6年前に岩瀬直樹さんと苫野一徳さんが行った「教師の学校」という講座でともに学んだ中井 俊之さんが書かれた本を読んだ。
2022年3月28日月曜日
書評「教室の日常が見える 子どもが主役の学級通信の作り方 小学校編」
書評「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」
尊敬する教職大学院の同級生 栗原 由紀 (山本由紀)さんが書いた「校内研究を育てる -その学校ならではの学びを求めて-」
2022年2月6日日曜日
ある日の授業のこと バングラデシュの授業をした
ペアを組む隣のクラスの教員が以前ベトナムの日本人学校に勤務しており、それを子どもたちに伝えたいと言ったことがきっかけでした。
彼女の授業のついでに、せっかくなので、僕がずっと足を運び続けたバングラデシュについて、子どもたちに伝えようと思いました。
20代のころ、バングラデシュの東端チッタゴン丘陵地帯に住むジュマと呼ばれる少数民族の子どもたちの寄宿制の寺子屋支援をずっと続けていました。
電気、ガス、水道の通っていない場所へ、でも子どもたちの笑顔のあふれる場所へ、少なくとも2年に1度は足を運びました。そして、子どもたちとただただ戯れました。
しかし、自分が結婚をして子どもが生まれると、バングラデシュの奥地から足が遠ざかりました。寄付を通じて寺子屋支援は続けていたものの、「また来るね!」と言ってバングラデシュの子どもたちと別れたのに、会いに行かない後ろめたさから、学校で受け持つ子どもたちにその話はしなくなっていきました。
そんな僕の思いとは別に、支援から10年経ち、なんと寺子屋は公立学校となり、僕らの支援は必要なくなりました。通っていた子どものなかには、僕らの支援を頼りに、大学まで進む子も現れました。舗装された道路も通らない、普通の自動車ではたどり着くこともできない、そんな辺境の村から、大学生が生まれたのです。
時間が経ち、ようやく自分がやったことを認めてもいいのではという気持ちになっていました。胸を張り、自分がしたことを含め、大好きなバングラデシュのことを子どもたちに伝えたいという気持ちになったのです。
しっかりと時間をとって、子どもたちに話をするのは、実に10年ぶりだったと思います。授業時間は30分の予定でしたが、そのための準備をしていると、伝えたいことを整理したり、見せたい写真を膨大なデータから探したり、気が付くと深夜3時を回っていました。
準備をしながらずいぶん感傷的な気分に包まれました。
初めてバングラデシュを訪れたのは今から20年以上前、20歳のころです。夜のダッカ国際空港の玄関には「外国人」である僕らをただ見にきた人でいっぱいでした。真夜中に彼らの大きな目がこちらへの好奇心で光っていて、目立ちたがり屋の僕もただただたじろぎました。
空港を出ると、けたたましいクラクションの音。客を呼び込むためにバスの車体を思い切りたたきながら叫ぶ車掌。道路は車線なんてないようにパズルのようにぎっしりと車にバイクタクシー、それにリキシャ(人力車)でうめつくされていました。
その喧騒に圧倒的なエネルギーを感じ、強くひきつけられました。田舎町をたずねると、たくさんの人たちが話しかけてきて、ときには家に呼ばれてご飯をごちそうになりました。たくさんの子どもがいて、いつもけらけら笑っていました。
『アジア最貧国』という僕の薄っぺらい思い込みは、子どもたちのあふれる笑顔で吹き飛ばされました。もちろん、同時に正当化できないほどのひどい格差も目の当たりにしました。
そして、教員となって始めた少数民族の寺子屋支援。 閉ざされた辺境の村に、へとへとになってたどり着くと、子どもたちはいつでも満面の笑みで迎えてくれました。何者でもない僕が来るのを、僕の乗った乗り合いジープが村の前に着くのを、いつもずっと待っていてくれるのです。
子どもたちは、お寺のお堂の脇の小部屋に寝泊まりする僕を、毎朝早く起こしに来て、言葉なんて全然伝わらないのに、れしそうにずっと話しかけ続けていました。市場で作業用のロープを買ってきて大縄をやれば大歓声をあげ、サッカーボールを差し入れるとみんなが抱き着いてきました。お風呂がないので井戸で水浴びをしていると、隣に流れる川の水浴びに誘ってきました。もちろん日本の子どものようにたくさんいたずらもしてきて、当然僕もたくさん仕返しをしました。さすがに泥水の入ったコーラの缶を満面の笑みで差し出してきたときは怒りました。
