2020年4月25日土曜日

合唱企画

木曜に行われた合唱の企画について書く。
これはZoomを使って、離れた場所にいる2年生から6年生の有志が、「小学校の歌」(校歌にあたる歌)を合唱するという企画だった。
どうしてもタイムラグがあり、音楽室でやっているような合唱にはならない。
またZoomの機能を使って録画してみると、全員の声を平等に拾うわけではない(会議などでは助かるのだが)ので、うまく合唱には聞こえない。
月曜日に教員でやった事前の実験では、なかなかのへべれけだった。
それを工夫して乗り越えようという企画だ。

企画が始まる。
Zoomの管理者として参加する。
オンライン上の開室と同時に多くの子がログインしてくる。
それはまるで音楽室を開くと同時に子どもがなだれこんでくるあの光景を思い浮かばせた。
しかも怪我の危険がないので「歩いて落ち着いて入りなさい!」なんてがなる必要はない。
次々に参加者に名が連なってくる様子をうれしく見ていた。
また2年生から6年生、5学年に子どもたちがまたがっていることもうれしかった。
驚くことに、開室から10分ほどで100人の定員がうまった。
想定していなかったわけではないけれど、こんなに参加があるとは思わなかった。
実に全校の4人に1人以上の子が参加をしたことになる。
普段の授業では学年ばらばらで100人の子たちがいっぺんにひとりの教員に教わるようなことはしない。
でも、こうしてそれが行われている。
この状況がなければ思いつかなかったし、この状況だから実現したことだ。

タイムラグの説明をIさんがしたあと、まずはそれぞれ何も気にせず歌ってみる。
オンラインの合唱のいいところは、気兼ねなく声が出せることだ。
僕は音痴の自覚があるし、自分の声にコンプレックスがある。
人前で歌うことは好きではない。
歌うことは本当は好きなんだけれど。
オンラインだといつもより気軽に声が出せる。
誰がどこで声を出しているかがまぎれるからだ。
人によりけりなんだろうけれど、これは意外な発見だった。

録画した合唱を聞いてみる。
かなりずれている。
聞いている子どもたちの表情を画面で見ると、あまりのへべれけさに表情がくもっている子もいたが、笑顔の子も多かった。

「どうすればいいだろう?」という問いに、チャット機能や手元の紙で返事をする子どもたち。
少しばかりの双方向性が保たれる。

Iさんから「次は指揮に合わせてみよう」という合唱2回目。
また録画したものを聞く。
「さっきより合っていた!」という声があがる。
うれしそうな子が多い。
普段の合唱と比べると、まるで歌唱技術的にはおそまつなんだろうけれど、そこには確実に声を合わせていく喜びがあった。
自分たちの合唱をしっかり聞いてもいた。
これって学んでいるなと思う。
技術指導はできなくても、広義の合唱の学びがあったんじゃないかと振り返って思う。
今までやらなかった、考えなかった方法を、今までにない状況の制約の中で採用することで、今までにない学習がそこに浮かび上がってくる。
そんなことを見出すことができた。

次に、Iさんは100人の参加者のなかから子どもたちに指揮者を募った。
手を挙げた数名のなかの一番小さな学年の2年生のHくんをIさんは指名した。
ああ、この場面も好きだ。
もし実際の音楽室だったら、自分より体が大きい上級生に囲まれたなかで、多くの視線が行き交う中で、Hくんは手を挙げただろうか。
あげられたらいいなとも思う。でも、あげられなかったかもしれないなとも思う。
Hくんの指揮で歌う。
僕も画面の前でしっかり口を開け、声を出して歌う。
みんなが画面でいっしょになっているんだけれど、身体は自分の個人の部屋にあり、変な安心感があった。

録画したものを流すと、自然とああだこうだと感想がもれてくる。
拍手をもらったHくんはうれしそう。
そりゃそうだ。100人のいろいろな学年の子から拍手をもらえるなんて機会はそうないもの。

今までにない学びが生まれていた1時間だった。
発案から1週間で実現したこの企画、おそらくこの状況になければ1か月は吟味されてから、丁寧な準備を経て、ある程度の成功が見込まれてやっと実現したことだろう。
でも、この状況だからこそ、前例のない状況だからこそ前例のないことが試しやすくなっている。
そして前例がないことは、新しい学びを生みだす。
そんなことを実感できた時間だった。
もちろん歯がゆいことも多いんだけれど、今だからこそできることっていっぱいありそう。
ああ、そういえばこの企画ももっと歌を生業とする人と一緒にやれたらと思う。
頭に思い浮かぶ方がいるし。
もう少しで自分の裁量でできる時間がやってくる。
そのとき僕は何をするんだろう。考えよう。

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