2018年1月7日日曜日

5歳はサルパを知っている

久しぶりに家族4人で出かけたある日のこと。
大きな歩道で横一列に手をつないで歩く。
左から自分、長男、次男、妻。
長男がうれしそうに言う。
「サルパみたいだね!」
「サルパ?」
5歳の長男は滑舌が良くなく、彼の言いたいことを聞き間違えてしまうことがたまにある。
しかし、サルパ。
似た言葉が思いつかない。
くやしいが長男の言葉の翻訳は妻のほうがうまい。
でも、頼みの綱の妻も心当たりがないよう。
いったい何と言い間違えているのか。
「サルパ??」
「そう、サルパ。」
たしかに「サルパ」と言っている。
心当たりがない。
「えっ?サルパって何?」
「あのね、あのね。」
しゃべりが達者ではない長男。懸命に何か説明しようとしている。
「深海に住んでいるんだよ。こうやってつながるの。」
「へー。そうなんだ。」
正直、半信半疑。

家に帰ってくつろいでいると、長男が肩をつついてきた。
手には図鑑。
「これだよ。」

たしかに「サルパ」。横に連なっている。
「この前の深海生物のテレビに出てた。」
なるほど。熱心に見ていた番組だ。そこで知ったのか。

5歳の長男に教えられる。
彼は今生き物に夢中だ。
サルパ以外にも僕の知らないことをいっぱい知っているに違いない。
子どもは教えられることを学んでいくより、それよりもずっと、子ども自身の日々の生活のなかで、様々なことを知ったり学んだりしているんだなと思った。
僕は何かを教える時に、我が子や教室の子どもたちを「何も知らない存在」として扱ってしまいがちなんだけど、決してそうじゃないんだと思う。
子どもたちはすでに豊かな知識、世界をそれぞれが持っているんだろう。
「サルパ」の言葉にそんなことを思った。

2017年11月7日火曜日

先生の一言

先生の一言
 
 中学時代に世界史を教えてくださった加藤史朗先生の思い出を2つ。

 1つ目は中学1年生のころ。「自由」を代名詞にしているような学校だったから、熾烈な受験戦争を耐え抜いた僕らは、分かりやすい自由を手当たり次第謳歌していた。例えば授業中。今思うと大変質の高い講義だったように思うけれど、僕を含む一部の人間は、講義を聞かずに、別のことをいかにするかで、周りに自分の無頼をアピールしていた。
 授業中に隠れて弁当を食べたり、漫画を読んだり。その日僕は携帯ゲームをしていた。こともあろうか、ゲームギア。セガが出していた携帯するにはなかなかのサイズのやつだ。
 もちろんバレた。授業の声が3つ先の教室まで届く大声の持ち主の加藤先生が怒鳴る。おそらく6つ先の教室まで届いただろう。「有馬!何やってんだ!持ってこい!!」無頼を気取ってやっていた割に、怒鳴られたら怖くて縮み上がって、すぐにゲーム機を持っていった。
 授業後に呼び出される。「これ、どうやんだ。やってみろ。」おそるおそる電源を入れ、やってみせる。「ああ、どんなに怒られるんだろう。」とびくびくしていた。すると、今まで聞いたことの無いような穏やかな声で「こりゃ楽しいな。授業中にこんなものやったら止められるはずないだろ。授業中は出すなよ。」と言い、そしてゲーム機を手渡された。拍子抜けし、安心した。何より、「楽しいな」という言葉に驚いた。教員はそういうものを全否定するものだと思っていたから。(もちろん全否定されても仕方のない流れでもあった。)
 結局その後も、少なからず授業中に別のことをしていた気もするが、それでもゲームはさすがにやらなかった。世界史は好きな教科となり、小学校教員となった今の専門は社会科だ。あの時の穏やかな「楽しいな」のひとことは今でも忘れられない。
 
