱穀したもみから、外側のもみがらをとって玄米にしていくもみすりを行う。
畑に近いテラスで、秋のやわらかな陽を浴びながら子どもたちは楽しそう。
すりばちにもみを入れ、野球の軟球ボールでごしごしとする。
その後、粉ふるいにもみを入れ、下からうちわであおぐと、はがれたもみがらが青空に舞う。そして、髪の毛に降ってくる。
「うわあ!さとちゃんの頭、大変なことになっているよ!」
歓声が挙がる。
のどかだ。
この日はそれから、教室横のテラスで牛乳パックを使い育てていたミニ大根も収穫する。
小さいけれどしっかり大根の形をしている。
何より、自分で育てたものだから、うれしい。
またまた歓声が挙がる。
「俺のちっちゃすぎるよー!しょうごのはおっきいのにさ!」
残念がる声も、どこかうれしそうに響く。
僕のミニ大根がなかなか立派に育ったことを自慢するタイミングをうかがっていたんだけれど、
「アリックのでかいじゃん!ずるい!」
と言われる。ここぞとばかり
「ずるい、じゃなくて、うらやましいでしょ。」
と返す。きっと相当、自慢げな表情になっていたと思う。
1日の最後には、グラウンドの脇に生えている柿の木の下に子どもたちが集合する。
6人で1つのグループ。
1人が高枝切りばさみを構え、他の5人はビニールシートを広げて持つ。
みんな、上を見上げている。
少し傾き始めた秋の陽が柿の実に降り注ぐ。
陽の光のような橙色の柿の向こうには青空が広がる。
慣れない高枝切りばさみに苦戦しながら、おいしそうな柿を探して、それを落としていく。
「ボトン!」
構えたビニールシートに柿が落ちるたびに、歓声が挙がる。
とった柿は、教室に持ち帰り、すぐに食べる。
調理室から借りてきたナイフとまな板。
得意な子がすぐにむきはじめる。
いつもはあまり目立たない女の子が、見事に柿をむいていく。
やんちゃな男の子が「みきちゃん、すげえ!ありがとう!」と大きな声で言う。
みきちゃんは、少し照れて、顔を下にむけて、柿をむき続ける。
今年の柿は、本当においしかった。
渋みが一切なく、甘みはつつましくほのかでさわやか。
興奮している子どもたちも、何だか落ち着いて味わっている。
幸せな1日だった。
(子どもたちは仮名です)






2022年10月30日日曜日

検索と文献

 「検索と文献」

社会科、工業の学習。
子どもは工業地帯、地域の責任者となる。選んだ工業地帯、地域に、任意の工場を誘致するためにプレゼンを行う。そのためのレポートづくり。
工業地域の場所、中心となる都市を日本地図におとしたり、工業種別の割合の円グラフ、さらに特徴や歴史をまとめる。
最後にその工業地域のキャッチフレーズを考えてみる。
このレポートをもとにプレゼンを行うという活動だ。
レポートの雛形やモデルは示していたのだけれど、それにしてもひとり1台は効率的だ。さくさく調べ、レポートが埋まっていく。
文献に比べ、スピードがまったく違う。
3時間を予定していたが、おそらく次の時間で多くの子が仕上がりそうだ。
とは言え、やっていて懸念は残る。
情報の真偽の問題はやはり強い懸念だ。
千葉県の都市配置がめちゃくちゃなサイトがあったり、表記ミスも見つけた。
それから検索は、情報をピンポイントでピックアップできる。
しかも、入力した言葉で、並行して様々なサイトから情報を得ることができる。
それがあまりにピンポイントすぎることも気になった。
ピンポイントに収集した多くの情報の中から、取捨選択するという行為の練習にはなる。
けれど、文献ではあった、広い情報からだんだんとそれを絞っていく活動は薄いと感じた。



