2021年5月16日日曜日

料理と授業

 料理をすることがまあまあ好きなんだけれど、授業との共通点が多々ある気がする。

なんて気持ちでNHKのきょうの料理の土井善晴の「くらしのための料理学」https://amazon.co.jp/dp/4144072673 って本を読んだ。
「作る人は料理をするとおのずから、食材という自然と、食べる人という他人を思うことになります。家族に食べさせたいと思う、小さい子供だから小さく切る、疲れているから柔らかく煮る。そういった、人の思いによって、切り方、煮方、味加減を変えているのです。」(P.100)
授業も同じだなあと思う。僕が思う良い授業は、きちんと目の前の子どもがいるものだ。いつも授業を考えるときは、頭の中で子どもたちの姿を思い浮かべている。
と、同時に、特に若い教員の人には、次の文章も授業に置き換えて読んでほしい。土井さんが家庭料理について、繰り返し言っていることだ。
「力を抜くなら堂々と自信を持って抜いて欲しいのです。毎日のことですから、無理をしないことが大事です。全力の5割~6割でいいと思います。食後のお腹の満足感も、ほんとうは7割くらいでいいでしょう。」(P.16)
毎日の授業は、外食で出される料理ではなく、家庭料理だと思う。
小学校教員の場合、毎日、4時間だったり5時間の授業をすることになる。しかも、その授業は、担任だったら、1回やったら繰り返さずに終わる授業だ。多くの場合、同じ内容を扱うのは、数年後になる。(数年後にはきっと違う教え方をしたいと思うだろう。)
毎日の、毎回の授業に全力を出したら、きっと息切れしてしまう。息切れを起こさないように、無理をしないことが、毎回全力を出すことよりもずっと大事だ。それに毎日、毎回の授業に全力を出されたら、僕が子どもだったら、しんどいなって感じるだろう。
土井さんが別のところで「いい塩梅」という言葉を使っていたけれど、この塩梅を見つけられるように、若い同僚を支えたい。
ただ、僕の場合は、「いい塩梅」という言い訳で、だらしないいいかげんになってしまうことがあるので気をつけなければいけない。
「いい塩梅」ができるようになると、さらに授業への意欲がわいてくると思うのだ。
なんてことを鍋をふるいながら思う。そして明日の授業のことをあらためて考える。

2021年5月15日土曜日

ウネリウネラのブログへの寄稿③

 https://uneriunera.com/2021/05/10/kodomotachi-3-2/


 新年度が始まって、早くも1カ月がたちました。休校中だった1年前に比べ、今年の始まりはおだやかに迎えることができました。始業式はテレビ放送で行われ、入学式は以前に比べぐっと参加者をしぼって行いました。それでも、始業式、入学式ができなかった去年の4月を思えば、それは本当にうれしいことでした。

新年度を迎えるにあたって、おぼろげだけれど、どこか希望を持っていました。あたたかくなっていけば、少しずつ状況が良くなり、できることが増やせるようになると考えていたのです。

 僕のその希望は、まったくあまいものでした。結局、この1カ月も学校は大混乱の中にいました。状況は良くなるどころか、悪くなる一方で、まん延防止等重点措置が出されたことで、多くの行事を縮小や延期する決断を余儀なくされました。

 自分が教員でなければ、遠足や社会科見学などは「何も今無理して行かなくても」と簡単に決めることはできたでしょう。でも、子どもたちが学校行事をどれだけ楽しみにしているか、また、その経験がどれだけ子どもたちに残るものなのか、それを知っているだけに、ひとつずつの行事について決断を下していくことは、とても苦しいことでした。

 そして、緊急事態宣言が出されました。僕の受け持っている2年生の子どもたちにとって、この緊急事態宣言は、大きな意味を持っていました。なぜなら、緊急事態宣言が出された場合、本校では、万が一の際のコロナの感染を抑える観点から、異学年の子どもたちが交流する活動は見合わせると決めていたからです。子どもたちが楽しみにしていた、新しく入った1年生との活動ができなくなるのです。

 4月の終わりには、2年生が1年生に学校を案内し、様々な教室を紹介する活動が予定されていました。「学校案内はいつやるの?」「パートナーの子はいつ分かるの?」「いつ会えるの?」受け持つ2年生の子どもたちから何度聞かれたでしょうか。2年生の子どもたちは本当にそれを楽しみにしていたのです。「もうすぐ学校案内だ」そんな日記を書く子もたくさんいました。

 緊急事態宣言が出されたことを受け、この学校案内をはじめとする1・2年生の交流活動は延期としました。それを伝えたときの子どもたちの落胆ぶりは、それはそれは大きなものでした。

 せめてできることはないかと考え、1年生に向けて自己紹介カードをかくことにしました。子どもたちは一生懸命にそれを仕上げました。かわいいイラストを描いたり、学校に関するクイズを加えたり、カードの形を工夫したり、手作りのカードに子どもたちがどれだけ心をこめたか、それが伝わってくる力作ぞろいでした。

 本当なら学校案内をする予定だった日に、カードを渡しにいくことにしました。「今からカードを渡しに行くよ」そう伝えると、子どもたちから歓声があがりました。手を洗って、消毒をして、鼻までマスクをしっかりつけて、1年生のパートナーに会いに行きます。念には念を入れ、教室は開けっ放しにし、時間は5分以内と決めました。

 1年生の机には、名前シールが貼ってあります。事前に伝えていた名前を頼りに1年生を探します。楽しみにしていたものの、やっぱり初対面の知らない人と話すのは緊張するようで、歓声をあげていたはずの子どもたちは、少し硬い表情に変わっていました。

それでも、たった5分ですが、心のやりとりはできたようです。渡したカードをはにかみながらうれしそうに読む1年生のとなりで、2年生はもっとうれしそうでした。

クラスで1番体の大きいふうたくんは、大きな体を小さく縮めて、1年生の隣に膝をついて目線を合わせていました。時間が来て立ち上がった彼のひざこぞうは赤くなっていました。その赤いひざこぞうを見て、僕は心があったかくなりました。

「学校案内ができる日が楽しみだね」教室に帰ってきたみさとさんが、うれしそうにつぶやきました。その小さなつぶやきに、みんなが大きくうなずきました。

 

状況はかんばしくないように思います。ここにきて、休校だったりオンライン授業だったり、そういう言葉を再び目にする機会が増えてきました。もちろん一番に守るべきは子どもたちの安全と安心ですから、その必要があると考えれば、舵をきろうと思います。ただ、学校での子どもたちを見ていると、当たり前ですが、人と関わることの良さを感じることが多くあります。

葛藤と苛立ちの日々が続いていく覚悟はしながら、それでも子どもたちの日々はあたたかさに満ちたものにしたいと思うのです。

 

(子どもたちの名前は仮名です)