 もう一つ忘れられないことがある。
 高校2年生のときに、生徒代表として中学1年生の入学歓迎の言葉を入学式で話すことになった。毎年生徒代表の言葉はパフォーマンス重視みたいなとこがあるんだけれど、でも、自分が中1のときのカンローさんの言葉がとっても印象的だったこともあって、何を話すか、ものすごく悩んで決めた。真剣に考えたのだ。
 「自由」をテーマに話した。
 通った中高はとにかく「自由」だと入学のときから教員にも先輩に言われてきた。でも、その「自由」には責任が伴うとも必ず言われていた。そして、これも必ず付け加えられていた。「人に迷惑をかけるような「自由」は認められない」とも。
 上述の通り、その自由を無頼を気取ることで謳歌してきた。でも、自分の自由の行使の仕方が、本来の自由を矮小化させていることを薄々気づいていた。同時に、「人に迷惑をかけるような「自由」は認められない」ことへの違和感を持つようになっていった。今ならその違和感を表せる。それは簡単に同調圧力に置き換えられるのだ。「空気を読め」という言葉に簡単に変えられる怖さを「人に迷惑をかけるような自由は認められない」という言葉は持っていたのだ。
 その違和感を当時の自分なりの言葉で1年生に訴えたかった。「人に迷惑をかけるような自由は認められないって周りは言うかもしれない。でも、本当に自由を手にしたかったら、誰かしら迷惑はかけてしまうものなんじゃないか。周りへの迷惑を考えすぎて、お互いに遠慮して小さくなっていってしまうことよりも、大切なのは、お互いの迷惑を許しあえる関係を普段からどうやって作っていくかなんだと思うんだ。「迷惑かけちゃったな。ごめん。」と言えば「お互い様だろ。迷惑だったけど、お前楽しそうだったよ。」と笑ってそう返ってくるような、そんな関係を周りと作っていこうよ。」そんな話をしたかった。(実際は緊張でうまく話せなかった。)あれは1年生に話している形だけれど、自分に話していたんだな。
 結局また分かりやすい無頼を気取って、台本を演台上で破るパフォーマンスや、演台に腰かけて話したりしたので、何人かの先生には大きなものから小さなものまでお叱りの言葉をいただいた。「お前、あんまふざけんなよ。」見下すように言った先生もいた。
 でも、加藤先生は違った。話し終えて講堂を出た僕に、先生は駆け寄ってきた。そして、あの大きな声でこう言った。
「有馬、お前の言う通りだよ!ありがとう!」
そうして、僕の手をとって握手をしてくれた。
 高校2年生のころは、悩むことばかりだった。あのスピーチの内容も、当時の自分の苦しみをそれなりに吐露するものでもあったように思う。加藤先生の言葉が、自分を悩みや苦しみ、葛藤も含めて肯定してくれた気がして、すごく気が楽になったことを覚えている。そして、子ども相手に「ありがとう」と言って握手をできる、そんな教員、大人になりたいと、その時思った。

 僕の忘れられない「先生の一言」は、そんな加藤先生の2つの思い出だ。

2017年3月7日火曜日

22歳に送る言葉

22歳のときに教えていた教え子が2人訪ねてきてくれた。
彼女たちも22歳になっていた。
自分が教えていたときの年齢に目の前の2人が追い付いたと思うと感慨深くもなった。
成長した姿をうれしく思っていると、突然写真をとられた。
そして一言。
「うわっ!ぶさいく!」
もう一人も言う。
「太ったねー。」
22歳に戻れるなら、目の前の2人が8歳に戻るなら、もう一度、今度は何としても、どんな言葉が人を傷つけるのかを教えたいと思った。

来月から社会人になるという。
別れ際に
「そういえばさ、最近は会った年上の人に、社会に出るにあたってのアドバイスをもらっているんだけど、何か教えてよ。」
突然で面食らって
「酒は飲んでも飲まれるな。」
なんてことを言ってしまった。
案の定、拍子抜けの期待外れの顔をしていた。
22歳のときのがんばりで築いた教員としての威厳が崩れていく音を聞いた。
いや、そんな威厳もともと幻だったか。

改めて言葉を送り直したい。
『これから、何より自分を大事にしてください。
そして、自分を大事にするために、自分の居る場を大事にしてください。』
僕は何より自分が楽しむために、あの3の2と4の2をとても大切に考えていた。
だからこそ全力が出せたと思うんだよ。


教員14年目がもう少しで終わる。
恥ずかしいことばっかやってきているけれど、
教え子に対して恥ずかしい自分ではいたくないなあと思う。
目の前の子たちを教えてきたように思うけれど、彼らが自分の力の源泉であることは間違いなく、結局彼らによって自分は成長させられているのだなあと、今更ながら思った。

2016年12月31日土曜日

学ぶ場を選ぶということ

2016年も終わる。
2学期印象的だった授業を振り返りたい。

4年生の社会では、教室以外の部屋も使って授業をした。
と言っても、教室以外の部屋にみんなで移動して授業をしたわけではない。
社会の授業中は、教室以外の部屋に自由に移動して、学べるようにしたのだ。