図書室に入る。
得ようとする情報の載っている本が、図書室のどの棚にあるかを考える。
それは自分の得ようとしている情報が、大分類のどこに位置づけられるものなのか、考えることだ。
棚と棚の間を本の背表紙を眺めながら歩く。
ここで、目的からそれて、寄り道する子もいるかもしれない。
誘惑を振り払い、目的の棚の前まで行く。
棚にある本の背表紙をさきほどより丁寧に眺める。

ようやく目当ての本にたどり着いても、知りたいことがどのページに載っているか、それはすぐには分からない。
目次を見る。
「工業の分類」について調べたくても、目次には「工業の種類」と記載されているかもしれない。
頭の中で言葉をすりあわせていく。
ページを開いて、一読して、ようやく探していた情報らしきものにたどり着く。
腰と気持ちを落ち着けて、じっくりと文章と向き合う。



検索と文献と、情報を得るという目的は同じだけれど、その経験で身につくものは違う。
だから、学校ではどちらの経験もさせたいし、できるようにしたいと思った。
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2022年10月23日日曜日

修学旅行雑感

 修学旅行雑感

本校では慣例で5年生担任がひとり引率をする。
コロナ以降で久しぶりの修学旅行。
信州の旅。
書き残しておきたいことがあるので、書いておく。


2日目の上高地は、これ以上にない晴天。
冷え込んだ空気のおかげで陽の光の温かさが体を包むようだった。
大正池からの焼岳、透き通る梓川の水面は光り輝き、目線を上げれば穂高連峰の山並みが青空に映える。
美しさに息を呑む。言葉のかわりにため息がもれる。
この言葉にならない感動を、「自然への畏敬の念」という言葉にしたんだろう。
そんなことを思う。
「きれいだね!」
そんなことを早口に言いながら、自由散策の子どもたちは足早に歩いていく。
どうやら他のグループより早く目的地に着きたいらしい。
もったいないと思いながら、それでもいいのかもしれないとも思う。
しみじみと染み入る滋味な味わいは、子どもたちには似合わない。
歳を重ねて、たくさんのものを見て、たくさんのものに汚れるからこそ、自然の美しさに心を洗われるんだろう。
「きれいだね!」
今はその感想でいいんだと思う。
美しい自然を尻目に、それよりも友だちと非日常にいる高揚感に浮足立つ子どもたちはまっとうだ。
それでも、美しさの中で過ごせたことは子どもたちの心に残っていくと思う。



3日目のちひろ美術館。
特別展は「絵本画家の絵の具箱」と「谷内こうた」展。
どちらも絵本のラフ画や原画が多く飾られていて、見入ってしまった。
「絵本画家の絵の具箱」を見ると、作者により、画材が様々に使い分けられていることが分かった。
それに描かれるものも、スケッチブックだったり石膏ボードのようなものだったり。
絵本だとどうしても紙に印刷されてしまうけれど、こんなに「絵画」だったんだなと、当たり前だけれど見落としていたことを痛感した。
「谷内こうた」展では、なにげない1ページのために、何度も下書きをしたことが分かるものがあって、それも感じることがあった。
美術館内で、ひとりの男子児童が大きな声で話しかけてきた。
「アリック!僕分かったよ!絵本は、絵を見ていたんだよ!それが初めて分かった!!」
静謐な美術館で大声をあげることをたしなめようと思ったけれど、あまりに彼の言ったことに共感したので、思わず、
「そうだね。本当に思うよ。僕も同じこと思った。」とこちらもそれなりの声で応えてしまった。
そう。
今回展示を見て、絵本の1ページ1ページが絵画作品であると感じた。
そして、それを、誰もがなにげなくめくり、どんな読み方もゆるしてくれることの温かさに気づき、なんてすばらしい文化なんだろうと感動した。
絵本という文化の寛容さに感動したのだ。
これだけの芸術を押し付けることなく高尚さとは無縁のような表情で、いつでもだれでも受け入れるなんて、なんてありがたいものなんだろう。
彼もきっと同じように感じたんだろうな。
それがうれしい。


