10月の終わり、職場の創立記念日、同僚と山梨学院小学校へ。
盟友鉄兵がいつも「良い」と言っていた学校。気になっていたけれど、一方で意識の高い教員界隈で話題に挙がる印象はなかった。それが見学したらどうだったか。すばらしい学校だった。なんでこの学校が話題にならないのかと不思議に思うほど、すばらしい学校だった。
笛吹のインターを降りて学校に近づくと山梨学院大学の名を冠したグラウンドや寮が多く目に入ってくる。地域において大きな存在なんだなと思わされる。
大きな通りを右折すると、目指す小学校は左手にあった。大学の名の存在感のわりに、小学校の入り口はさほど大きなものではない。あとで分かったことだけれど、このこじんまりとした入り口の訳は、約20年前、学校を作る際に池田小の事件が世間を騒がせており、その影響だという。学生のころの話。あの事件の影響がこんなところにも、と思った。
会議室に通される。壁にはとても大きな抽象画の作品がかけられている。添えられた説明を読むとなんと学校の子どもが制作に関わった作品だった。驚いた。なんというか、解釈を人に委ねる抽象画を、格好つけて飾っているのかと思ったら、子どもの作品なのだ。子どもの作品をこんなに大きく、しかも雰囲気を持って飾っている。それがすごく素敵でひきつけられた。
絵を見ていると副校長の樫原先生が入ってきて説明を始めてくださった。「スポーツプロジェクト(≒子どもたちが作り上げていく運動会)で子どもたちが描いた作品なんですよ。」運動会と絵が結びつかず戸惑った。その戸惑いの表情があらわれていたのか樫原先生が続ける。「運動会と絵なんて変だと思いますよね。でも、スポーツプロジェクトをスポーツが得意な子だけが楽しめるものにしたくないんです。競技はあくまでもプロジェクトの一部で、例えばこうやってテーマに沿った絵をかいたり、競技を自分たちで考えたり、それを取材してアナウンス原稿を作る子がいたり、そういう活動を6年生が立ち上げていくんです。それぞれの子に出番があってほしいと思うのです。」ああ、共感することばかりだった。僕も学校にたくさんの子が光る場面を作りたいと思う。輝きたい子が輝ける場面はもちろん、ふだんは目立たない前に出ることが苦手な子も気づいたら輝く場面、そういうものがあってほしい。それをきちんと意図して作っていることが素敵だと思った。意図してやらせている、ではなく、意図して子どもに委ねることでそれを生み出している。
会議室を出て、教室のあるほうへ向かう…はずだったが、玄関のようなところでカルチャープロジェクトのテーマやグループが書かれているところで足が止まる。週明けから15日までの2週間、すべての授業が止まってこのカルチャープロジェクトに向かうそうだ。このグループの顔ぶれが実に面白い。実際に仕入れをしてもうけを見込んで販売をするデパート「ブランドYOU」。あとで校長先生が教えてくださったが、地元の有名店に子どもたちが交渉しているそうだ。また甲府に進出したコストコとも関わるらしい。聞いているだけでワクワクする。他にもダンスや廃材工作などバラエティにとんだグループがある。これは6年生が立ち上げて1年生から5年生にプレゼンをし、仲間を募るらしい。本校のクラブに似ているけれど、それが1年生からということがすごい。それぞれ自分たちでつけた名前があり、それがまたワクワクさせる。「楽しいでしょ?」と本当に楽しそうに樫原先生が言う。その表情がとてもいいなあと思う。
教室に入るとまた驚いた。扉がついたてのような薄いものなのだ。中に入ってみて分かったが、つくりがとにかくオープンだ。一時期広まったオープン教室の作り。一学年が2クラス。廊下側には壁が一切無く、教室と同じくらいに大きくとられた廊下に隣接している。逆側は大きな一面の窓。窓の端にはガラスの扉。子どもたちがすぐ外に遊びに出られるようになっているそのつくりと思想はうちの学校と同じだ。うれしくなる。
1年生の教室では左側のクラスはワークシートに取り組んでいて、クラスに2人いる先生が持ってきた子のプリントにその場で丸付けをしていた。一クラスが40人近い。「はじめは30人一クラスで始めようと思ったんですが、(受験生を)落とせなくて」と樫原先生。それを聞いて胸がズキンと痛む。僕たちの学校、つまり僕はたくさんの子を落として傷つけている。
隣のクラスでは食品を長持ちさせる工夫について学んでいた。机をくっつけていくつかの島ができている。島ごとに調べる項目が違うようだ。一定の時間ごとに島を移動して学ぶ子たち。じっといすに座るのではなく動ける時間を作っているのだと見ていると「生活の授業では授業中いすに座っていたらだめだからと同僚に言っているのです。活動させましょうって」と。素敵と思う。感服のため息ばかりついている。
