2019年3月21日木曜日

今、思うこと

学校に勤めはじめると同時に、今の街に住むようになった。
これまでに何度か引っ越しをしたが、結局市内を離れることはなかった。
気がつくと、この街がこれまでで一番長く住んだ場所になった。
この街が好きだ。
足の向くままに歩くと、心が凪いでいく。

特に好きな場所は、大学の西校舎の裏手。講堂の脇から奥に入っていく。グラウンドを横目に留学生寮へと抜ける道は、緑がうっそうとしげり、まるでどこか別の世界に来たように思える。

休日の朝に、校内のみや林をゆっくり歩くことも好きだ。頭の上から鳥の声がふってきて、つられて見上げると、濃い緑から漏れてくる朝日に目を細めることになる。そのとき、自分をとりまくこの世界をすべてゆるやかに受けとめたくなるような、そんな大げさだけどおだやかで優しい幸せな気持ちになる。

それは武蔵野の美しさなのだと思う。

その美しさを見事に書き表した国木田独歩の「武蔵野」に次のような一節がある。
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。」
これを読むたびに、僕は学校の子どもたちを思い浮かべる。本校に学ぶ子どもたちはこうあってほしい。

誰かが据えた目標に向かってまっすぐ最短距離をいくのではない。
ときに遠回りに見えたり、行ったり来たりに見えたり、立ち止まって見えたり、まるで迷っているような、そんな姿で子どもたちは学ぶ。

その迷いのなかで、多くのあざやかな景色を見る。
足元に咲く野花の可憐さに気づく。
流れていく雲の形に心の内を映し出す。
鮮烈な空気を胸いっぱいに吸い込む。
時にともに歩く友の横顔に安堵し、時にひとりで歩く不安を誇る。
深くどこまでも広がる思索の森に遊ぶ。

武蔵野に、本校に学ぶ子どもたちはそうであってほしい。

と書いてみたが、何のことはない。結局は自分がこうありたいのだ。
自分もまた、武蔵野に、本校に学ぶ人でありたいと思う。

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