そんな修学旅行だった。




2022年7月17日日曜日

黙食について

 いまだ黙食が続いている。

行事などは一定の工夫と配慮をしながらすすめているけれど、そもそもの毎日の生活では、まだまだ慎重な感じなのだ。
様々な意見があるだろうけれど、様々な意見が混ざり合い生活する場では、慎重な選択にならざるを得ないことを、特にこの数年は実感している。意見の狭間に立ち続け、疲弊している。それに、大人の選択の結果、子どもが意見の狭間の当事者になってしまって傷つくことはなんとか避けたい。
社会的合意を辛抱強く待つ。それを弱気だと責められることにも、「だから学校は…教員は…」と侮辱されることにもすでに慣れてしまった。
いまだ黙食が続いている、から始まる愉快なことを書こうとしたけれど、ちょっと吐き出したかったことがあふれてしまった。

2022年7月16日土曜日

中町さん・パラアスリート花岡さん「障害について」の授業

 今週初め、パラスイマーで50m背泳ぎの日本記録保持者の花岡恵梨香さんと、昨年まで江戸川区役所や都庁でパラスポーツに携わってきた中町佑介さんに、障害についての授業をしてもらいました。

 

まずは座学。中町さんから講義を受けました。

障害(バリア)の個人モデルと社会モデルについてや、アンコンシャス・バイアス(思い込み)についてを、事例を用いてとても分かりやすく教えてくれました。

分かりやすいけれど、過度に子ども扱いもされてない話で、それが子どもたちに届いていくのが分かりました。いや、子どもたちだけでなく、僕を含めた大人にもしっかり届きました。

授業後に聴講していた教員たちが、「すごくいい話だった。考えさせられた」と、一様に感銘を受けていたことが印象的でした。

「社会がバリアを作っているならなくすこともできるのです。バリアをなくしてよりよい社会を作りたいと思います。今あるバリアで困っている人がいたら助けてあげたり、助けを求められるように、積極的にがんばりたいと思いました」(子どもの感想より)

 

そして、次はいよいよ花岡さんと一緒に泳ぎます。

実際に僕も一緒に泳ぎました。

圧巻です。

本当に圧巻です。

まったくお話にならないくらい速い。

とにかく速い。

実際にいっしょに泳いでみると、プールサイドで見ていたより、圧倒的に速い。

最初のひとかきの時点で、もう取り返しのつかない差がついているって、いったいどういうことでしょうか。

ただただ圧倒的に速い。

あとでその感想を花岡さんに伝えると「まあ、日本記録持っていますから」とひとこと。

ですよね。そうですよね。

「まるで水をあやつっているようで、1人の選手として本当にあこがれてしまう」「やっぱりすごく速くてかっこいいなと思いました」(子どもの感想より)

 

障害者としてではなく、ひとりのアスリートへの畏敬の念を子どもたちも僕も持ちました。それは、「障害者だから」「○○だから」という言葉をつけないで、素直に感じてほしいという中町さんの言葉が腑に落ちる経験でした。

授業の終わりに花岡さんからのメッセージを聞いているときに、花岡さんを「障害者の花岡さん」と見ている子はおそらくいなかったでしょう。ただただ「花岡さん」の言葉を子どもたちは受け取っていました。

 

僕にとっては打ち合わせのときから気づくことの多い今回の授業で、自分のために本当にやってよかった授業でした。

子どもたちにとっても間違いなく素晴らしい時間で、できれば僕も子どものころに受けたい授業でした。

気さくでかっこいい花岡さんに、熱い中町さん。最高の2人でした。

 

中町さんは、いや中町は麻布中学、高校の後輩。文化祭や運動会の実行委員でいっしょで、先輩を立てる気の利くやつで、あれから四半世紀後にこうしてまたおもしろいことを一緒にできたこともうれしかったです。こうして振り返って結構感動しています。

 

花岡さん、中町さん、ありがとうございました!





