2025年11月15日土曜日

境目なくまざりあう「自由で豊か」な学校 軽井沢風越学園

 前日は冷たい雨が降っていた軽井沢は翌朝は真っ白な霧がかかっていた。

それが念願の風越学園に着くころには青空が広がっていた。

駐車場から眺める風越学園の校舎。その上に広がる空がとても高く見えた。

駐車場から校舎に向かうと、そこには一頭のポニーがいて、まるで笑ったかのように歯を見せて僕らを歓迎してくれた。

朝9時。幼稚園の子どもたちが歓声をあげて遊んでいた。

風越学園に足を踏み入れる。

右手に事務室のようなものがある。

と思ったらここがスタッフルーム、つまり職員室だった。

この日は部屋の暖気を逃がさないために透明のビニールカーテンのようなものがかかっていたが、なんとあけっぴろげな職員室なんだろうか。

「有馬さん、勝手に入っていいから。子どもも勝手に入ってきますから。そこらへんに荷物置いて。」

校長の岩瀬さんが言う。

言う通り子どもがひとりふらっと入ってくる。

「ポケモンハラスメントだ」とひとりの先生、ここではスタッフと呼ばれる人がつぶやいてい。

その子はきっとポケモンの話がしたくてこの場所に入ってきたんだ。

実は僕は教員になった今でも教員室に少し緊張する。

今年から教室ではなくそこが自分の主戦場となった今だってそうだ。

きっと風越の子にはそういう緊張はないんだろうなと思った。


「朝はそれぞれのホームで45分過ごすんです。それでこれからはじめの時間が始まるんだけれど、今日は校長として賞状を渡すことになっているから、今から言ってくるからちょっと待ってて。」

言われるままに岩瀬さんを待つ。

どうやらはじめの時間がちょうど始まるようで、子どもたちが各々の場所に移動していく。ただ、驚くほどそれがあわただしくなくゆったりしているように思えた。

その様子をぼうっと見ていると、なんというか腰高の位置の人工芝のようなものがしかれたベンチに横たわっていたひとりの男の子に話しかけられる。

名前をはるとくんと言う。

「はるとくん、僕ら今日はこの学校の見学に来たんだ。」

と話しかけると

「ここは自由で豊かだよ」

という答えが返ってきた。


岩瀬さんがスライドを使って丁寧に今日の見学のチェックインをしてくれる。

10年前、休職制度を利用し教職大学院に1年間通った。

そこで出会った岩瀬先生。自分が初めてこんなふうになりたいと焦がれて、そしてなれなくて焦げた人が目の前で丁寧にチェックインをしてくれている。

その様子がまるで院の授業のようで懐かしく、うれしかった。

のもつかの間、岩瀬さんの後ろの大きな窓の外にリュックを背負った小学生が列でどこかに出かけていく。その後ろには林が広がっていく。

列の中に旧知の太一の姿を見つける。

列の中だ。そう、教員が先頭で子どもたちを先導するんじゃない。子どもたちの列の中に、少し大きな人が混じっている、そんな引率の仕方。

せっかくの岩瀬さんのチェックインのときに僕はそんなふうに後ろの子どもたちに目を奪われていた。


「それではお昼まで自由に見学してください。何をしていてもどこに入ってもだいじょうぶです。ただ幼稚園の小さな子たちの遊びに入るのはどうか気をつけてください。自分がそこに入ることでどんな影響があるかよく考えてください。」

その言葉通り、本当にそこからは何をしていても、どこに入ってもだいじょうぶだった。


見学の初め、僕は戸惑いに突き落とされた。

まずは校舎のつくりが分からない。

風越学園の校舎は、なんというかつかみどころがないのだ。廊下の片側に教室が並ぶ、なんてことはないのだ。それどころか、そもそも廊下がない。それは広い通路だったり、同じつくりの部屋は無いし…どこに行けばいいのか分からなくなる。

「図書室を中心に校舎が広がっています」みたいな文章をどこかで見た気がするけれど、なんというか本棚は無限に広がっていくように中心から周りまで置かれていた。

図書室の学校だ。

部屋は大小さまざまで、それに階段下や通路の脇に秘密の小スペースのようなものもあり、ワクワクする。

階段はまるでステージのようで、それから本棚と本棚の間はゆるやかなスロープになっていて回遊できるようになっている。

それから子どもの動きもよく分からないのだ。

小学生はプロジェクトの時間で、中学生は土台の時間、つまり教科の時間だそうなんだけれど、まるでわけもなく本棚の間を歩く中学年くらいの男の子3人組がいるかと思うと、ずっと歩き回っている子もいたり、常に誰かがのんびりと歩いているのだ。

