2016年11月10日木曜日

上海の小学校に将棋の授業を見に行った話

しばらく前に、中国、上海の学校での将棋の授業を見学する機会があった。
春に学校で授業をしてくれた北尾まどか棋士が誘ってくださったのだ。

日本の文化である将棋の授業を、なぜか中国で見学するというのは何だか不思議な話だ。
ただ、他の国の学校を見てみたいという気持ちは前からあったので、同行させてもらうことにした。
と言っても、まさか中国の学校を見ることになるとは思っていなかった。

学校のある新村路周辺は新興住宅街といった感じだった。食堂のような店が並ぶ道を1本隔てると、10階建てくらいのきれいなマンションが等間隔に立ち並んでいた。
上海の中心地までは電車で20分ほど。ベッドタウンだろうか。

見学をする万里城実験学校は想像していたよりずっときれいで立派な建物だった。





高い塀に囲まれた敷地内に入るには、なんと全自動の校門をくぐる。校門の脇の警備員室で操作しているようだ。結構セキュリティーがしっかりしている。
玄関に、ちょっとレトロな感じの大きな電光掲示板があり、歓迎のメッセージが映し出されていてうれしかった。


正直、中国の人たちは僕たちには良い印象を抱いていないのではという先入観があったので、このような歓迎をされ、安心もした。
玄関に入るとガラス張りになった天井から光が差し込んでいて明るく気持ちがいい。日本の学校とは違い土足で良いようだ。靴箱がないことで、玄関はすっきりとしていて、玄関よりもロビーと呼ぶほうがふさわしい感じだ。
ロビーの中央には、なんとガラス張りのエレベーターがあって、これに乗って上へ向かった。

最上階の4階の奥に会議室があった。
20人弱で囲めそうな楕円のテーブルのある会議室に通された。しっかりとした会議室だ。
校長と主任から話を聞く。
この学校は小学校と中学校が合わさったものだそうだ。
2つある校舎のうち、こちらでは3年生までが学んでいる。生徒数は1400名。
教員数は120名。超大型校だ。日本では今は無い規模だ。
さすが中国。

将棋の授業は選択授業の1科目として行われている。
この選択授業、種類はなんと52種類もある。
ボードゲーム系だけで将棋だけでなく、五目並べ・チェス・チェッカーとある。
他にロボット工作といった理系や絵画や音楽といった芸術系もある。
毎週13:00~15:00の選択授業の時間があり、そこで3科目ほどとるらしい。
授業というよりアクティビティにイメージが近いかなと思った。
日本で言うとクラブ活動になるだろうか。それにしてもこの種類数は驚きだ。

将棋の授業は2013年から始まった。頭の訓練のためだけでなく日本の文化を知り、交流という意味もあるそうだ。
日本文化を教えるということを勧めていることに驚いた。あまりにイメージと違っていた。
1年生・2年生は入門クラスに、3年生から5年生は上級クラスで腕をみがいているという。
「将棋を学んでいる子どもに何か特徴はありますか?」
と聞くと校長先生はこう答えた。
「勝負の心が強くなった。でも「負けました」が言えるようになった。そして相手を尊敬できるようになった。」
これを聞いて、ぐっときてしまった。
「グッドルーザーになれ」子どもたちによく言う言葉だ。
負けを認め、それを活かし成長できる子になってほしいと考えている。まさに将棋の授業でそれが育つなら素晴らしいことだと思う。

いよいよ実際の授業を見られることになった。
天井が高くファンの回る部屋に入るといわゆるスクール型に並べられた机に20名ほどの子どもたちが着席していた。
先生は少し高圧的に見え、子どもたちはお行儀が良く見え、ああ、管理的なのだなと思った。予想していた光景だった。
しかし、始まってみると案外そうでもなかった。子どもたちはずっと行儀が良いわけではなく、先生もそれを咎めるようなことはなかった。
もっと中国の学校は厳しくしつけ、管理しているイメージがあったので、これは意外だった。ただ、一緒にいた人はもっとわがままな姿をイメージしていたらしい。それは一人っ子政策からきたイメージだと言っていた。
イメージでものを語ることの不確かさを感じた。