2022年3月28日月曜日

書評「教室の日常が見える 子どもが主役の学級通信の作り方 小学校編」

6年前に岩瀬直樹さんと苫野一徳さんが行った「教師の学校」という講座でともに学んだ中井 俊之さんが書かれた本を読んだ。

題名は、「教室の日常が見える 子供が主役の学級通信の作り方 小学校編」。
題名の通り、学級通信の作り方について書かれた本。自分は週に1通の通信を出すことを楽しんでいる。だから、通信のコンクールで賞を受賞された中井さんのこの本が、その助けになると思い、ページをめくった。
その期待はよい意味で裏切られた。通信の構成や見せ方などの技術的なことの説明は5章のうち1章のみだった。もちろん、それは通信を書く上でとても参考になったし、真似したいことも何点もあった。
ただ、それよりも参考になったのは、3章「学級集団づくりにおける通信の活用」、4章「子どもの生活指導における通信の活用」だ。中井さんが何のために通信を書くのかが丁寧に書かれている。保護者への連絡の媒体だけでなく、むしろ子どものたちの「成長のプロセスの情景」を映し出す鏡として通信があり、それを通じて子どもたちと教員が成長を振り返っていく。
本を読んで、学級通信の作り方を学ぶうちに、公認心理師・学校心理士である中井さんの眼差しを知ることができ、それがすごく参考になった。同様に、本文ではないコラムでも中井さんの考えに触れることができ、感銘を受けた。
そして、この本の醍醐味は巻末付録にある。なんと巻末には、2020年度に出した通信のほぼすべて、60号分が載せられている。その1号1号に、何を考えてその号を出したのかが簡潔に書き添えられているのだ。例えば42号にはこう書かれている。「5年生の仕事の様子に焦点を当てることで、6年生の成長を描きました。掃除のチーム分けの際に、6年生の仕事は特にないのですが、5年生を見守る姿に成長が感じられました。」
教員がどこに焦点を当てて子どもを見ているのかが分かる。それが、60号分だ。素晴らしい実践記録だと感じた。そうか、中井さんはそう見たのか、と著者と話している気分になった。
学級通信を書いている人、これから書こうと思っている人にすすめたい。それから、経験を積んだ教員が、どんな眼差しで、どこに視点を置いて子どもたちと日々を送っているかを知りたい人にもすすめたい。

書評「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」

尊敬する教職大学院の同級生 栗原 由紀 (山本由紀)さんが書いた「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」

