2020年4月10日金曜日

走っているのか 走らされているのか

先週2日から、先月には考えられなかったことが次々に動き出している。

教員会議のリモート化。
出勤制限。
子どもたちのオンラインミーティングの実施(予定)。
部長から子どもたち・保護者へのビデオメッセージ。
課題のPDFでの配付。
オンライン保護者会。
1年生への動画配信。

1週間でいっぺんにすすんだなという感じ。
ほとんど全部自分が提案したことだ。
どこかだめもとで提案したこともある。
それがこんなに実現するとは思わなかった。
受け入れられないと思っていたからだ。
緊急事態ということもあるけれど、おどろくほどすんなり通った。
緊急事態で変化を受け入れざるをえない状態なんだろう。

今日の教員会議は、ほとんどの人が自宅から参加していた。
すごくよいことに思う。
悪い状況のなかでよい変化が起きているように思う。

今の悪い状況の中で、できるだけのことをできるだけ早くやろうとしている。
その感じは肌に合うし、今やろうとしていることは、自分自身の提案のことがほとんどで、わくわくしている。
でも、どっかでこのスピード感に警鐘を鳴らす自分がいる。
もちろん、自分の意思で提案していることだ。
ただ、ちゃんと吟味がされていないまま、状況に転がされた変化のように考えることもできる。
自分の足で歩いているつもりになっているだけで、歩かされているのかもしれない。
ああ、しかし、今は後ろから雪崩が襲い掛かってくるような状況のようにも思う。
全力で走らなくては何かに飲み込まれてしまいそうだ。
落ち着いたら、今回やったことを、もう一度本当にこれからも必要なことなのか吟味しなくてはならない。いや、ひょっとしたら走りながらでも吟味しなくてはいけないのだと思う。

去年までは、職場が前だけを見て走っているときに、足元を見て釘をさす植松さんがいた。
それを冷水をぶっかけられたように感じていたけれど、今はそういう人がいないことが恐ろしいとも思う。
自分の中で、走る自分と、疑い続ける自分、2人の自分を持つことはできるだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