窓から外を見るとグラウンドが見えた。芝生のグラウンドを囲うように陸上のトラックがひかれていて、とても整ったグラウンドだった。

授業は詰将棋を中心に進んでいった。
子どもたち、初めは固さが感じられたが、次第に夢中になっていった。

圧巻だったことがある。
少し難しい問題に果敢に挑んだ男の子がいた。
残念ながら彼は不正解に終わってしまう。
しかし、彼の手筋は途中まで合っていたのだ。
彼の手を見たことで、大勢の子が正しい手順に気が付いた。
一気に手が挙がる。
子どもたちみんな椅子から自然に腰が浮き、何人もの子どもが前のめりになっている。
教室に必要なのは「安心」と「没頭」だと秋田喜代美先生が本に書いていた気がする。
僕はまさに将棋の授業に没頭する子どもたちの姿を目の当たりにしたのだ。
感動した。

この授業の良い点を挙げたい。
没頭できること
詰将棋には必ず正解がある。これは算数に似ている。でも算数より将棋のほうがとてもシンプルだ。算数の間違いはどこで間違えてしまったのか子どもが分かりにくい。そもそもの考え方の間違いなのか計算ミスなのか判断がつきにくいのだ。そうなると繰り返しチャレンジする気をなくしてしまう。
でも詰将棋は間違いがシンプルだ。駒の動かし方が違っていた。ならば別の置き方をすればいい。トライ&エラーがしやすい。これが没頭につながっていく。
間違うことの価値を見出しやすい
間違った手を打ってしまうことは失敗ではなく、1つの手順が間違いであることを確定できるという点で、正解に近づいたと言える。子どもたちはそれを体験的に分かっているような気がした。
前述の通りトライ&エラーがしやすいというのは、間違いを恐れないことにもつながる。
友だちの考えを参考にできる
前述のエピソードのように、友だちの手が参考になりやすい。人と学ぶということを体験的に納得できるだろう。長めの詰将棋を大きめの将棋盤を囲んで4人くらいでああでもないこうでもないと話し合いながら解いていくなんて授業は魅力的ではないだろうか。

考え悩んだ末選択し、それを振り返り次の考え・選択に活かしていく。そんなサイクルを回すことに将棋を通じて慣れていくことができるなと思った。

1時間ほどで詰将棋の授業が終わった。次は対局の時間だ。
僕はこの日のなかでは年長だろう子と対局した。きっと相当な実力者であろう。
2回やって2回とも僕の大逆転で終わった。大切なことなので繰り返す。相当な実力者であろう相手に2回やって2回とも勝った。
小学生相手に全力だった。
これもやりながら感じた良い点。

年の差を越えて本気になれる
これは教員にとって大事なことかもしれない。子ども相手に本気の姿を見せるということは、大げさかもしれないがその子をひとりの人間として尊重しているという態度ともとれる。その態度を表すことは、とても大切だ。僕たち大人が子どもに対し本気で向かい合えるものとして将棋はうってつけといえる。
心のやりとりが起きやすい
これはやっていて感じたこと。言葉も分からない。名前も知らない目の前の少年。でも将棋をやっていると、その彼と何だかわかり合える気がしてきた。
同じ盤面を挟み、互いにそこに没頭していることが共感を生んだのだと思う。また常にこの子は今何を考えているのだろうと考えていた。相手のことを考える感度を高めていくことが容易にできそうだ。
振り返りが文化としてある
これは今回出来なかったが、将棋には感想戦という振り返りがある。これが特徴的だ。勝った相手、負けた相手がともに振り返るのだ。振り返りの学習効果はここ数年非常に多くの場で語られている。勝者と敗者がともに振り返る経験は貴重だし、将棋でそれを学ぶことで様々な場面に応用が利きそうだ。

そうそう、対局をした図書室は、カラフルな家具やカラフルな室内装飾がほどこされていた。決して派手ではなく、落ち着きを与えてくれるような空間で、何だか豊かな感じのある図書室だった。

上海での将棋の授業を見学したことは、考えていた以上に素晴らしい体験だった。
僕の中国への思い込みのずれに気が付け、より中国を身近に感じられるようになった。

また、将棋を教室に持ち込み全員で学ぶことの魅力を感じた。チャレンジしたいと思わせるには十分な子どもたちの姿・表情だった。

行って本当によかった。

世界にはどんな学校・教室・授業があるんだろう。たくさん見てみたいなあ。


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