教員は僕ひとりである。
どうやって授業をしたの?という疑問が浮かぶかもしれない。

実は、今年度の社会の授業では講義はあまり行っていない。
一般にやるような、先生が黒板にチョークで板書しながら、学習内容をかみ砕いて伝えていく、という形態はとっていないのだ。

子どもたちが自分たちで出し合った疑問を、各々で、時に協力しながら答えを探していくという授業をやっている。
4年生の社会の内容は、上下水道などの水のことやごみの処理、防災など、子どもたちがもともと生活の中で経験している内容を扱う。
身近なことなので、疑問も持ちやすい。
(疑問を文章にし、共有することは、本などを参考にして丁寧に行った。)
疑問が湧きさえすれば、知りたいという意欲も湧いてくる。
意欲さえあれば、僕が教えなくても、子どもたちは熱心に教科書を何度も読むし、補足資料を用意すれば、それもしっかりと読み込む。
そのうち、自分たちで資料も持ち込むようになった。

これまで自分の講義にはちょっとした自信があったから、講義をしないなんて授業は想像できなかったけれど、やってみたら、目の前の子どもたちがとても熱心に資料を読み、それをもとにレポートを書き上げるのだ。
(もちろん、苦労が無かったわけではないけれど。)
講義の気持ちよさを放棄するのはちょっとした抵抗があった。だけど、それよりもそんな子どもたちの姿を見られることのほうが喜びだった。
話を聞き続けることが困難な子が、集中している姿には驚かされた。

ただの自習にはならないように、子どもたちが関わり合いながら学ぶようには促していった。
と言ったら、なんだかたいそうなことをしたように思われるかもしれないが、基本的には授業中のおしゃべりはご自由にと伝えたり、関わり合いながら学ぶ意味みたいのをちょっと難しめにもったいぶって伝えたり、それを実感できるワークをしたり、ちょっとしたことを積み重ねていた。

ここまでが1学期の話。

2学期になって、自分が講義をしないなら、子どもが同じ場所に全員でいる意味は無いなと思った。
石川晋さんの本で書かれていた、校内の好きな場所で文を綴る子どもたちを想像したら、なんだか素敵で、それを真似てみようとも思ったのだ。

基本は教室で机をつけあってグループの形で学ぶこととした。
それに加え、教室に隣接したワークルームや多目的ホールを開放した。
PTA集会室はサイレントルームと称して、1人で集中したい人が行くおしゃべり禁止の部屋にした。

普段の授業で「自由なところで勉強してきていいよ」なんていうことは初めてだったので、とても緊張した。
自分の目が行き届かなくなることで、統制がとれなくなって、無駄なおしゃべりやわるふざけだけで時間を過ごす子が表れてしまったらどうしようとも思った。
そういう子が周りの子どもの学習を邪魔してしまったら台無しだ。
その懸念が強くあって、踏み出すことがためらわれた。

考えても懸念を払しょくできる案が浮かばなかった。
そこで、一番の正攻法?に出ることにした。
その懸念を子どもたちに素直に伝えたのだ。
すると、「大丈夫」との答え。そこでそれを信じて任せてみることにした。

やってみると、僕の懸念は的外れだった。
もちろん、騒がしくしてしまう子がいないわけではなかった。でも、騒がしいことが苦手な子は、別の場所に移動していくので、それが大きな摩擦を生み出すことは無かった。
騒がしくしている子も、聞いてみると、関係のないことで騒がしくしているわけではなく、学習内容のことをしゃべっていた。
これまでは、「静かにしなさい。他の人に迷惑だ。」なんて言ってたしなめていたが、「うんうん。そうか。なるほど。」とゆるやかに受け止めることができた。教壇からたしなめるよりも、傍らに座って受け止めるほうがずっと子どもが落ち着くことが分かった。講義をしていると、ひとりの子に時間を割くことは、講義を止めることになるが、講義をしなければ、僕の体は空く。子どもたち一人ひとりのフォローにたっぷりと時間を割けた。

サイレントルームとしたPTA集会室は、静けさが保たれていた。そこにはいつもは教室で騒がしくしがちな男の子が居て、窓際の気持ちのいい場所に机を動かして一人で黙々とレポートを書いていた。
彼にとっては普段の周りに人がいる環境が過刺激だったのかもしれない。