都下にある青葉小という公立小学校の校内研究の詳細な記録が綴られている。研究の中心であった3人の教員がそれぞれ章を担当し、記されている。記録と言っても、それは客観的なものではなく、3人の教員の主観的な視点が多分に綴られている。研究の過程で何を考えていたか、どう感じたか、そこでどう動いて、今何を課題と感じているのか。3人の息遣いが感じられるようで、そこに心を動かされる。
まずは、いわゆる研究の手法として学ぶところの多い本だ。
各教員が自分自身の課題を設定し研究していく「個人課題」の研究過程は、非常に参考になった。
少人数の話し合いを共有していくことで全員が主体的に参加することを意図したラウンドスタディや、自主的な学びの場である「学びカフェ」についても、多くの教員、学校にとって参考になると思う。
ただ、この本で参考になったのは、研究の手法そのものだけでなく、前述した通り、そこにいた教員の主観的な思いを詳細に知ることができたことだ。
第1章は研究のリーダーであった伊東大介さんが書かれている。なんと2009年の研究の立ち上げから章がスタートする。つまりこの本は、ひとつの学校の約10年の研究の過程に触れられるのだ。意義深い。
伊東さんは前任の研究主任への敬意を丁寧に書きながら、一方で日本全国で行われているいわゆる一般的な校内研究への違和感をもはっきりと記している。この敬意と違和感のバランスに感銘を受ける。僕はどうしても違和感が前に出る。そして変えることに躍起になり、周りの反感を買ってしまう。そんなことを自省しながら読み進んだ。
第2章は佐藤由佳さんが教員の自主的な学びの場である「学びカフェ」を立ち上げて運営していく経緯が書かれている。この章が素晴らしいのは、青葉小での「学びカフェ」の単純な成功譚で終わっていないところだ。章の後半は、青葉小から異動した後に、新たな学校でも学びカフェを立ち上げていく過程が書かれている。ある程度研究マインドのようなものが醸成されていた青葉小から異動し、新たな学校で再度学びカフェを立ち上げていく経緯は、同様のものを自校で立ち上げ大失敗した自分には、未だ向かい合えていない自分の古傷をえぐられるようなつらさがあった。ある時の学びカフェに、誰も同僚が来なかった場面なんて、思わず目を閉じて、しばし心の揺れがおさまるのを待たなくてはいけなかったくらいだ。第1章に続き、自分に足りないものを内側に確認するように読んだ。
第3章は山本(栗原)さんが書かれている。青葉小の特徴である教員個々で課題設定をする「個人課題」について書かれている。前2章に比べ、さらに山本さん個人のその時の思いが詳細に書かれていて、誠実な人柄の彼女らしい文章だと感じた。僕は教員の研究の基本は、実は「個人課題」だと思っている。この「個人課題」が校内研究としてではなく、教員自身の習慣として内包されることがとても重要のではないか。その道しるべとして、この章が意味を持つと感じた。
章末に添えられた亀山さんと澤田さん、2人の教員の「個人課題」に対しての率直で簡潔な文章も素敵だ。2人が「個人課題」を通して、子どもたちを見る視点に深まりが出てきていることが伝わってきた。
第4章は青葉小の研究に携わってきた大学教員である三石初雄さんが、青葉小の校内研究に対して理論的な意味づけをしている。(このあたりは実に校内研究っぽいしつらえだと感じた。)内容には直接関係ないが、しびれたのは章冒頭のこの言葉だ。「この約3年間、青葉小学校の研究授業への参観と校内研究会への参加をとおして、私が学んだことを柱立てすれば、次のようなことになります」。研究会の講評を行うような大学教員が、「私が学んだ」という言い回しをしたことに、うなってしまった。自分もそうありたいと思った。
長くなったが、校内研究の手引書や心構えを含めた見通しを持つためにもちろん意味がある本だけれど、それ以上に、教員の思い、息遣いを感じることのできる、読みやすい、けれど重みと厚みのある本だと感じた。きちんと人が書いている、人が浮かんでくる、こういう本が読みたかった。春休みのこのタイミングで読めてよかった。
栗原さん、どうもありがとう。

2022年2月6日日曜日

ある日の授業のこと バングラデシュの授業をした


先日、子どもたちに国際理解教室と題した特別授業を行いました。

ペアを組む隣のクラスの教員が以前ベトナムの日本人学校に勤務しており、それを子どもたちに伝えたいと言ったことがきっかけでした。

彼女の授業のついでに、せっかくなので、僕がずっと足を運び続けたバングラデシュについて、子どもたちに伝えようと思いました。

 

20代のころ、バングラデシュの東端チッタゴン丘陵地帯に住むジュマと呼ばれる少数民族の子どもたちの寄宿制の寺子屋支援をずっと続けていました。

電気、ガス、水道の通っていない場所へ、でも子どもたちの笑顔のあふれる場所へ、少なくとも2年に1度は足を運びました。そして、子どもたちとただただ戯れました。

しかし、自分が結婚をして子どもが生まれると、バングラデシュの奥地から足が遠ざかりました。寄付を通じて寺子屋支援は続けていたものの、「また来るね!」と言ってバングラデシュの子どもたちと別れたのに、会いに行かない後ろめたさから、学校で受け持つ子どもたちにその話はしなくなっていきました。