クラスを回るなかで驚かされたのは2年生だ。通りがかったときはちょうど休み時間。それぞれの机に置かれていたのはおいものツルで作ったリースの土台。机いっぱいの大きさだ。前の時間に作ったのだろう。うれしそうに頭にのせている子たちが教室を小走りで走り回っていた。教室の外で後片付けに追われている担当の先生を樫原先生が呼んでくださった。リースのすばらしさの感想を告げると「ありがとうございます。でもこれ計画していたんじゃないんです。おいもを掘ってみたら思いのほか不作で、これじゃあまずいと思って、何かできないからなあと思ったときに、子どもたちからリースを作ったことがあるからやりたいって声があがって…」なんということだろう。これが計画された活動ではないなんて。子どもたちと先生のやりとりで浮かび上がった活動だなんて。腰が抜けるほど驚いた。かっこういいなあと思った。うまく言えないけれど、すごく学校だなあと思った。僕の考える、僕の好きな、僕の目指す学校だ。子どもと先生との関わりのなかで何をやるかが自然に生まれていくのだ。「常に変化していく学校です。大きなカリキュラムは決まっているけれど、前の年にやったからといって、次も同じことをやるということはしません。だって先生によって何が向いているのか、違うでしょ」樫原先生が教えてくださったことを目の当たりにしている気がする。とにかく、すごい。
案内をされながら校内を回る。低学年のメディアセンターにはタルボサウルスのレプリカの全身化石があり度肝を抜かされる。一方で靴をぬいでくつろぎながら本を読む場所や、畳の場所などは本校でも取り入れられそうだ。(高学年のメディアセンターにはサンタマリア号のレプリカがあり、ふたたび度肝を抜かれることになる。そしてキューブ型の連なった個室にはうらやましくなる。)
和紙づくりの活動をしている小さな子が、自分自身の活動をほんのり自慢げに説明をしてくれる姿に、ああ、活動が自分のものになっているのだなと、静かに、でも深く感動をした。と振り返っていて思う。そうか、何でこの学校に自分がこんなに感動したのか。それは探究やプロジェクト、バカロレアといった、割と今、先進的とされるこれらのことに山梨学院小学校は取り組んでいる。でも樫原先生は特にそれらに力を入れて説明していなかった。それよりも学校の子どもたちの姿をいっぱい説明してくれた。樫原先生自身がこの学校の何を楽しいと感じているかを伝えてくれた。学校のすばらしいとされるコンセプトよりも、それぞれの活動における子どもたちの姿をとても楽しそうにうれしそうに語られる。そのような姿勢だからこそ探究やプロジェクト、それにバカロレアが上滑りしないのだろう。きちんと子どもたちの生活に織り込まれている。そのことに僕は強く惹かれる。
うがった見方かもしれないが、どんなに「子どもたちのため」と取り繕っても、実は自分たちのコンセプトの実現のために子どもがいるような学校があるように思う。どう考えたって、子どものためにコンセプトがあるはずなのに。自分はそこに違和感を持っていたのだと気づく。こうしてちゃんとした素敵な学校を見て、いきいきとした子どもたちを見て、それに気づくことができた。僕の学校もそうありたい。
最後に自慢の給食をいただく。自慢通りだった。おいしいお野菜たっぷりのお味噌汁は出汁がしっかりとられていて、本当においしかった。給食をいただきながら伺った瀬端校長の話はすごかった。長野の教員時代の話。1年を通して子どもたちと縄文の生活をする。木をとってくることから始める竪穴住居づくりの話。本で読んだ鳥山敏子実践や金森学級と重なるようで、日本の連綿と紡いできた実直で骨太な実践家が目の前にいるように思えて手に汗を握った。ここでもまた、山梨学院小学校のコンセプトが上滑りしない理由を目の当たりにした気がした。
山梨学院小学校と本校、カリキュラムには大きな違いがあれど、根底に流れる思いのようなものはすごく似ているんじゃないかと思う。僕は強い共感の思いを抱いた。できれば同僚を連れてまた学ばせてもらいたい。自分の学校が良くなる大きなきっかけになるように思った。
本当に貴重な時間だった。忙しいなかでわざわざ時間を割いてくださった瀬端校長、樫原副校長、それにおたかさんに感謝したい。
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