多目的ホールでは、6人くらいのグループになった子どもたちが、学んだことを劇にするといって打ち合わせをしていた。
広々としたホールは劇の練習にはぴったりだった。
学ぶ場を広げたことで、彼らの学習内容の表現も広がったように思った。

とにかく良い驚きの連続だった。子どもたちにとっても良い驚きが多かったようだ。2学期最後の授業で、「2学期の学習について」にというタイトルで文章を書かせてみると、学ぶ場を選べたことを肯定的に書いた意見が多く出てきた。

最終的には、子どもたちは1つの単元(学習のまとまり)で200枚以上のレポートを書いた。

「業(わざ)を授ける」と書いて授業。だから、僕たち教員は知識を伝達することに注力しがち。だけれど、学習に没頭できる時間を設け、学んでいく楽しさを感じさせることで、「学びの方法を身につけていくこと」だって大切な授業と言えると最近は考えている。
学ぶ場を選べるようにしたこの授業は、それをちょっと実現できたように思う。
それにしても、振り返って思うのは、子どもたちの「大丈夫」の言葉のありがたさだ。

去年何度も時間をとって話してくださった岩瀬先生、そして今年の岩瀬苫野講座で出会った人たちに勇気をもらった。一人では、これまで通りのやり方をとることで安心していたかもしれない。

2016年11月10日木曜日

上海の小学校に将棋の授業を見に行った話

しばらく前に、中国、上海の学校での将棋の授業を見学する機会があった。
春に学校で授業をしてくれた北尾まどか棋士が誘ってくださったのだ。

日本の文化である将棋の授業を、なぜか中国で見学するというのは何だか不思議な話だ。
ただ、他の国の学校を見てみたいという気持ちは前からあったので、同行させてもらうことにした。
と言っても、まさか中国の学校を見ることになるとは思っていなかった。

学校のある新村路周辺は新興住宅街といった感じだった。食堂のような店が並ぶ道を1本隔てると、10階建てくらいのきれいなマンションが等間隔に立ち並んでいた。
上海の中心地までは電車で20分ほど。ベッドタウンだろうか。

見学をする万里城実験学校は想像していたよりずっときれいで立派な建物だった。






高い塀に囲まれた敷地内に入るには、なんと全自動の校門をくぐる。校門の脇の警備員室で操作しているようだ。結構セキュリティーがしっかりしている。
玄関に、ちょっとレトロな感じの大きな電光掲示板があり、歓迎のメッセージが映し出されていてうれしかった。



正直、中国の人たちは僕たちには良い印象を抱いていないのではという先入観があったので、このような歓迎をされ、安心もした。
玄関に入るとガラス張りになった天井から光が差し込んでいて明るく気持ちがいい。日本の学校とは違い土足で良いようだ。靴箱がないことで、玄関はすっきりとしていて、玄関よりもロビーと呼ぶほうがふさわしい感じだ。
ロビーの中央には、なんとガラス張りのエレベーターがあって、これに乗って上へ向かった。

最上階の4階の奥に会議室があった。
20人弱で囲めそうな楕円のテーブルのある会議室に通された。しっかりとした会議室だ。
校長と主任から話を聞く。
この学校は小学校と中学校が合わさったものだそうだ。
2つある校舎のうち、こちらでは3年生までが学んでいる。生徒数は1400名。
教員数は120名。超大型校だ。日本では今は無い規模だ。
さすが中国。

将棋の授業は選択授業の1科目として行われている。
この選択授業、種類はなんと52種類もある。
ボードゲーム系だけで将棋だけでなく、五目並べ・チェス・チェッカーとある。
他にロボット工作といった理系や絵画や音楽といった芸術系もある。
毎週13:00~15:00の選択授業の時間があり、そこで3科目ほどとるらしい。
授業というよりアクティビティにイメージが近いかなと思った。
日本で言うとクラブ活動になるだろうか。それにしてもこの種類数は驚きだ。

将棋の授業は2013年から始まった。頭の訓練のためだけでなく日本の文化を知り、交流という意味もあるそうだ。
日本文化を教えるということを勧めていることに驚いた。あまりにイメージと違っていた。
1年生・2年生は入門クラスに、3年生から5年生は上級クラスで腕をみがいているという。
「将棋を学んでいる子どもに何か特徴はありますか?」
と聞くと校長先生はこう答えた。
「勝負の心が強くなった。でも「負けました」が言えるようになった。そして相手を尊敬できるようになった。」
これを聞いて、ぐっときてしまった。
「グッドルーザーになれ」子どもたちによく言う言葉だ。
負けを認め、それを活かし成長できる子になってほしいと考えている。まさに将棋の授業でそれが育つなら素晴らしいことだと思う。