村を離れるときは、見えなくなるまでみんなが手を振ってくれました。いつもそれが寂しくて、うれしくて。助けるつもりが、彼らの存在に僕の方が支えられていたのです。
今回、受け持つ子どもたちに授業を準備していて、あの子たちやあの人たちがどれだけ自分の大切な存在だったか、改めて気が付きました。授業では、バングラデシュの国の文化の紹介と、そして、僕にとってその国が、そこに暮らす人がどれだけ大切だったかを語ることにしました。どうしたって心をこめて話さずにはいられませんでした。
今、毎日ともに暮らす大切な子どもたちに、僕のとても大切にしてきた人たちのことを伝えられて、すごく満たされた気持ちになりました。
2021年10月9日土曜日
運動会へのひとこと
僕のクラスでは、「今日のひとこと」という活動をしている。
活動というには小さなことなんだけれど、日直が翌朝のクラスメイトに向けて、ひとことを贈るという活動だ。
小さなホワイトボードに書かれたひとことは、黒板の真ん中に掲示され、翌朝登校した子たちが目にすることになる。
普段は書く内容は日直に任せきりの活動なんだけれど、今日は少し特別だった。
なぜなら運動会前日だったから。
「明日は運動会だから、なんかそういうこと書いてくれるとうれしいな。」
そんな抽象的な注文を出された今日の日直はAさん。
とてもまじめで、声の小さい目立つことはしない、そしてとっても優しい子。僕の投げかけに少し困った笑顔で応えていた。
子どもたちが帰ってから、Aさんが書いたひとことを見てみる。そこにはこう書かれていた。
「今日はうんどう会。めざせ ひきわけ」
それを読んだとき、頭で考えるより先に、胸がいっぱいになった。
うちの学校の運動会は、赤白対抗で行われる。
それぞれのクラスで半分ずつ赤と白に別れるから、クラスの半分は勝って、半分は負けることになる。
きっと彼女はうんと考えて、これを書いた。
クラスの誰にも勝ってほしくて、誰にも負けてほしくなくて、勝者と敗者にクラスを分けたくなくて、それでこれを書いた。
そして、それはたぶん本心だ。
人の目を気にする性格じゃないし、誰かの正解を伺う子でもない。
「めざせ ひきわけ」
賛否のある言葉かなとも思う。
1年に1回の運動会だ。その日くらいはしっかり勝敗をつけたっていいだろう。
そんな思いは僕にもある。
でも、彼女はそうは考えなかった。
そこにいるみんなの喜びを考えた。
同じ教室で勝ち負けがついたときの、その場の自分の気持ちを考えた。
そしてこの言葉が生まれた。
僕には書けない言葉で、でも彼女には生みだせた言葉で、それがとても美しくて、30以上も年が離れた彼女に対して畏敬の念を抱かずにはいられない。
子どもを伸ばすなんて、おこがましい。
僕にできることは、もともと備わっている美しいものをできるだけ損なわないことなんじゃないか。
そんなことを思う。
この仕事をしていて、まれにこういう出来事に出会うことがあって、僕はそれで、大げさに聞こえると思うけれど、人間に対して肯定的な気持ちになれる。
人間というものを信じていいんじゃないかって気持ちになる。
胸がいっぱいになる。
2021年9月23日木曜日
公認心理師受験について
今週日曜に公認心理師の試験を受けた。
公認心理師とは、2017年から始まった新しい国家資格で、その名の通り心理の専門家だ。
本来は大学や大学院で該当の単位を履修することで受験資格が得られるのだが、新設の資格であり、2017年から2022年まで(つまり来年まで)は5年の現場経験があれば特例で受験が認められる。
この特例での受験はGコース受験という。
今回僕はGコースで受験をした。
これはその記録。
ちなみに合否はまだ出ていない…
まずはみんなが知りたいだろう、教員の特例受験について。
公認心理師 Gコース で検索すれば、まとめられているページがたくさん出てくる。
結論から言うと、やることは3つ。