そんな僕の思いとは別に、支援から10年経ち、なんと寺子屋は公立学校となり、僕らの支援は必要なくなりました。通っていた子どものなかには、僕らの支援を頼りに、大学まで進む子も現れました。舗装された道路も通らない、普通の自動車ではたどり着くこともできない、そんな辺境の村から、大学生が生まれたのです。

時間が経ち、ようやく自分がやったことを認めてもいいのではという気持ちになっていました。胸を張り、自分がしたことを含め、大好きなバングラデシュのことを子どもたちに伝えたいという気持ちになったのです。

しっかりと時間をとって、子どもたちに話をするのは、実に10年ぶりだったと思います。授業時間は30分の予定でしたが、そのための準備をしていると、伝えたいことを整理したり、見せたい写真を膨大なデータから探したり、気が付くと深夜3時を回っていました。

 

準備をしながらずいぶん感傷的な気分に包まれました。

初めてバングラデシュを訪れたのは今から20年以上前、20歳のころです。夜のダッカ国際空港の玄関には「外国人」である僕らをただ見にきた人でいっぱいでした。真夜中に彼らの大きな目がこちらへの好奇心で光っていて、目立ちたがり屋の僕もただただたじろぎました。

空港を出ると、けたたましいクラクションの音。客を呼び込むためにバスの車体を思い切りたたきながら叫ぶ車掌。道路は車線なんてないようにパズルのようにぎっしりと車にバイクタクシー、それにリキシャ(人力車)でうめつくされていました。

その喧騒に圧倒的なエネルギーを感じ、強くひきつけられました。田舎町をたずねると、たくさんの人たちが話しかけてきて、ときには家に呼ばれてご飯をごちそうになりました。たくさんの子どもがいて、いつもけらけら笑っていました。

『アジア最貧国』という僕の薄っぺらい思い込みは、子どもたちのあふれる笑顔で吹き飛ばされました。もちろん、同時に正当化できないほどのひどい格差も目の当たりにしました。

そして、教員となって始めた少数民族の寺子屋支援。 閉ざされた辺境の村に、へとへとになってたどり着くと、子どもたちはいつでも満面の笑みで迎えてくれました。何者でもない僕が来るのを、僕の乗った乗り合いジープが村の前に着くのを、いつもずっと待っていてくれるのです。

子どもたちは、お寺のお堂の脇の小部屋に寝泊まりする僕を、毎朝早く起こしに来て、言葉なんて全然伝わらないのに、れしそうにずっと話しかけ続けていました。市場で作業用のロープを買ってきて大縄をやれば大歓声をあげ、サッカーボールを差し入れるとみんなが抱き着いてきました。お風呂がないので井戸で水浴びをしていると、隣に流れる川の水浴びに誘ってきました。もちろん日本の子どものようにたくさんいたずらもしてきて、当然僕もたくさん仕返しをしました。さすがに泥水の入ったコーラの缶を満面の笑みで差し出してきたときは怒りました。

村を離れるときは、見えなくなるまでみんなが手を振ってくれました。いつもそれが寂しくて、うれしくて。助けるつもりが、彼らの存在に僕の方が支えられていたのです。

 

今回、受け持つ子どもたちに授業を準備していて、あの子たちやあの人たちがどれだけ自分の大切な存在だったか、改めて気が付きました。授業では、バングラデシュの国の文化の紹介と、そして、僕にとってその国が、そこに暮らす人がどれだけ大切だったかを語ることにしました。どうしたって心をこめて話さずにはいられませんでした。

今、毎日ともに暮らす大切な子どもたちに、僕のとても大切にしてきた人たちのことを伝えられて、すごく満たされた気持ちになりました。


(ウネリウネラブログに投稿予定)