いよいよ実際の授業を見られることになった。
天井が高くファンの回る部屋に入るといわゆるスクール型に並べられた机に20名ほどの子どもたちが着席していた。
先生は少し高圧的に見え、子どもたちはお行儀が良く見え、ああ、管理的なのだなと思った。予想していた光景だった。
しかし、始まってみると案外そうでもなかった。子どもたちはずっと行儀が良いわけではなく、先生もそれを咎めるようなことはなかった。
もっと中国の学校は厳しくしつけ、管理しているイメージがあったので、これは意外だった。ただ、一緒にいた人はもっとわがままな姿をイメージしていたらしい。それは一人っ子政策からきたイメージだと言っていた。
イメージでものを語ることの不確かさを感じた。

窓から外を見るとグラウンドが見えた。芝生のグラウンドを囲うように陸上のトラックがひかれていて、とても整ったグラウンドだった。

授業は詰将棋を中心に進んでいった。
子どもたち、初めは固さが感じられたが、次第に夢中になっていった。

圧巻だったことがある。
少し難しい問題に果敢に挑んだ男の子がいた。
残念ながら彼は不正解に終わってしまう。
しかし、彼の手筋は途中まで合っていたのだ。
彼の手を見たことで、大勢の子が正しい手順に気が付いた。
一気に手が挙がる。
子どもたちみんな椅子から自然に腰が浮き、何人もの子どもが前のめりになっている。
教室に必要なのは「安心」と「没頭」だと秋田喜代美先生が本に書いていた気がする。
僕はまさに将棋の授業に没頭する子どもたちの姿を目の当たりにしたのだ。
感動した。

この授業の良い点を挙げたい。
①没頭できること
詰将棋には必ず正解がある。これは算数に似ている。でも算数より将棋のほうがとてもシンプルだ。算数の間違いはどこで間違えてしまったのか子どもが分かりにくい。そもそもの考え方の間違いなのか計算ミスなのか判断がつきにくいのだ。そうなると繰り返しチャレンジする気をなくしてしまう。
でも詰将棋は間違いがシンプルだ。駒の動かし方が違っていた。ならば別の置き方をすればいい。トライ&エラーがしやすい。これが没頭につながっていく。
②間違うことの価値を見出しやすい
間違った手を打ってしまうことは失敗ではなく、1つの手順が間違いであることを確定できるという点で、正解に近づいたと言える。子どもたちはそれを体験的に分かっているような気がした。
前述の通りトライ&エラーがしやすいというのは、間違いを恐れないことにもつながる。
③友だちの考えを参考にできる
前述のエピソードのように、友だちの手が参考になりやすい。人と学ぶということを体験的に納得できるだろう。長めの詰将棋を大きめの将棋盤を囲んで4人くらいでああでもないこうでもないと話し合いながら解いていくなんて授業は魅力的ではないだろうか。

考え悩んだ末選択し、それを振り返り次の考え・選択に活かしていく。そんなサイクルを回すことに将棋を通じて慣れていくことができるなと思った。

1時間ほどで詰将棋の授業が終わった。次は対局の時間だ。
僕はこの日のなかでは年長だろう子と対局した。きっと相当な実力者であろう。
2回やって2回とも僕の大逆転で終わった。大切なことなので繰り返す。相当な実力者であろう相手に2回やって2回とも勝った。

小学生相手に全力だった。
これもやりながら感じた良い点。

④年の差を越えて本気になれる
これは教員にとって大事なことかもしれない。子ども相手に本気の姿を見せるということは、大げさかもしれないがその子をひとりの人間として尊重しているという態度ともとれる。その態度を表すことは、とても大切だ。僕たち大人が子どもに対し本気で向かい合えるものとして将棋はうってつけといえる。
⑤心のやりとりが起きやすい
これはやっていて感じたこと。言葉も分からない。名前も知らない目の前の少年。でも将棋をやっていると、その彼と何だかわかり合える気がしてきた。
同じ盤面を挟み、互いにそこに没頭していることが共感を生んだのだと思う。また常にこの子は今何を考えているのだろうと考えていた。相手のことを考える感度を高めていくことが容易にできそうだ。
⑥振り返りが文化としてある
これは今回出来なかったが、将棋には感想戦という振り返りがある。これが特徴的だ。勝った相手、負けた相手がともに振り返るのだ。振り返りの学習効果はここ数年非常に多くの場で語られている。勝者と敗者がともに振り返る経験は貴重だし、将棋でそれを学ぶことで様々な場面に応用が利きそうだ。