【参考】第4回試験のスケジュール
http://shinri-kenshu.jp/support/examination.html#exam_001_anchor_03
①現任者講習会を受講する。
この講習会を受けることがGコース受験の条件の1つとなる。
このブログを書いている9月後半現在、ほとんどの講習会はすでに締め切られていて、残りはいくつかの団体のみだ。
受験を検討する人は、まずはここを抑えなくてはいけない。
現任者講習会はこのページから探すことができる。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_16528.html
②受験の手引きの取り寄せ 試験の申し込み
Gコースで受ける時は、この際に、「実務経験証明書」が必要になる。
これは5年の現場経験を証明するものになる。
教員が受けるときには管理職に書いてもらうことが一般的なようだ。
チェックと署名だけの簡単なものである。
5年の現場経験は5年間常勤である必要はないようで、非常勤などで週1回勤務でもいいそうだ。
この5年にあたるかどうかは、割と複雑で、この手引きの19ページ以降に書かれている。
http://shinri-kenshu.jp/assets_certified/digitalbook/html5.html#page=1
また仕事内容も、担任業務でも認められるいるようだ。
つまり実務経験証明書さえ用意できれば、教員で受験資格を得られないことはなさそうである。
③受験
公認心理師試験は、ほぼすべてが5択の選択問題で、知識問題と事例問題がある。
約150問のうち、6割とれれば慣例では合格となる。
6割と聞いて、楽勝だと初めは思ったが、ところがどっこい、求められる知識の幅が本当に広かった。
心理学の歴史や流派、心理検査の種類や得点の分析、それに認知症の種類やら脳みその機能…さらに言えばアクティブラーニングの定義にも及ぶ
とにかく広範囲で、結局は試験当日の朝まではんべそで勉強をしていた。
勉強はすべて独学で行った。
市販のテキストと試験の過去問、それに無料のYoutube動画も役に立った。
夏休みを中心におそらく200時間弱ほど勉強時間に費やしたと思う。
雑感
まだ合否が出ていないので、なんとも言えないが、勉強はしんどかった。
大学受験以来、20年以上ぶりに、いわゆるとことん知識を入れ込んでいく勉強をした。
半分くらいは教員としてのこれからの生活に生かせそうで、半分はあまり生かせそうにない印象だ。
受験のきっかけは、友人の氏原が「有馬の仕事には意味があると思うんだ。」と紹介してくれたことだ。
はじめは話半分に聞いていたけれど、うじが紹介してくれたことはうれしかった。
うじはその後もタイミングごとに連絡をしてくれて、それで本気で取り組む気持ちになっていた。
それに僕はみんなもよく知っているようにデリカシーが無い。
人の心を勉強する必要性は充分に感じていた。
資格を取って、何か明確にやりたいことがあったわけじゃないけれど、ひとつの目標として設定しやすかった。
そしてコロナもきっかけとして大きい。
どこにも行きづらくなったなかで、だから勉強に没頭できたと思いたかった。
コロナのせいで奪われたことだけでなく、何かコロナ禍だから達成できたことを作りたかった。
僕なりのコロナへの反抗心だ。
勉強すればするほど、人間の心は複雑で、分かったつもりになることが恐ろしいと理解していった。
心理を勉強すればするほど心理は分からないという結論に近づいていったことは矛盾だなと感じるけれど、その矛盾を知れてよかった。
もし合格すれば、資格としては心理の専門家と名乗れるのだろうけれど、臨床経験も無いし、それを名乗るのはおこがましい。
でも、今まで見えなかった、見えていなかったけれで気づけなかったことにはこれから気づけるんだろうなと思っている。
だから勉強してよかった。落ちていても意味があったと思う。受かりたいけれど。
うじ、ありがとう。
2021年8月21日土曜日
「2つ目の下駄箱」
写真は2年生の教室から、隣接する中庭を写したもの。
「学校にあるはずのものがないこと」
うちの学校には、あるはずのものがない。

