2016年9月3日土曜日

教員とわたくしの線引き 原爆体験伝承者プロジェクトに参加した理由から

フェイスブックではたびたび投稿しているが、国立市による原爆体験伝承者プロジェクトの一員である。

自分が経験をしていないことを語って、それが果たして人の心に伝わるのか。そのことは語っている僕自身が葛藤しながらやっている。広島・長崎になんらかのルーツを持つ他の多くの参加者と違い、僕は広島・長崎に特別なルーツを持たないこともいっそうの葛藤を生む。

それでも、平和に貢献するという目標に明確に逆行するものと感じない限り、僕はこの活動を続けていこうと考えている。(ぜひ機会が合ったら語らせてほしいと思っている。)それは被爆者の方からつらい思い出を聞き出した責任があるということと、そして何より自分自身のために続けていこうと思っている。
そう、この活動は自分のためにやっているのだ。そもそもプロジェクトに参加することを決めたのは次のような理由からだった。

小学校教員をすることで実現したい大きな目標は世界平和だ。全ての人々が自らの生をいきいきと生きられるようなそんな世界を実現したいと考えている。そのためにまずは小学校6年間で平和について考え、できれば実感を持たせたいと考えている。そして将来、そうやって育った子たちが平和についてのビジョンを持ってそれぞれの場所で活躍することが、世界を平和にすることにつながると信じて仕事をしている。
だから、ことあるごとに平和の貴さを子どもたちの前で語ってきた。そして、それを実現するためには人がそれぞれ平和のために行動することが大切だと語ってきた。
でも、そんなときいつも、自分を斜め後ろから見ているもうひとりの自分がささやいていた。

「偉そうに言うけど、お前、何かやってんの?」と。

このささやきはいつも僕を苦しめていた。
原爆体験伝承者プロジェクトに参加したのは、このささやきに対し答えるためだった。


教員の中には、「教員としての自分」と「わたくしとしての自分」を分けるべきだという人もいる。
つまり教員として語ることと、わたくしとして生きる自分の間に齟齬があってしかたないという考え方だ。
とてもよく分かる。子どもたちに模範を示すことが良しとされる教員を生きるのに、私生活までそれを求められるのは窮屈でしんどくなってしまう。

でも僕は、その窮屈さよりも子どもたちの前で自分が出来やしないことを、さもやっているかのように偉そうに語ることの不誠実さのほうに耐え切れないのだ。
「平和をつくっていくためにはひとりずつの行動が大切なのです。」と語りながら、自分がそれをしていない不誠実さがいやなのだ。
僕は「教員としての自分」と「わたくしとしての自分」の線引きがうまくできない性分らしい。

もともといい加減な人間だから子どもたちに模範を示すという役割はずいぶん早くに放棄してしまった。(卒業生はよく分かっているだろう。)
子どもたちとともに生きるわたくしとして教員をしている。
それでいいと思っている。

もちろん時には出来やしないことを語ることがある。そういう時は正直に「僕も苦手なんだけど…」と言ってしまおうと思っている。
やってみると子どもたちにはそれでも伝わっていく。
模範さが子どもたちを引っ張っていくやり方もあるだろう。
しかし共感を持って一緒に考えていくような、そんなやり方だってあるんじゃないだろうか。

教員として立つのではなく、わたくしとして立つ教員でありたいと思う。

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