そうそう、対局をした図書室は、カラフルな家具やカラフルな室内装飾がほどこされていた。決して派手ではなく、落ち着きを与えてくれるような空間で、何だか豊かな感じのある図書室だった。

上海での将棋の授業を見学したことは、考えていた以上に素晴らしい体験だった。
僕の中国への思い込みのずれに気が付け、より中国を身近に感じられるようになった。

また、将棋を教室に持ち込み全員で学ぶことの魅力を感じた。チャレンジしたいと思わせるには十分な子どもたちの姿・表情だった。

行って本当によかった。

世界にはどんな学校・教室・授業があるんだろう。たくさん見てみたいなあ。


2016年9月3日土曜日

教員とわたくしの線引き 原爆体験伝承者プロジェクトに参加した理由から

フェイスブックではたびたび投稿しているが、国立市による原爆体験伝承者プロジェクトの一員である。

自分が経験をしていないことを語って、それが果たして人の心に伝わるのか。そのことは語っている僕自身が葛藤しながらやっている。広島・長崎になんらかのルーツを持つ他の多くの参加者と違い、僕は広島・長崎に特別なルーツを持たないこともいっそうの葛藤を生む。

それでも、平和に貢献するという目標に明確に逆行するものと感じない限り、僕はこの活動を続けていこうと考えている。(ぜひ機会が合ったら語らせてほしいと思っている。)それは被爆者の方からつらい思い出を聞き出した責任があるということと、そして何より自分自身のために続けていこうと思っている。
そう、この活動は自分のためにやっているのだ。そもそもプロジェクトに参加することを決めたのは次のような理由からだった。

小学校教員をすることで実現したい大きな目標は世界平和だ。全ての人々が自らの生をいきいきと生きられるようなそんな世界を実現したいと考えている。そのためにまずは小学校6年間で平和について考え、できれば実感を持たせたいと考えている。そして将来、そうやって育った子たちが平和についてのビジョンを持ってそれぞれの場所で活躍することが、世界を平和にすることにつながると信じて仕事をしている。
だから、ことあるごとに平和の貴さを子どもたちの前で語ってきた。そして、それを実現するためには人がそれぞれ平和のために行動することが大切だと語ってきた。
でも、そんなときいつも、自分を斜め後ろから見ているもうひとりの自分がささやいていた。

「偉そうに言うけど、お前、何かやってんの?」と。

このささやきはいつも僕を苦しめていた。
原爆体験伝承者プロジェクトに参加したのは、このささやきに対し答えるためだった。


教員の中には、「教員としての自分」と「わたくしとしての自分」を分けるべきだという人もいる。
つまり教員として語ることと、わたくしとして生きる自分の間に齟齬があってしかたないという考え方だ。
とてもよく分かる。子どもたちに模範を示すことが良しとされる教員を生きるのに、私生活までそれを求められるのは窮屈でしんどくなってしまう。

でも僕は、その窮屈さよりも子どもたちの前で自分が出来やしないことを、さもやっているかのように偉そうに語ることの不誠実さのほうに耐え切れないのだ。
「平和をつくっていくためにはひとりずつの行動が大切なのです。」と語りながら、自分がそれをしていない不誠実さがいやなのだ。
僕は「教員としての自分」と「わたくしとしての自分」の線引きがうまくできない性分らしい。

もともといい加減な人間だから子どもたちに模範を示すという役割はずいぶん早くに放棄してしまった。(卒業生はよく分かっているだろう。)
子どもたちとともに生きるわたくしとして教員をしている。
それでいいと思っている。

もちろん時には出来やしないことを語ることがある。そういう時は正直に「僕も苦手なんだけど…」と言ってしまおうと思っている。
やってみると子どもたちにはそれでも伝わっていく。
模範さが子どもたちを引っ張っていくやり方もあるだろう。
しかし共感を持って一緒に考えていくような、そんなやり方だってあるんじゃないだろうか。