それでこちらも歩いてみると、なんとなく実はそれぞれの場所でそれぞれの学びが行われていて、その様子がつかめてきた。

お味噌汁を作っているのは高学年の子たち。手書きの工程表を片手にお味噌汁のいい匂いがただよってくる。

人懐っこい女の子が「味噌は用意してもらったけれど、具は自分で用意したの」と笑顔で教えてくれる。

キッチンの前には幅広の階段があって、その奥に身をかがめないと歩けないような秘密の通路を見つけた。そこを抜けたら2階。

割と大きな音を響かせていたのは1・2年生。

地域探検を自分たちでまとめている。

教室から机を持ってきて、広くとられた通路に机を出して、一心不乱に取り組んでいる。

うつぶせで床にねながらやっている子もちらほら。でも、小さいときのお絵描きってこのスタイルだったよなと思う。

いきいきとした姿だった。

ぐるっと回ると、そこでは中学生が数学に挑んでいる。

部屋のなかにはスタッフがいて、スタッフに質問している子がいる。

広めのテーブルでは男の子たちが4人で楽しそうにアドバイスをし合って問題にいどんでいる。

部屋を出ると通路に沿ってカウンターのような机が伸びる。こちらはひとりで学ぶところのようだ。黙々と問題に向かっている。

のぞくと、半分くらいの子は同じプリントに取り組んでいたけれど、自分で選んだ課題に取り組んでいた子もいた。

ここでも親しげに9年生(中学生)の男の子が話しかけてくる。

素直な子だなと思う。


みんなが教室、部屋に入っているわけではない。

というより、教室以外の広くとられた通路もそもそも子どもたちの学びの場所として想定されているし成立している。

だから、と言っていいのか分からないけれど、学びに向かなくてうろうろと校舎を歩く子も、別に目立たない。

学びから逃避している子たちがいて、でもみんながゆるやかにほっといている。

実はよく見るとスタッフはただほっといているわけではなく、声かけはしている。

でも無理に教室に押し込めたりはしない。

それはなかなか考えさせられる光景だった。

教室にはいられなくなる子たちを、どう教室でおとなしく学ばせるかに苦心している自分のやっていることのそもそもを考えさせる光景だった。


すべてが流動的だと感じた。校舎の作りもまるで一定でなく、学びの時間の区切りも1日じゃうまくつかめない。

固定化されていない。常に動き続け境目なくまざりあっている。人も空間も時間も。

そうやって言葉に直していくと、とても異質だ。

実際に僕も手に持っていたメモ帳に「異質」と書いた。

でも、その言葉がまったくしっくりこない。

目の前にある「異質」にそれでも「違和感」を抱かないのだ。

だから、本当に「異質」と表すことがいいのか、迷う。

この不思議。

だって子どもたちの過ごす様子はとても「自然」に見えた。「異質」なのに「自然」。

そう、子どもたちは自然に過ごしていた。


やがて、なんとなく大きな時間のくぎりだったようで、中学生たちが外に出ていく。

体育のような時間で、どうやら校舎の周りを走るらしい。

グラウンドを横切るとそこには林が広がっていた。

林だ、本物の。

走る中学生に着いていくことを早々にあきらめ、落ち葉を踏みながら林を歩く。

林を抜けると再び校舎の前に出た。高い高い青空がそれを包んでいた。

このとき、気づいた。

風越学園には敷地と外とを隔てるフェンスが無いのだ。

校舎があり、周りが広場のようになっていて、その外には林がある。

それがすごく素敵だと思った。

壁に囲まれていないことがとても良いと思った。

そうか、風越の子は、どこにでも行けるんだな、そう思った。

どの時間にどこにいてもいい。ひょっとしたら外にだって出てしまえる。だって子どもたちを閉じ込める壁が無いんだもの。

でも風越の子たちはここにいる。

どこにでも行けるから ここにいる。

なんでもできるから やることをやる。

なんだかそういうふうに思えて、それが自分ではすごく納得できる言葉だった。


お昼に聞いた中学生の言葉は圧巻だった。

ゆるやかに動き続け、どこにでもいけてなんでもできる子たちが、風越の学びの終わりが近づいてきたときに、私自身を見つけているその様に、僕は感動した。

肉体的には決して強くは見えない細身の男の子たちの穏やかな語り口に、それでも、成長とはこういうことだと言わんばかりのしなやかで圧倒的な根が張った力強さを感じて、すごくまぶしく感じたし、勇気づけられた。

それを聞いている岩瀬さんもうれしそうで、なんだか自慢げにも見えた。そりゃそうだ。


とは言うものの、やっぱり何をしてもいいということに流されているような子たちはいた。

僕が風越にいた日、時間のほとんどをゲームに費やしていた子がいた。

岩瀬さんはこれまでもいたそういう子が「どこかでぐっと伸びる」姿をたしかに風越で見てきたから、それを待てるという。

でも、僕はこの1日だけしか見ていないので、やはりそれで1日を過ごしてしまう子の姿がひっかかる。


1日じゃ、分からないことがある。

それでも1日で子どもたちの自然な姿をたくさん見られたことは大きな発見だった。

みんなも見たほうがいいと思った。

自分にとって「異質」な場所でも、まるで「自然」に子どもたちが学ぶ姿。

全然違う方法なのに、きっと学校の日々のなかで自分が良いなと思う子どもたちの姿が風越ではきっとたくさん見られるし、そうなると風越って「特別」というのが思い込みなのかしらとも思うから。


念願の風越学園。

どこかでひょっとしたら縁が無いのかなと思っていたけれど、その予感を突き破ってたどり着いてよかった。

1日じゃわからない。だからまた行きたい。



写真は撮らないようにということだったので、お昼のために買ったMelというパン屋さんの写真。めちゃくちゃおいしかった。