教員として立つのではなく、わたくしとして立つ教員でありたいと思う。

2016年7月25日月曜日

苫野一徳・岩瀬直樹による「教師の学校」という講座に参加して

昨日は教育哲学者の苫野さんと稀代の教育家である岩瀬さんによる講座「教師の学校」の第2回だった。
僕はこの2人から多大な影響を受けている。
今日は個別化と協同化の融合についてが主なテーマ。
個別化というのは、学校での学びを、個々人のペースややり方、興味関心を尊重した形にしていこうという考え方。
授業というと、教師が説明し、子どもはそれを聞き、合図とともに課題に向かい、一律の時間で解説が始まる…というのが一般的なイメージだと思う。
個別化はまったく違う。
例えばそのやり方の一例は、一週間に最低限やることは教師が提示し、子どもたちがそれをもとに計画表を作成して、それに沿って学習を進めていくやり方。教師が一斉に授業をすることが無くなるので、時間割はゆるやかになり、子どもの裁量に任される時間が多くとられる。ある子は算数の問題を解いているけど、ある子は漢字ドリルをやっている、そんな光景が当たり前になる。
別のやり方では、学びの場の個別化があった。これは校内のどこでも、自分が学びやすい場所を選ぶというもの。教室だけでなく、図書室や外のベンチなど、子どもたちは思い思いの場所で学ぶ。教員はその時間、子どもがいる場を探しながら、アドバイスをしていく。
想像できただろうか?これまでの当たり前とは違うが、そういう授業が実際に行われている。
ただ、個別化だけだと孤立化につながっていってしまう。
公文と変わらない。
ここに子どもたちが共に学ぶ意義を考えていくというのが、個別化と協同化の融合という今日のテーマだった。

講座の初めは「自由の相互承認」についての参加者の実践の話。
この自由の相互承認というのが苫野哲学の芯を成す。
簡単に言えば、自分が自由であるために、周りの自由も認めていこうという姿勢や感度を育むことこそ学校でやっていくべきでしょうと苫野さんは考えている。
これについては詳しくは「どのような教育が「よい」教育か」とか「教育の力」といった苫野さんの著書をぜひ参考にしてほしい。

とは言うものの、僕のグループは具体的な実践にはあまり話がいかなかった。
「自由の相互承認」の途上にあると話し始めたある先生の話に時間をかけたのだ。
学期途中に家庭の都合で転入してきた子。
望まない転校。DVの記憶。
心の体温が下がり切っている子が、クラスの温度も下げていく。
おそらくその先生の気持ちも冷ましたのだろうと感じた。
嘘や物取り、人を傷つける言動、転入生のネガティブなエピソードが次々と語られる。
打ち切らなければまだまだ出てきただろう。
「個別化とか、そういうこと言っている段階にはない。」
そう先生は話した。
そこに少しの引っ掛かりを感じてた。

一日たって思う。だからこそ個別化なのだ。
だって、その子の事情は実に個別的だからだ。
そのような背景を背負っている子を、ほかの子と同じには接することはできないだろう。
学習の個別化は、それぞれのペースや興味を認め、尊重していく学習方法と言える。
では、それぞれの性格や振る舞いや生き方を受け止め、認め、尊重していく生活の個別化はできないのだろうか。
できるのではないだろうか。
個々の学びが尊重される学習の個別化が成立している学級なら、学習を生き方に置き換え、生活の個別化も叶えやすいのではと思った。

そんな話をあの時にできればよかったのかもしれない。

その後、他のグループでの話し合いを聞く時間になった。そこで、学習の個別化に踏み出している教員が複数いることを知った。
子どもが自分の興味関心、ペースを考え学習計画をたてる。それに沿って、自ら学習を進めていく。
そんな実践を数名から聞いた。
一般の授業とは離れたことをやっているから、もっと特別なオーラをまとった先生方かと思ったが、むしろたたずまいは普通だった。
でも、そういう人たちが個別化に踏み出していた。
そして一様に、「やってみたらできた」と言う。
きっと「やってみたらできる」のが個別化なのだと思う。
だって、個別化のほうが、あきらかに子どもたちの持っている力を阻害しない学習方法だ。
今の「全員で同じペースで学んでいきましょう」という学習方法のほうが、実はずっと無理を押し通していると言えるだろう。
どっちがやりやすいかって、答えは見えているのではないだろうか。
「えいや」の思い切りで個別化はやっていけると感じた。

次に読んだ岩瀬さんの資料は圧巻だった。
実は1学期から受け持っている社会の授業で「自由探究」という方法で学ばせるようになり、自分なりに手ごたえを感じていた。
やり方は違えど、うまく言えないが、岩瀬さんの実践に少し近づいたんじゃないかと思っていた。
が、今日の資料でその背中がすごい勢いで離れていった。

僕は子どもたちが「学びを進めていく」ことを目の当たりにし、その力を確信し、そう確信できたことに、少し満足していた。
でも、岩瀬実践では子どもたちはさらに、「学びを計画」し、「自己評価する」ことまでやっていた。
ぐうの音も出ない。
それらが身に着けば、ひとりで学んでいく素地が完成する。
小学生でそうなれば、どれだけその後の学習を自分のものにできるか。
教科の細かい内容なんかよりずっと大切で有用で、意味のある学習だ。

ああ、また背中が見えなくなった。

苫野さんの話は、もうその通りだよなあという共感する話。
パーカーストの引用は特に突き刺さる。
「自由とは、自分の必要なだけの時間をとることである。他人の時間でするのは奴隷である。」
つまりこれまでの学校は、社会の奴隷を作る機関だったんだなと思う。
誰かはそれを自覚的に、そして教員はそれを無自覚に良かれと思ってそうしてきた。
今がそれを変える時なのだと思う。
僕たちが変える世代になれるのではないだろうか。

うまっちの実践報告は、もうね、分かっていたから。
かっこよかったなあ。あまりにかっこよくてまっすぐに妬んでしまいそうになる小さい自分に出会った。
一方で、うまっちの語らない努力を知っているつもりなだけに、何とも言えない気分にもなった。

再び話し合いの時間。
それも面白かったけど、その後の岩瀬、苫野両人の話が強さを持っていた。
「本当に協同化がベースなのか?」
これには揺さぶられた。
僕ははっきり言いたい。
個別化が大前提だ。個別化が成らない協同化は、全体主義や同調圧力から逃れることはできない。
個別化がまず意識されることは最重要だろう。
とは言うものの、その考え自体が安易な二項対立を用いる「問い方のマジック」に嵌まっているのでは、という意見にもはっとさせられた。

そして、最後の参加者の鋭い投げかけ。
「小中学校でルールを作る経験をしていないから、高校でははじめからあきらめている。」
がつんと頭を殴られた。

本校の年度初めの生活指導のプリント。
僕が働き始めた14年前に比べ、ぐっと分量が増えている。
誰も悪意を持って増やしてはいない。
子どもたちの生活が円滑になるように、先回りして先回りして、やってはいけないことをあらかじめ教えている。
良かれと思ってやっていることだ。
そのことで子どもたちは失敗やぶつかりを回避していく。
そして、自由と自由がぶつかることもない。
ぶつからないようにデザインされた自由の中で過ごすのだから当然だ。
子どもたちは困らない。
一見問題ないように思う。
でも、その投げかけに僕は自問自答する。
自由と自由がぶつかる経験。
そこから自分たちでルールの必要性に気が付く経験。
ルールを創っていく経験。
成熟とともにルールを更新していく経験。
その経験から生み出される社会の主体者たる意識。
ああ、僕たちの良かれと思った先回りは、目の前の衝突から彼らを回避はさせられるけど、そのかわりに、これらの経験や意識を涵養する機会を、根こそぎ奪ってしまっているのではないだろうか。
ともに生活するときに必要なのは、ルールなんだけど、本当の本当に必要なのは、ルールを創りだし更新していく経験なんじゃないだろうか。
ああ、この気持ちを学校の人たちと共有したい。強くそう思う。

講座後の飲み会も刺激的だった。
暗くなる話が多く、僕もその話を引っ張ってしまったが、実は希望も持っている。
僕は日本の教育や学校、社会は、いまだ民主主義の完成の途上にあると思っている。
形式上は民主主義だけれど、本当に国民が主体者となる経験はまだまだ不足していると思っている。
逆に言えば、まだまだ教育、学校、社会は可能性に満ち溢れていると思っているのだ。
良くなる余地がたくさんある。
それって希望だ。
僕たち教員はその希望に貪欲に飛び込んでいけばいいのだ。
どっかで自分はそれができるんじゃないかと、自分に期待している。わくわくしている。
そう思っていることに今書いていてたどり着いた。